195センチの高身長とアフロヘアが印象的な、俳優・タレントの副島淳。蒲田生まれ、浦安育ちの38歳。母親は日本人で父親はアフリカ系アメリカ人だが、生まれてすぐに母子家庭で育ったため、つい最近まで実の父親のことは顔も名前も知らなかったという。いじめ、差別、貧しい家庭環境など、自身の生い立ちを綴ったエッセイを出版。同様のテーマで学校を中心に講演活動も行っている。
【映像】橋下徹×副島淳 アフリカ系ルーツでいじめ…撲滅政策を議論
そんな副島が3日のABEMA『NewsBAR橋下』にゲスト出演し、いじめや差別を克服した経緯を明かすと、橋下徹氏は校区撤廃の必要性を訴えた。
副島は自身の体験として、「小学校4年生に上がる時に引っ越してから6年生までの3年間、いじめられていた。3年生まで生徒が1000人以上いるマンモス校では、周りの友達と明るく遊んでいた。でも、引っ越した先の小学校が学年に1クラスしかなく、みんな巨大な団地で生まれ育ってある程度の派閥ができあがっていた。そこにうまく入れず、肌の色や髪の毛が違うということを言われたりした」と語る。
「はじめは“やめてよ”“そんなこと言わないでよ”とアクションを起こしていたが、半年もしないうちに、リアクションをすると向こうも喜ぶということが子ども心にわかったので、そこからはサンドバッグ状態。もう“無”で、泣きもしないし反抗もしない。それでもいじめられるが、その方が楽だった。親も自分の中では敵で、肌が黒い理由を聞いて『お父さんが黒人だからだよ』って言われても、父親がいなかったのでわからない。黒人の意見を聞きたいと思っても、いなかった。
中学校でバスケを始めたのが大きな転機になった。身長が30センチくらい伸びてどんどん強くなっていったら、中1か中2くらいで今までいじめていた子たちが認めてくれた。“副島ってすげえじゃん”“バスケこんな上手いんだ”となった時に全身が熱くなったというか。いじめにあっている子に運動系の部活をやれと言っても、絶対にやらないと思う。僕もたまたまいじめっ子が少ないっていうだけでバスケ部に入ったので」
そうした経験から副島は「僕は学校が地球全体そのものだと思っていた。今はネットがあるので当時とは違うと思うが、今いる小さな世界から出て、ちょっと違う誰かとつながると、視野が広がる1つのきっかけになる」と訴える。
それに橋下氏も賛同し、「冒険することに人生の豊かさの源があると、大阪で校区撤廃を主張して、校区関係なく学校を自由に選べるようにしようとした。全てではないが一定の範囲で、大阪市の中のいくつかの学校は完全校区撤廃になった。僕の出身学校や西成の学校とか、言ってしまえば外の地域から“あそこは危ない”と言われるような学校でも、“給食を一番美味いのにしてくれ”“ミシュラン級に美味い給食にしてくれ”とあえてお金を投じる。英語教育のためにiPadを配ったり、スクールバスを走らせたりしたら、生徒がどんどん減っていた西成の学校に校区外から100人以上がきた。校区がなくなることで地域以外の人たちが入ってきて、“自分たちの考え方と違う”“外はこう考えているんだ”とぶつかり合って新しいものが生まれていく。ちょっとうまくいかなくても、外へ出て違う子どもたち、違う世界に触れるべきだ」との見方を示した。(ABEMA/『NewsBAR橋下』より)