清水エスパルスのGK権田修一がカタール・ワールドカップ(W杯)の日本代表メンバー入りを受けた会見で様々な思いを馳せた。

開幕まであと3週間を切ったなか、1日に森保一監督の読み上げ方式でメンバー26名が発表され、3人構成のGK陣でその1人として名を呼ばれた権田。運命の瞬間を外出先で1人になり、YouTubeで会見の模様をリアルタイムで見守ったという。

所属先がJ1残留の崖っぷちに立つとあって週末の最終節しか考えられず、入るかどうかも「正直、すごく不安」で家族と一緒にいなかったようだが、名前が出た際は「嬉しかった」と明かし、2014年大会での選出経験から年齢順で呼ばれるのを想定していたとして「川島(永嗣)選手の後に呼ばれたときは本当に嬉しかった」と続けた。

後に妻をはじめ、世話になる人々から祝福の言葉を受けたというが、落選組の存在に複雑な思いも。なかでも、MF原口元気に対しては「彼とは彼が16、17歳の頃からの付き合い。僕が試合に出る直前のところで『ゴン、頼むぞ』っていつも声をかけてくれていた。個人的には選ばれて嬉しい反面、より責任感が湧いている」と話した。

一方で、2010年のFW岡崎慎司以来となる清水を代表としての、静岡県からの、W杯メンバー入りに胸を張りつつ、「これから先、静岡県出身の選手や、エスパルスの選手が10年、12年空くのではなく、毎大会にわたってW杯のメンバー発表後に会見ができるように続けていかないといけない」とも語った。

そんな権田だが、2014年大会で呼ばれ、2018年大会は落選。W杯メンバー“復帰”となるが、その歓喜の瞬間までにオーバートレーニング症候群を患ったほか、2018年大会での落選から海外に活躍の場を移したりもした。そうして行き着いた先が清水。権田は「隠すようなことじゃない」とし、清水加入の経緯を改めて振り返った。

「ポルティモネンセでなかなか出場機会がなくて、自分自身、本大会で戦うと考えたときにまずプレーし続けていないといけなかった。そうじゃないと選ばれる可能性が低くなるし、選ばれても良いパフォーマンスができる可能性も低い。今もああいう順位だけど、僕は来た当時から失点が本当に多いチームで、自分がそこを何とかできれば自身の成長にも繋がると思ったし、このW杯がエスパルスに入った一番の目的でもあった」

「大熊(清)GMが失点の部分を含めて助けてほしいというところと、僕自身の目標というところがリンクしたから、エスパルスに入ったというのがある。こうやって清水エスパルスの一員として日本代表に選ばれるのは帰ってきたときの大きな目標だったし、それをしっかりと果たせたのは良かった」

そういう思いを抱き続けた結果、1大会のブランクを挟み、W杯行きの切符を掴み取った権田だが、やはり頭のなかを巡るのはチームのJ1残留。プレーオフに回ればあと2試合を戦うが、「こうやって代表選出の会見をさせてもらっていて、メディアを通してになるけど、約束したい」とし、サポーターにケガを恐れずの全力を誓った。

「僕が本来、やるべき仕事はエスパルスで結果を残すこと。この状況だから、エスパルスのサポーターは『いやいや、まずはエスパルスのこと』と思っているだろうし、僕もそう思っている。まずはあと2試合、実際に僕のプレーを見てくれたらわかると思うけど、ゴールを割らせないために必要なプレーなら、身を挺してやる覚悟がある」

「その覚悟があるからこそ、アメリカ戦でケガをしても、フロンターレ戦でああいうことがあっても、『これでダメだったらダメだな』という思いだった。サッカー選手で、しかもGKである以上は身体を犠牲にしてってことはありうるし、ここで(全力を)約束したい。逆に、カタールに行ったら、どんな状況でも日本のゴールを守るために身を挺す覚悟をもってやる」