お笑いコンビ・さらば青春の光の森田哲矢と東ブクロが、コンビ結成秘話と、コンビ名の由来を明かした。
アンタッチャブルとサンドウィッチマンがMCを務める、テレビ朝日系のバラエティ番組『証言者バラエティ アンタウォッチマン!』のABEMAオリジナル版が、5月30日から配信を開始した。本番組は、開局6周年を迎えたABEMAとテレビ朝日の人気番組がタッグを組む「テレ朝×ABEMA人気バラエティ・FIFAワールドカップ64・音楽フェスでつなぐ2WEEKS」の一環として配信されたもの。今回、ゲストに迎えたのは、さらば青春の光の森田哲矢と東ブクロ。彼らの波乱万丈な芸人人生を、関係者たちの証言をもとに振り返り、ブレイクの真相を深掘りする企画が行われた。
森田と東ブクロがコンビを結成したのは、2008年のこと。当時、2人は松竹芸能に所属し、先輩と後輩の関係だった。コンビ結成のきっかけは、後輩の東ブクロが森田に送った長文のメール。養成所に入所した初日に、森田のコンビの漫才を見て衝撃を受けた東ブクロが、コンビを組まないかと森田を誘ったのだ。東ブクロから届いたメールには、自分をアピールする内容も書かれていたそうで、森田は「少しイタい奴だな」という印象を抱きながらも、「キングオブコント」が初開催される年だったため「これは出たい!」と思い、「とりあえずお試しで」と軽い気持ちでコンビを組むことを決意したのだという。ちなみにこの時、森田がフリーだったのに対し、東ブクロは別のコンビを組んでいた。そのため東ブクロは、森田から「OK」の返事をもらうと、元々組んでいたコンビを解散し、森田と念願のコンビ結成を果たしたのだった。
このエピソードが紹介されると、森田は「当時、エンタの神様全盛期で。キャラがないと駄目だということで、(東ブクロは)2メートル近いオーバーオールの先輩つかまえて、コンビ組んだんすよ。その2週間後に僕が解散したから、その先輩を切って、こっちに来た」と、コンビ結成時の状況を説明した。森田からOKをもらった後に、コンビを組んでいた先輩芸人を切ったという東ブクロに、アンタッチャブル・山崎弘也は「なかなか卑怯なやり方」とチクリ。さらに、東ブクロの女性スキャンダルになぞらえて「当時からスタイル変わってないね。二股スタイル」とイジり、スタジオを笑わせた。
その後は、森田と東ブクロを養成所時代からよく知る先輩芸人・みなみかわがVTR出演し、コンビ名の由来が語られた。みなみかわは、森田から「コンビ名を付けて」と頼まれた時、彼の戦略家としての一面を見たという。「森田って実は頭がいいっていうか、先々のことも考えている人。お笑いとかネタが面白ければ、コンビ名はどうでもいい人間なんですよ。でもいつか売れた時に、コンビ名の由来を聞かれることってあるじゃないですか。その時に自分がこういう意味があって付けたんですって、恥ずかしくて言えない人間なんですよ。だから先輩に付けてもらうのが1番楽なんです」。みなみかわは、森田の真意をそう分析し、「その意図が見え透いていたので、適当に付けたれと思って」と、その週に観た映画のタイトルからコンビ名を付けたことを告白。「さらば青春の光」と「復讐するは我にあり」の中から消去法で「さらば青春の光」を選んだことを明かしていた。