芸人のみやぞんが、恩人である石橋と伊集院光をおもてなしすることになり、西麻布にあるイタリアンの名店「アルポルト」のディナーに招待。みやぞんが「芸能界で長く生き残るやり方」について問いかけると、石橋は「長くやることを目標にしていると、意外にそいつらはいなくなっちゃうんじゃないの?」と確信をついて「俺たち世に出たときは、ほぼほぼ『1年ぐらいでいなくなっちゃうだろう』というのが大半の意見でしたよ」と振り返った。
そして、芸能界で生き残れた答えのひとつとして「自分らが面白いことをずっとやり続けていた、ということぐらい」と語った。
伊集院はいまの若手は長生きするために司会に転身して、ほかの出演者に「おいしいところ」はあげてしまうと分析。そして「とんねるずってまったくそれしなかったですよね?」と疑問を投げかけると、石橋は「いまのやつら、みんなMC目指すっていうじゃん? なにそれ? って」と首を傾げた。
「意外に珍しいパターンだと思うんです」と語る伊集院は「ちゃんと冠番組やって、ゲスト呼んで“回し”もやっているじゃないですか。だけど下手するとゲストより面白いことを言ってやろうという姿勢じゃないですか」と続けると、石橋は「俺らの下ぐらいの年代から団体芸になっちゃってるんだよね」と指摘して「笑いは個人芸だと思う」と自分なりの考えを語った、
これに伊集院は「自分なんかはスターに憧れましたけど、スターになれないことは早めにわかるんです」と語って「2番バッターをやろうと思うんです。大勢いるときに、トーク番組をやっているときに、『どうしても困ったときは僕に振ってくれれば少しつなぎます』みたいな位置で。もう団体芸そのものなんです。それが自分のなかでは悔しくもある」と告白した。
すると石橋は「この世界はレギュラーは決まっているから。野球で言えば9人だったら、9人に残るために自分はバントだったら誰にも負けないってバントを磨きあげていくと決めたからそっちにグッといけたわけでしょ?」と伊集院をフォロー。
自身については「憲武はどう思っているのかわからないけど、俺はあくまでエースじゃなきゃ嫌だったし、4番バッターじゃなきゃ嫌だった。だからゲームを決めるのは俺だと思ってた。ゲームが始まって第一球を投げるのは俺だと思ってた。さっき言っていた個人芸だと俺は思っている」と、自身の立ち位置について語った。
伊集院が「僕以降ぐらいみんな、僕の同期もですけどほぼお笑い学校出じゃないですか。みんなお笑いのスクールから出ている」と指摘すると、石橋は「これがさ、おかしいんだけど。お笑いって学校で学べるものなの?」と問題提起。
これには伊集院も「俺も『学校が嫌いなやつがお笑いにいくんじゃないの?』って思うんです」と同意していた。
(ABEMA『石橋貴明 お礼参り THE WORLD 4週ぶち抜きSP』)