ザキヤマことアンタッチャブル山崎がM-1で3位になる直前、芸人を辞めてくりぃむしちゅー有田の専属ドライバーに転職しようとしていた過去を告白。「月に50万もらえたらよくない?って」「相方には内緒で密約」と当時の思い出を語った。
1月14日(日)、有吉弘行のクイズバラエティ『有吉クイズ』(テレビ朝日系列)が放送。有吉ファミレスシリーズ「自分の過去で芸人版人生ゲーム作り」に、オードリー・春日俊彰、アンタッチャブル・山崎弘也、バイきんぐ・小峠英二が参加した。
下積み時代のあと、若手芸人として売れ始めた時期のマス目作り。山崎は2003年M-1で3位になり500万をもらったことが一つの転機と明かした。
というのも、山崎は同時期に芸人を辞めようとしていたから。「有田さんのドライバーになろうと思った。月に50万とかもらえたら良くない?みたいな」「(相方の)柴田さんには内緒で密約していたんです」と語った。
前年のM-1は3回戦で敗退しており、「ぶっちゃけ、無理だと思っていた」という山崎。ところがその年は敗者復活戦で勝ち上がり決勝に進めることに。山崎は喜びつつも「やべ、有田さんのドライバーできなくなっちゃう」と困惑も。「一緒にM-1を見ようって約束していたから、『やべ、有田さんと一緒に見られなくなっちゃう』って。(決勝に)出ちゃうから『有田さんすいません。ちょっと行けなくなっちゃいました』って」と裏話を明かした。