1月31日、東京・渋谷で55年にわたって営業を続けてきた東急百貨店本店が閉店した。ここはかつてどんな場所だったのか。過去の航空写真から、現在の渋谷に繋がる開発の変遷が見えてきた。
閉店の日に訪れた人からは、「渋谷区立大向小学校が私たちの卒業した学校。その最後の卒業生。だから思い出の場所」といった話が……。この方はこの場所にあった小学校の卒業生だという。
東急による渋谷開発の象徴でもあったこの場所は、かつてどのような所だったのだろうか。
渋谷駅から徒歩5分の場所にある東急百貨店本店の上空映像を、およそ85年前に時を戻すと、ここには大正時代に開校した大向小学校があった。
太平洋戦争中には、空襲によって校舎も被害を受けていた。その大向小学校は1960年代半ばに移転。その跡地に目を付けたのが、渋谷の再開発に着手していた東急だった。
当時の渋谷は、すり鉢状の地形から集客施設が駅の近くに集中していた。そこで、街のにぎわいを広げる拠点として開店したのが東急百貨店本店。
その後、1970年代から80年代にかけて渋谷一帯では、東急と西武による開店ラッシュとなり、西武百貨店を中心としたセゾングループがパルコ、ロフトをオープンさせた。
東急も109(イチマルキュー)、東急ハンズをオープンさせ、両社が切磋琢磨して、最先端のファッションや音楽など、流行を発信する街、渋谷をつくり上げた。
1989年には東急百貨店本店に隣接する形で「Bunkamura」を開業。2000年代からは「大人も楽しめる渋谷」を目指し、「渋谷マークシティ」などを開業した。
現在「100年に一度」といわれる再開発が進む渋谷。半世紀以上もの間、この場所で渋谷の変化を見守ってきた東急百貨店本店は解体され、2027年度には商業施設やホテルなどが入った複合施設へと生まれ変わる予定だ。
この場所から、また新たな渋谷の文化が生まれようとしている。(『ABEMA Morning』より)
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