文部科学省が先月公表した、“来年3月に雇い止めの可能性がある研究者がおよそ3000人”との調査結果。国立大学や公的研究機関の研究者の多くは“任期付き”で、その上限は10年。無期雇用への転換も可能だが、経営状況などから厳しい状況にあるという。
【映像】成田悠輔「どうでもいい存在に」日本の頭脳が海外流出?
理化学研究所の金井保之・労働組合執行委員長は「研究職員297人が10年の雇用上限で雇い止めになるが、その中には研究室を主宰する人たち60人以上いるため、研究室そのものが廃止されてしまうということだ。日本の研究力の低下を危惧している」と話す。
6日の『ABEMA Prime』では米・イェール大学助教授、半熟仮想株式会社代表の成田悠輔氏を交えて議論した。
■「いつまで経っても身分が不安定」
5つの国立大学・公的機関で研究、去年からは一般企業で研究職として勤務する李哲揆氏も、研究者を取り巻く環境は過酷だと訴える。
「職業として研究をする者が研究者ということになるし、そのためには細切れではない、まとまった時間で思考したり実験をしたりする時間が重要になる。しかし実際には大学の雑務や1時間おきに入る会議などによって集中ができなくなっているし、“2~3年の任期を終えたら違う大学へ行ってください”となるとライフプランも立てづらい。海外に行くという選択肢もあるが家庭の事情もあるし、私の場合もそれが叶わなかった。そうしたこともあって我々や我々よりも下の世代にとっては、いつまで経っても身分が不安定だ」。
さらに李氏は「今ならITやコロナ対策にはドーンと予算が集中投下されるが、いわゆる“地味”な、何やっているのかよく分からない研究者はその恩恵に預かれず、研究がお取り潰しになった、というのもよくある話だ。中には年間数万円の予算でやりくりしている研究者もいるし、任期も基本的に予算に左右される。僕は土の中にいる微生物を使い、農薬を使わずに植物を健康にしたり収穫量を上げたりする研究をしていて、できれば長期間の研究をやりたかったが、やはり2~3年ぐらいで論文を書かなければならなかった」。
『科学者が消える ノーベル賞が取れなくなる日本』の著書もあるノンフィクションライターの岩本宣明氏は「李さんの例を見れば分かるように、40代以下の研究者の3分の2くらいは悲惨な状況だ。お金がない」と応じる。「“選択と集中”という言葉はなんとなく聞こえが良いし、地方大学にお金を回すよりも東大や京大に回した方がいい研究が出てくるだろうという幻想を持った人たちが広く配っていたお金を減らしてしまったということだ」。
■「日本経済が縮んでいるという背景が」
成田氏は「どこの国であっても研究者というのは花開いた一部の人だけがもてはやされる世界だし、経済的には不安定だと思う」とした上で、とした上で、次のように話す。
「背景の構造は単純で、日本の経済が縮んでいるという問題がある。そもそも日本ではノーベル賞受賞者などが出ると一瞬だけ盛り上がるが、逆に言えばその程度の存在でしかなく、よく分からない所でよく分からないことをやっている、何を言っているのかよく分かんない人たち、それ以上でも以下でもない存在だ。そういうところに無条件にお金を流し込み続けるのはおかしいというのが、人情だろう。
だからこそ大学への交付金についても成果を上げているように見える研究者に渡すような体制に転換した。そうなると、研究者たちは文科省に認めてもらうために大量の書類やプレゼンテーションを用意しなければならず、研究以外のことに大量の時間を割かなくてはならなくなった。しかも予算が付いたとしても、数年後も同じ状況が続くかどうかの保障はない。
確かに競争をさせ、高い質やパフォーマンスを出したところにお金を出そうというのはもっともらしい発想には見えるし、当初は善意に満ちた発想だったのだろう。しかし結果として現場が悲惨なことになってしまい、大学の研究力も低下した。そこに日本社会の劣化も相まって、どうしていいか分からなくなってしまっているということではないか。
僕が海外で研究をしているのはそのせいでもあるし、日本に帰ってくれば給料は3分の1〜4分の1くらいになるだろう。さらに言えば、アメリカやシンガポール、中国やオーストラリアなどと違って、外国人がどんどん入って来て盛り上げるという風土もない。もう出口が見えないという感じだ」。
■「稼ぐ力を教育する必要があると思う」
一方、慶応義塾大学の若新雄純特任准教授は「僕は研究者としては“三流以下”だ。それでも続けていられるのは、研究室の“経営”をしているからだ。大金持ちや、売上が数兆あるような大きな会社に行って、“ちょっとくらいいいじゃん”とお願いし、それらを積み上げて、スタッフの人件費にしている。
しかもロマンみたいな部分を語って投資してもらっているので、リターンについてはほとんど約束することもできていない。そのように上手にやれば資金は調達できると思う。ただ、本当に一流の研究者はそういう“運営”には時間を割かない方がいいし、みんなが僕みたいになる必要もない。そうではなく、環境を作れる人とガチで研究する人とが良い配分になると良いのかなと思う」。
また、ジャーナリストの堀潤氏は「UCLAに行った時、ちょうどスタンフォードにならってベンチャーキャピタルが作られたところだった。学生たちが投資家たちにプレゼンをし、採用されたものが花開いて上場した。そこで得られた資金や特許料が大学に還ってきて研究費に繋がったり。大学自身がイノベーションを起こして稼いでいく動きが日本にもあればいいと思う。例えば東京大学の教授で、バイオベンチャーの「ペプチドリーム」を創業した菅裕明さんを見ていると、研究成果を市場に投入し、展開していくのがとても上手だと思う。研究者にも、そういう力を教育する必要があると思う」と指摘した。
■「分かりやすい言葉で最新技術を説明する必要も」
こうした提案に対し、李氏は「リターンを求める投資家さんたちに、例えば“ノーベル賞が取れるかもしれないが、100年かかるかもしれない”といった科学リテラシーが大事だと思っている。逆に、研究者や博士号を持っているような人間がもっと政界に出ていかないといけないと思うし、サイエンス・コミュニケーターとして一般にも分かりやすい言葉で最新技術を説明することも必要だと思う」と問題提起。
「"博士を取った=自分は研究の道一本だ、大学の先生になる"という思考が日本は強い。しかし広い視野を持ち、それこそテレビのキャスターになってもいいし、自由に行き来すればいいと思う。そのようにして国民全体の科学リテラシーを高めることも大切だ」。
成田氏も「結局、研究業界の人たちは霞が関に対して文句を言い続けている貧乏人たちだ、という印象を社会に与えてしまっているのではないか。その結果、自民党の科学技術政策を握っている人たちが“大学教員というのは予算をよこせと言っている金食い虫でしかない”ということを言っちゃうようになった。この現状を変えないといけないと思う」と訴える。
「根本を探ると、日本社会に科学者や技術者に対する愛着や敬意みたいなものが無くなってしまっている。これは両方に原因があって、アメリカではGoogleやテスラ、スペースXがあるけど日本には無い、という話になる。そこは研究者や技術者と呼ばれるような人たちも色々な形で社会に対して新しい価値や違いをもたらしてくれる存在だということを発信していくかというところに尽きるのではないか。
一方でこの世界には、”研究一本でつき進んでいる人が偉い”みたいな価値観がある。しかし、作家もデザイナーもアーティストも、自分のやっていることをプレゼンできたりしてナンボという社会になってきた。その意味では自分たちで環境を作っていくことも考えなければならないし、国は薄く広く、最低限の活動をできるような予算を配り、プラスアルファについては大学や国ではない外側の仕組みを使っていくという二段構造にするのがいいのではないか」。(『ABEMA Prime』より)