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【映像】幼少期の宮崎麗果と父
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 3月5日に芸能界復帰を発表した実業家で4人の子どもの母・宮崎麗果(36)。夫の黒木啓司さん(44)とともに子育てに励みながら、2人で経営する会社は年商25億円にものぼる。

【映像】幼少期の宮崎麗果と父

 Instagramでは、家族との華やかな日常を発信。同世代の女性を中心に多くの支持を得て、フォロワー数は42万人を超えている。ABEMAエンタメでは、母でありカリスマ経営者の宮崎に単独インタビューを実施。輝かしい経歴の裏にあった“葛藤した過去”を明かした。

高校生でアメリカから帰国「今思えばちょっといじめられていたのかな」

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 教育熱心だった父の影響で、幼少期から勉強に打ち込んでいたという宮崎。当時の夢は、国際弁護士になること。

宮崎:東京のインターナショナルスクールに行っていたので、第1言語が英語という環境にいました。なぜかと言うと私の父が韓国のハーフで、私がクォーターだから「インターナショナルな環境にいさせたい」というのが父の希望だったみたいで、最初から英語で育ちました。小学6年生からアメリカに家族で移住し、アメリカの大学の全寮制のキャンプに3週間行って弁護士の勉強をやっていたり、今思えば意識高い系の子どもでした(笑)。お父さんもすごく意識が高い人だったから、夕飯を一緒に食べる時は「じゃあ今日の時事問題について話し合おうか」「今のパレスチナ問題についての意見教えて」そういうのを小学生の頃からめちゃくちゃしていました。

 高校生の時にアメリカテキサス州から帰国。幼い頃から英語で育ってきた宮崎に、「言葉の壁」が立ちはだかった。

宮崎:日本の学校になじめなかったんですよ、私が。言語の問題もありましたし。だから一時期、不登校じゃないけど、保健室登校をした時期はありました。すごく生きにくくなっちゃったんですよね。日本人なのに日本語がしゃべれない、けど別にアメリカ人なわけではない、「私はなんなんだろう…」という悩みが10代の頃ありました。日本の歴史の授業や国語の時間は、みんなその時に受験勉強を始めていたので、もちろん全くついていけないし。成績が良いのが自分の1つの特徴だと思っていたのが、最下位になっちゃって自分のアイデンティティーを見失ちゃったんです。今思えば高校の青春や学園祭とか、なんの良い思い出もなくて、今思えばちょっといじめられていたのかなと思います。

 高校生で自信をなくした宮崎。輝ける場所を見つけたのは、上智大学に進学してから1年ほど経った頃だった。宮崎の個性を芸能界が発見。フジテレビのバラエティー番組『キャンパスナイトフジ』に出演し人気を集めた。

宮崎:女子大生の番組に出たりとか、あとはバラエティが主に…。楽しかったです。日本語がしゃべれないこともいじってくれたり「それもキャラ」と思ってくれたのはすごくうれしかった。「居場所があった」とすごく感じて。学校だったら「みんな同じにならなきゃいけない」みたいなのが多い中で、芸能界は“ちょっと変わっている方”が重宝されるじゃないですか?だからそれはすごく居心地が良かったです。

活躍の場が広がるにつれ追い込まれ、摂食障害に…

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 当時、女子大生でありながら、家賃30万円のマンションを借りていたという宮崎。一見、順風満帆に見えるが、活躍の場が広がるにつれ、宮崎は追い込まれていった。

宮崎:「細ければ細いほど良い」みたいなのがあって、特にモデルになった時にオーディションで容赦なく大人から「ちょっとデブじゃない?」「足太いよ」「もうちょっと痩せなよ」とか言われることが多くて、真に受けてしまって。“0か100か”の性格だから「じゃあ痩せなきゃ」と思ってしまった先に、それが行き過ぎてしまって“摂食障害”になっちゃって…。(体重は)一番低くて41〜42kgまでになっちゃって、服がGAPやZARAのキッズサイズしか入らないくらいだったんですよ。それでも「自分は細い」と思わなくて、鏡見ても「別に細くない」と思ったし。けど周りは「やばいよ」みたいな感じだけど「やばいよ」と言われるのが“ある意味”良かったというちょっと変な風になってしまった時期があって。

 心身ともに自身を追い詰めていった宮崎は、24歳の時、ある決断をした。

宮崎:(芸能活動を)ずっと続けていてもあまり先が見えなくなってしまって、それよりももうちょっと地に足をつけて自分のためになるようなことをしていかないと。ブレイクする予感も全然しなかったし、だからこれは早めに見切りつけて違う道に進んだ方が良いって私も思ったし、父からも「もうちょっと勉強したら?」と言われて「そうだよね」となってやめました。

「まだ成功したと思ったことは一度もない」ストイックな素顔

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 限界を感じ、芸能活動を休止した宮崎。その後、台湾への留学を経て、26歳の時に起業。30歳で美容系のコンサルティング会社を立ち上げた。

宮崎:本当に手元の資金が全然なかったし「どうしよう」となった時に、一番お金がかからなかったのがコンサルなんですよ。この商品を売りたいからどうマーケティングした方が良いか、じゃあ「こう売り出したらどうですか」とか「もうちょっとこうしたら良いですか」とか広告関係が多いです。マーケティングのやり方をコンサルするのがとても多いです。

 宮崎の勉強熱心な性格がマーケティング研究で発揮されコンサル会社は、みるみる成長。

宮崎:コンサルをやっていく中で、どんどん自分も化粧品について詳しくなっていって「こういうものを作りたいな」「ああいうものやっていきたいな」と思って化粧品の会社を立てました。化粧品を開発していく中で「原料についてもっと詳しくなりたい」(原料を)「自分も卸したい」となって“原料の卸し”を始めて。「植物療法」に出会って私自身の体調不良がすごく多かったから植治療法を通して自分も健康になったから「じゃあこういった事業を立てよう」と思って植物療法の会社を立てました。

 コンサルを行っていく中ではじめた、化粧品と植物療法の会社を筆頭に、現在では4つの会社を経営している。

宮崎:まだ「成功した」と思ったことは一度もないかな。まだ頑張っている最中だし、これからどんなことが起きるかもわからないですし。まだ成功とは全く言えないかなとは思いますけど、家族を幸せにできているかな、とは思います。

(『ABEMA NEWS』より)

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