自民党元幹事長の古賀誠氏が17日のABEMA『NewsBAR橋下』に出演し、橋下徹氏との“衝撃の出会い”について振り返った。
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古賀氏は、1980年の衆議院選挙で初当選して以降、運輸大臣や自民党幹事長、選挙対策委員長など要職を歴任し、2012年に政界を引退。自民党で最も古い名門派閥の宏池会で、現在の会長・岸田総理の一代前の会長を務めていた。
2人が初めて会ったのは2007年、古賀氏が選対委員長になってすぐの時だったという。古賀氏は「堺屋太一先生から電話をもらって、『橋下徹というのに会ってくれ。大阪府知事選挙に出したい』と。『喜んでお会いしますよ』ということで、日時を決めて会った」と説明。
さらに、「その時の第一印象、(言って)いいですか?ご迷惑をかけるかもわからないが」と前置きした上で、「Tシャツ。それはいいんだけど、髪は茶髪で、ズボンはGパン。本当のことを言うと、本人だと思わなかった。スタッフの方が何かの確認で見えたと思ったら、いきなり名刺を出して『橋下です』と。第一印象はびっくりしただけで、話した内容は全然覚えてない(笑)。すぐに堺屋先生に電話して、『本人でしょうか?』と聞いたら、『いつもああいう格好をしているからなぁ』と否定されなかったから、本人なんだな」と明かす。
橋下氏は「初めてこの話は表に出た」と苦笑しつつ、「古賀さんが選対委員長として自民党の選挙を取り仕切るボスで、副委員長が菅(義偉)さんだった。そんなところにTシャツGパン、しかもGパンは破れてたから(笑)」と付け加えた。
当時の橋下氏の出で立ちについて、「何百人という候補者とお会いしてきたけど、いまだかつていなかった」とする古賀氏。一方で、「だから印象深い。当時、福田政権ができてすぐの時で、大阪の知事選挙は自民党にとっては非常に大きな意味を持つ、いわば国政選挙に匹敵するほどの大事な選挙。そんな中で橋下さんを知事候補に立てようと思ったのは、お父さんを早くに亡くしていて、苦労しているんだなというところに共感を覚えたから。それと子どもさんが多いので、“ああ、いいわ。この候補者で”と。僕みたいな古い人間にはついていけないと思ったから、菅副委員長に『この人でいこう』『後は任せる』と言って、あとは責任を持つ。それで戦う体制を慌てて作った」と振り返った。
そうした経緯に橋下氏は「たぶん維新の会で候補者を選ぶとして、TシャツGパンで来たら即アウト(笑)。『まず常識学んでこい!』って言うくらいのところを、古賀さんがたまたま経歴や子どもが多いところなどを評価してGOを出してくださった。それで大阪府知事選に出て、その後の人生が変わった」と感謝を述べた。(ABEMA/『NewsBAR橋下』より)