厳しいゼロコロナ政策が続く中国。首都・北京で開かれたロックライブでひときわ歓声を集めているのは、一世を風靡(ふうび)した「爆風スランプ」のドラマー、ファンキー末吉だ。(聞き手:ANN中国総局・李志善記者)
【映像】満員の会場で…汗を流しながらドラムを叩くファンキー末吉さん(現地の様子)
1990年に初めて北京を訪れたファンキー末吉。以来、半生を中国ロックに捧げてきた。
「彼はもう中国人だよ。先生であり、友達であり、父親であり、仕事のパートナー。精神的な導師です」(ボーカル担当の呉寧越さん)
所属するバンドは、中国語で庶民を意味する「布衣(プーイー)」だ。いま、中国で一番、ツアーを回るバンドだと言われている。
「今年のツアーは(コロナで)キャンセルが続出したんです。みんな落ち込んでいたのですが、振り返ると、ファンキーさんはご機嫌で、相変わらず頑張っていました。若者よりもフレッシュな状態でステージに立ち、そのエネルギーにはいつも感心させられます。ファンキーさんは変わらない。いつも人を助け、人のことを考えています」(呉寧越さん)
63歳になったいま、一体何がファンキー末吉を突き動かすのか。きっかけは三十数年前にさかのぼる。
ファンキー末吉「当時、中国共産党はロックを好まなかったんです。そんな中でロックやってる若者がいたんだって」
中国でロックが非合法の時代。ファンキー末吉には、体制に抑えつけられながら命がけで音楽を奏でる若者たちが輝いて見えた。
ファンキー末吉「私は自分の“初期衝動”を彼らの中に見つけたんです。当時、爆風スランプが1番売れていて、テレビばっかり出ていた。『何やってんだろう。こんなことをやりたいために東京に出てきたのかな?』という疑問がものすごいありました。それが、中国の若者たちを見て、もう人生を変えるぐらいのショックを受けたんです」
その後、ファンキー末吉さんはドラマーのほか、音楽プロデューサーとしても活躍。中国では「生きる伝説」と呼ばれるほどになった。
ファンキー末吉は普段、バンドメンバーの故郷で暮らしている。
北京からおよそ1000キロ離れた中国西部の寧夏回族自治区・銀川市に行くと、ファンキー末吉自らが迎えてくれた。
ファンキー末吉「いらっしゃい。ようこそ。中国の遥か彼方に。ここが私の練習場っていうか、バンドの練習場です」
夜の街を歩けば若者が「写真撮ってもいいですか?」とファンキー末吉に話しかける。
すべてが平坦な道のりだったわけではない。仲間たちとは、時に意見の相違も生まれた。
ファンキー末吉「ある日、口論になって。『検閲ばっかりやってるから情報が偏っている』って言ったら、『(彼が)そんなの日本だってアメリカだってやっているじゃないですか』って言った。カチーンときて『じゃあ今から俺Facebookに日本政府の批判を投稿するから、お前も中国のSNSに政府の悪口を書け』って言って」
話は日中関係にも及んだ。地元の音楽仲間は、ファンキー末吉に向かって「中国と日本にはもっと交流が必要だ」と投げかける。
「中国の若者は日本のことをとてもよく知っている。でも、東京の街角で日本の人に聞いたら中国のことを良く知っているとは限らない。パンダと中華料理くらいしか出てこないでしょ」(地元の音楽仲間)
ファンキー末吉「若者がたくさんいるのに、日本で中国ロックを知っている人はほとんどいない。私はアメリカのロックで育った人間だけど、中国のロックの方がすごいと思っている。(中国人の)誰かがアメリカのヒットチャートに上ったら、日本人の見る目は全部変わるよ」
中国での生活について、ファンキー末吉はこう語る。
ファンキー末吉「横暴なのは今も昔も変わってない。私はこの国の中国人と一緒に暮らしている。横暴な国の中で、どのように幸せに生きていくかをみんなで考えて、好きな音楽をやって、その手伝いをしている。ただそれだけですよ」
日中友好、政冷経熱、チャイナリスク……関係性の評価はさまざまだ。反日デモが起こったとき、ファンキー末吉はどう思ったのか。
ファンキー末吉「この国は愛国無罪で、共産党が無罪と言えば無罪だ。愛国心から暴動を起こしている。(テレビで)日本人が殴られている映像がバーンと出ていた。でも私は、日本人を殴っている中国人もいれば、日本人をかばっている中国人も絶対にいると思う。今ここだったら、こいつらは命をかけて俺を守ってくれる。絶対に殴らさない」
心から付き合えば分かり合える。そんな思いを受け継ぐ日本人が、中国のロック史に新たなページを刻んでいる。
ファンキー末吉「久しぶり? 男前この野郎。稼いでる?」
hayato「いや全然ですよ。最近(コロナで)本当もう中止とか延期ばっかり」
現れたのは、岡山県出身のドラマー・hayato(39歳)だ。複数の人気バンドから声がかかる売れっ子ドラマーでもある。
hayato「この前、蘇州でコンサートやったんです。蘇州で起きた『着物事件』分かります? 最近あったなんか着物着た女の子が……」
ファンキー末吉「あー! 蘇州のね」
先月、江蘇省の蘇州では、和服を来て写真を撮っていた中国人女性を、地元警察が怒鳴りつけ、連行する事態が起きた。女性は、日本のアニメのコスプレをしていたといわれている。
hayato「日本人街みたいなところがあって、近くでコンサートがあった。ちょうどタイムリーな話題(着物事件)のすぐ後のコンサートだったから、当日警察から『ライブ中に日本人ドラマーですって言わないでください』と言われました」
中国のロック界を引っ張ってきたファンキー末吉。コロナ禍を経て、ある思いが強くなったという。
ファンキー末吉「生き様は見て勉強するだけだから教えることができない。でも技術はいくらでも教えることができる。去年ぐらいから初めて『技術を残そう』と思えてきた」
若者にドラムを教え始めたファンキー末吉。教え子の一人は、目が見えない。視覚障害者の程偉涛さん(20歳)はファンキー末吉について「とてもいい先生。私の目はほとんど見えない。理解できないときは、忍耐強く手を取って教えてくれるんです」と話す。
すでに、中国各地でドラムの普及に取り組み、教則本の制作にも取り掛かっているという。
ファンキー末吉「中国でロックをきっかけに知り合った人が『ファンキーがいいやつだから、日本はきっといい国だ』って言ってくれる。本当に感謝されている。いつも言うんだけど、中国ロックのおかげで今の俺がある。中国ロックが俺を変えてくれた。俺も感謝している」
(ABEMA NEWS)