今年、デビュー20周年を迎えたタレントの中川翔子(37)に「ABEMAエンタメ」が独自インタビューを実施。マルチに活躍する芸能活動を始め、YouTubeチャンネルの開設秘話、中川が目指す壮大な夢について話を聞いた。
中川は、2002年に「ミスマガジン」の「ミス週刊少年マガジン」に選ばれ、17歳で芸能界デビュー。グラビアアイドルとして、芸能界の道を歩み始めた。
グラビアを中心に活躍する中、2004年に「しょこたんぶろぐ」を開設すると、ブログの投稿回数の多さから、その人気はまたたく間に広がり、「新・ブログ女王」と呼ばれるように。
2006年に歌手活動をスタートし、1stシングル『Brilliant Dream』でアーティストデビューした。2007年6月に発売したサードシングル『空色デイズ』で、その年の『第58回NHK紅白歌合戦』に初出場。そして、活動は多岐にわたり、イラストレーター、女優、声優などジャンルを問わずに活躍している。
――ミスマガジンに参加しようと思った経緯を教えてください。
中川:自分で応募したのを覚えています。昔から女性の美しい人に憧れていて、私がデビューした時、グラビアアイドルかアーティストと分かれていたんですよね。小倉優子さんとか、安西ひろこさんとか、推しのグラビアアイドルさんがいっぱいいて。あとは特撮ヒロインにも憧れていて、それを見てダイエットしたり、メイクしたりとか、色々やっていたので、「グラビア憧れる!」と思って。それで応募したのを覚えています。ミス少年マガジンになって嬉しかったです。
――ターニングポイントになった出来事はなんですか?
中川:(芸能界は)綱渡りでいつどうなるかわからないお仕事だとずっと思ってもいるし、これで最後かもと思って、毎回コンサートとかのたびに覚悟して挑んできたつもりだったんですけれど、なぜかギリギリのピンチでも今年のトピックみたいなのが毎年起こってくれたというのは、見てくださった、出会ってくださった全ての方がいないと成り立たなかったと思ってます。それこそ最近でもコロナ初期でみんなお仕事がストップしたときに、「ついに終わった」「今まで偶然続けられていたのが終わったんだ」ってガーンとなりました。
でも、YouTubeをやっと始められる時間とキッカケができて、やってみたら一瞬で「イエーイ」って楽しくなって、ブログを始めた初期のキラキラ感のゾーンにまた入ったような感じ。車に乗るようになったりとか、YouTubeやっていなかったら、やっていなかったことが全部楽しくって、今は陰キャのくせに陽キャのことをやるのにハマっていて、毎日ドライブしています。
――約900万円の赤いベンツを購入されていましたね。愛車・めーちゃんを購入したキッカケを教えてください。
中川:免許だけとって、ペーパーのままで放置していたんですけれど、YouTubeで久々に運転したら全然できなくて。でもそこから声をかけていただくことが増えたんですよね。知らない通りすがりのおじさまに、「車の練習頑張って」と言われたり(笑)そこからだんだん「よし、車買うぞ」となっていきました。実際に見に行って、赤いめーちゃんのボディに一目惚れして、本当に愛おしくて、西新宿で赤い車を走らせながら「Get Wild」流すのを本当にやりたくて。叶うんですよ、好きな時間に。最高ですね。
――デビュー20周年を迎えましたが、これまでの芸能生活を振り返ってみていかがですか?
中川:振り返ってみると、黒歴史と思っていた頃にこそ、色々なことを蓄えていたんだなって。例えば、20年くらい前は、オタクが虐げられる時代が長かったので、学校で絵を描いているだけで「オタクだキモい!」とか言われたこともあったから、あまり人に好きなことを言えなかったりとかしていたんです。多分、芸能界に入ってからはその時にやっていたことが全部意味があるというか、「私も!」って言ってもらえる場所でもあったり、お仕事になったりとか、歌ったり絵を描いたり全部そうですよね。毎日違うことをやらせていただいていて、歌もテレビもこうやってお話しすることも、天職のように感じる瞬間もあれば、「でもやっぱり無理だ」って潰されそうになるときもあるし、すごく不思議ですね。まだまだ探しながら見つけながら、味わいながら、迷いながら、でも楽しいなと思います。
――次に挑戦してみたいことはありますか?
中川:私の壮大な夢は、シャンソン歌手。シャンソンを歌ったりとか、そういうかっこいい貫禄のある、いぶし銀みたいな女性でありつつ、油絵もたくさん描いて、個展をやったり、その絵が販売できたりとか、それを猫に寄付したりとか、絵と歌の二刀流の人になりたいというのがずっとありました。
これまでの20年を振り返ったときに、1本でやられている方って、すごく尊敬するんですけれど、私の場合は歌もあって良かったし、アニソンやりたい夢があって、海外でたくさんライブできたこととか、コロナ禍でもリリースできたこととか、ソニー(レーベル会社)の人にも「しぶといな」と言われて確かになと思って。”しぶとい“が“ずぶとい”に変わってきた今だなと思ったり、新しい好きは増えていきますね。道路拡張工事みたいな、アップデートみたいな、そんな感じですね。
さらに「ABEMAエンタメ」では、中川に関する質問を募集。たくさん寄せられた質問の中から2つ、中川へ聞いた。
――視聴者さんからの質問となります。写真集を発売した今の気持ちを“しょこたん語”でお願いします!
中川:古のしょこたん語を、最近あばれる君がリサイクルしてくれていて、“ギザウレシス”をちびっこが言ってくれるんですよね。ギザ、いやギガント、いや……。“ビッグバンウレシス”がついに来ましたって感じです。
――最後の質問です。20年前の自分にどんなメッセージを送りたいですか?
中川:これからしんどいことも、大変なこともたくさん待ち受けているけれど、それ以上に生きていて良かったこと、そしてミラクルな形で夢がいっぱい叶うから諦めないで。死なないで生きてねっていいます。
(『ABEMA NEWS』より)
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