世界中が熱い視線を注ぐサッカーワールドカップカタール大会。日本が歴史的勝利を収めたドイツ戦で、ある一幕があった。試合前、集合写真に写るドイツ代表は揃いも揃って口を覆っている。
実は、ドイツはイングランドやオランダなど6チームと共同で、同性愛者の権利を認めていないカタールに抗議の意味を込めた虹色のキャプテンマーク「One Love」の腕章を着用する予定だった。しかし、着用すればイエローカードの可能性があるため断念。国際サッカー連盟(FIFA)への抗議の意味を込めて口を覆うポーズでアピールし、話題となった。
今回のワールドカップではこれだけではない。11月21日のイングランド対イラン戦では、2つの抗議行動が。イランの国歌が流れる中、代表選手は口をつぐんだまま、誰1人歌うことはなかった。9月、髪を隠すヒジャブの着用が不適切だとして拘束された女性が死亡したことに対するデモに、選手が連帯を示したのだ。イングランド側でもキックオフの直前、選手たちが一斉にピッチに片膝をつき、人種差別に対する抗議の意思表明を行った。
ネットでは、「問題意識を共有することが大事だと思う」「W杯でやること?政治問題を持ち込まないで」との声も。世界中の視線を集めるワールドカップの舞台での抗議活動は、アリかナシか。11月29日の『ABEMA Prime』で議論した。
各チームの行動について、社会学者で神戸大大学院国際文化学研究科教授の小笠原博毅氏は「前々回のブラジル大会の時、ジェントリフィケーションと言うが、ワールドカップのためにスラム街が一掃されたり、警察の取り締まりが強くなったりした。他方では、スタジアムに入るためのチケット代がものすごく高く、人々とかけ離れた大会が自分たちの街で行われていることに対して、抗議のデモや集会はたくさん行われていた。選手たちが当事者であるという意味では今回増えたかもしれないが、ワールドカップという場で何か意見を表明するのは昔からあることだと考えている」と説明。
大会の場での抗議行動はありなのか。「是々非々がFIFAのやり方なので、交渉の余地はあまりないだろう。デンマークと何カ国かがFIFAからの離脱を考えているという報道もある」とした上で、「各国のサッカー協会や選手、スタッフを含めて“これでいこう”ということであれば、僕はやって良かったと思う。国歌を歌わなかったイラン代表は、帰った後に何が待っているかわからないわけだ。ドイツもイングランドもデンマークもオーストラリアの選手も、国に帰って警察に尋問を受けたり、禁固刑に処せられることはないだろう。比べることではないかもしれないが、イランの選手たちがあれだけのことをやったのだから、初めから決めていたのならばやってほしかった」と自身の考えを述べる。
一方、パラアスリートの前川楓氏は「行動を起こすも起こさないも、選手が選択できるべきではないか」と訴える。「私が政治的に伝えたいことがあったとしても、試合中にはやらないと思う。競技と違うことを考えてしまうと集中できなくなるのと、行動に対しての批判を受けた時に落ち込んでしまうから。それで競技に支障が出てしまったらすごく苦しい。でも今回、ヨーロッパの選手やイランの選手が行動を起こしたということは、きっとその批判をされても“伝えたい”という思いがあったのだと思うし、自分たちは集中できるという強い意志があったのかもしれない」。
では、抗議を認めることで、逆に“表現しない人”が責められてしまうことはないだろうか。小笠原氏は「選手個人の選択に任せるとどうしてもあちらこちらに流れるので、ある種の疎外感、“お前、何やっているんだ”という差別を受けることもあるかもしれない。今までアスリートというのは、社会や政治に対してものを言ってこなかったし、言わないようにトレーニングされてきたと思う。大坂なおみさんやアメリカ女子サッカーのミーガン・ラピノー選手のように、世界で認められている人たちが意見を表明する。“お前はスポーツ選手なんだから黙ってやっていろ”という囲い込まれた世界から、“こういうことをスポーツ選手がやってもいいんだ”と社会に向けて言えるようなアスリートがやっと出てきたというのが、今の時代だと思う」との見方を示す。
前川氏は「アスリートは競技だけに集中しろという意見は私自身も感じている。ただ、“こうあるべき”はアスリートだけではなくて、いろいろな職業に対しても浸透しているなと。私は競技をすることによって、“義足でも飛べるんだ”と見ている人に楽しんでほしい。東京パラリンピックの時も実際に『元気をもらった』という意見をいただいて、それでまた私も頑張れた。自分が競技に込めるメッセージはアスリートによって違うし、みんな違って当たり前だと思う」とした。
そんな中、スポーツの熱狂や盛り上がりを利用して、解決すべき問題を覆い隠してしまう「スポーツウォッシング」の観点もある。
小笠原氏は「“スポーツと政治”という抽象的な、大上段に構えた言葉に囚われてしまっていると、現状さまざまな問題が起きていることをむしろ見逃してしまう。そこに入ってくるのが、“やはりサッカーっていいよね。感動するよね““アスリートの努力している姿を見ると気持ちよくなっちゃうよね”という、ある意味のスポーツウォッシュだ。この言葉も非常に問題含みで、本当にスポーツはそんなにいいものなのか? 理想的で純粋でピュアなものなのか? をもう少し考えた方がいいと思っている。僕も信じたい部分はあるが、慣れ親しんできた近代のスポーツ自体に結構面倒くさい要素が入り込んでいるのではないか。男性中心主義だったり、いわゆる健常者の体を基準にルールが決められていたり、さまざまな条件が絡み合ってでき上がっている。そこを見返すというのが必要だ」と述べた。(『ABEMA Prime』より)
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