冒険家・植村直己さん、結婚前と後で変化した“冒険することの意識”「帰る場所は女房の元しかない」
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 『ナスD大冒険TV』では偉大なる冒険家・植村直己さんの超貴重映像を公開。この中で植村さんの結婚前と後での心境の変化が語られる場面があった。

【動画】消息不明になった冒険家の妻、思いを語る

 番組では「天空のヒマラヤ部族 超完全版〜よみがえる冒険家の物語 中編〜」と題した企画が放送。冒険家・植村さんに関する貴重な映像を、ナスDが会社の倉庫で発見したことで、公開に踏み切ったという。

 植村さんはナスDも尊敬する冒険家で、国民栄誉賞も受賞している。1970年に世界最高峰のエベレストに日本人として初登頂を果たした人物で、29歳で世界初の五大陸最高峰登頂者となり(※1970年当時)、1978年には北極圏1万2000kmを犬ぞり単独旅で横断するという途方もない挑戦を実施。1984年には冬季マッキンリーで消息不明となってしまった。

冒険家・植村直己さん、結婚前と後で変化した“冒険することの意識”「帰る場所は女房の元しかない」
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 そんな植村さんが伴侶を見つけた場所は行きつけのとんかつ屋だという。野崎公子さん(通称:公ちゃん)と出会ったのだ。

 しかし結婚して間もなく、地球の最北限の村で、エスキモーの犬ゾリのノウハウを身につけようと、グリーンランドへと立つことにした植村さん。そして飛行機に搭乗する姿を優しく見守る公子さん。

 実は番組でお馴染みの元テレビ朝日・ディレクターの大谷映芳氏と植村さんは、親交がある。あるインタビューで大谷氏が「日本人のヒマラヤの遭難というのは非常に多いですが、ああいうのを見て、どう思いますか?」と聞くと、植村さんは「加藤保男くんなんかもね(1982年エベレスト下山中に消息を断つ)。遭難という答えだけ見れば、ちょっとこう寂しい感じがするんだけど、本人にとっては何か物凄い、それが自分の全ての生涯だっていう感じで懸けている。その姿というのは物凄く素晴らしいと思う。残念だけども反面、非常に美しい物があるというか」と語った。

 冒険家は常に危険と隣り合わせということだ。その上で大谷氏が「奥さんの事を思う事はありませんか? 奥さんをもらわれる前と今ではだいぶ心境が違いますか?」と聞くと、植村さんは以下のように答えた。

 「思わないって言えば嘘なんですね。やっぱり結婚する前と結婚した後では、考え方は変わってきましたね。結婚する前はカッコイイ事言ってホラ吹いてね。行くか引き返すか瀬戸際に立った時に、女房の顔が浮かぶようじゃ『そんなもの(冒険)はできない!』って人前で堂々と、ホラ吹いた事があったんですよ。でも、俺もやっぱり帰る場所は女房の元しかないしね。最終的にはもう、どんなやり方をしても良いけども、死んじゃいけないというのはある。どんな危険に直面してももがいても良いと思う。絶対に生きて帰らなくちゃいけないというのは(ありますよね)」。

 番組内では、植村さんが消息不明となった後の公子さんの会見の映像も紹介された。短い時間ではあるが、植村さんと公子さんの夫婦の絆と深い愛情を感じられる貴重なVTR。この映像を受け、視聴者は「遭難した後の奥さんのコメント。深い悲しみをユーモアで答える心の広さ。すごい夫婦だったんだ」「辛い記者会見、日本最高のいや、世界最高の単独冒険家の女房は世界最高の女房ですね」などの声をネット上に寄せていた。
ABEMA『ナスD大冒険TV』より)

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