パーカーにキャップ、サングラス姿で話すのは福岡県朝倉市で明治38年から続く、徳田畳襖店の4代目後継者、徳田直弘さんだ。老舗の畳店を営む家に生まれながら、高校卒業後に就職したのは半導体関連メーカーだった。
「畳業界の“低迷感”が嫌で畳屋になりたくなかった。また、当時は日本文化を古臭いと思っており、最先端のものにあこがれていた」(徳田さん、以下同)
そんな徳田さんが学生時代から抱いていたのが、ラッパーとして活動する夢。仕事を辞め音楽スクールに通う中、思わぬ転機が訪れる。
「講師の先生に『この先どうしていいか』と相談したら『あなたは“歌う畳屋”になって畳業界を盛り上げる人になりなさい』という助言をもらった。その後、実際に畳の歌を作ってライブで披露したらすごい反響が良く『畳の歌で人を幸せにすることができるんだ』と。その後、父親と祖父に頭を下げて家業に入った」
紆余曲折を経て家業の道に進んだ徳田さん。平日は実家の畳店で働きながら、職人になるための学校に通い、一級畳製作技能士の国家資格を取得した。
当時について徳田さんは「『畳製作をするぞ』と意気込んで入ったわけではなかったので、その難しさに直面した」と振り返る。
そして2023年には、新たな時代の畳職人を目指し、京都芸術大学に入学。畳という日本文化を自分なりの形で残す道を模索している。
「家業を継ぐことは夢をあきらめることではない」
「DJとラッパーで例えると、DJ=好きな音楽を流す人、ラッパー=DJに曲を流してもらう立場だが、もし自分がプロデューサーなら、自分の畳の素材・アートをインテリアや空間で使うことができる。そんな“セレクター”になりたい」
発注通りに畳を作るだけではなく、畳を生かした空間を総合的にプロデュースする素材を選ぶ権利を持つ畳職人になりたいと話す徳田さん。ラッパーとしての活動も、人脈作りや新たなアイデアを生むプラスの影響が出ているという。
今では、畳屋ラッパー「MC TATAMI」としてイベントなどで地元を盛り上げる存在に。衰退している業界に進むことはできないと考えた学生時代から、現在までの道のりを振り返り、「家業」という選択肢についてこう語る。
「家業があるのはめちゃくちゃ良いことであり、家業を継ぐことは夢をあきらめることではない。むしろ家業があるからこそできることもたくさんある。私は家業に入った後もバリバリ音楽もやっているし、むしろ音楽の枠を超えてアートもやるし、写真もやるし、空間まで勉強し始めている」
「どこにいてもリスクを取る必要がある」
徳田さんの挑戦についてEVeMエバンジェリスト 滝川麻衣子氏は「今の時代、どんな組織に入っても絶対の安泰はない。時代のスピードが早くなっていく中で、どこにいてもリスクを取る必要がある。そんな中、『何に人生をかけるか』と考えた時に、親や祖父母が続けてきたビジネスを自分の力で飛躍させるのはめちゃくちゃ面白い」と称賛した。
若い世代が慣習・伝統がある組織に飛び込む際、注意すべき点はあるのだろうか?
滝川氏は「親や祖父母のビジネスに対するリスペクトは大前提だ。加えて、『社長だから』『社長の一族だから』という縦型のマネジメントではなく、対等に役割に務めることが重要になる」と述べた。
(『ABEMAヒルズ』より)




