ペルーの首都リマにあり、高級住宅街のカスアリーナ地区とスラム街のパンプローナアルタ地区を隔てる「恥の壁」。現場を訪れ貧富の差を目の当たりにするなか、富裕層の地元男性から壁に対する率直な思いを聞き、東出昌大が考え込む場面があった。
6月16日(日)夜9時より、『世界の果てに、東出・ひろゆき置いてきた』がABEMAにて放送された。言論界で大暴れする日本一ロジカルな男・ひろゆき(西村博之)を、論理の通じない過酷な世界に、10万円だけ渡して放り込んだらどうなるのか?そんなテーマのもと、アフリカ・ナミビアの砂漠に置き去りにされたひろゆきが、アフリカ大陸を横断する旅に密着した『世界の果てに、ひろゆき置いてきた』。その第2弾となる本作では、前回ひろゆきの旅のパートナーを務めた東出昌大が、エクアドル・プラタ島に置き去りにされ、南米を横断する旅に出発。ひろゆきは2日目から合流した。なお、使って良い移動手段はローカル路線バス、ヒッチハイクなど基本的に陸路のみとなっている。
ペルー・リマで迎えた南米旅11日目。午前6時、東出は旅に同行する豊川ディレクターとともに「恥の壁」をこの目で見るべく、小高い丘の上を目指した。なお、このときひろゆきは『ABEMA Prime』にリモート出演するため、東出とは別行動となった。
バスを降り、急な岩場を登っていく東出と豊川ディレクター。道中では、高級住宅街のカスアリーナ地区を見下ろす場所も。同地区には1軒7億円以上の家もあり、実際にプール付きの家も確認できた。なかなかたどり着かないため、一行は散歩をしていた地元の男性2人組に「恥の壁」までの行き方を確認。男性たちは「かなり急斜面なので気をつけて」「反対側には貧困層が多く住んでいる地域があるんだ。そこは非常に危険ですから注意してください」と忠告しつつ、快く道案内をしてくれた。
豊川ディレクターが「恥の壁はどういった目的で作られたんですか?」と尋ねると、1人の男性は「壁は2箇所あって、1つは向こうにある政府が作ったものです。こちらの壁はまた別です。私はここに50年近く住んでいますが、昔は向こう側の人たちが不法占拠でどんどんこちらへ押しかけてきたんです。ここにある壁は彼らの侵入を防ぐために、この土地を買い取った所有者が自腹で壁を建設したんです。恥の壁と呼ばれていますが、こちら側からすれば恥の壁とはいえません」と壁が出来た経緯を説明。さらに東出が「不法占拠の人たちは、土地を買うお金がないから不法占拠を始めたんですか?」と問うと、男性は「ペルーでは80年代から90年代に地方でテロが頻繁に起こって、地方の人たちはリマに逃げてきたんです。お金がないので山の斜面を不法占拠して質素な家を建てたのが始まりです」と答えた。ペルーでは人口の20%が国の所得の半分を手にし、70%は毎日14ドル以下の収入で暮らしている。後者に属するパンプローナアルタ地区の住民は、テロや犯罪で住処を失ったり、現金収入を求めてアンデスから出稼ぎに来たりした人々だ。彼らは日々生きるため、土地を不法占拠し、世界最大級のスラムを形成したのだった。
地元の男性2人組と別れる直前、東出は「この壁はこのままあった方がいいと思いますか?」と問いかけた。すると彼らは「無くなるのが理想」だとしつつ、不公平感を吐露。そう感じる理由について、次のように述べた。「こちらの住民はちゃんと土地を買って税金も払っている。でも向こう側は、不法占拠して税金も何も払っていない。不法占拠だとしてもその場所を10年占拠し続ければ、その土地の所有権を申請できる法律があります。何年も住んだという理由でね」「これは決して差別とかではなく、こちら側からすると、とても不公平なことだと思うんです。彼らも一部でも支払うならね…」
複雑そうな表情を浮かべ、富裕層側の主張に耳を傾けていた東出。このとき、東出が何か言葉を発することはなかったが、深く考え込んでいる様子だった。その後一行は、さらに急な斜面を登り、「恥の壁」に到着。壁の向こう側に広がっていたのは、言葉を失う光景だった。そこにはトタン屋根の質素な家が立ち並び、ゴミの匂いが丘の上まで漂ってくる。パンプローナアルタ地区には約9万5000人が暮らしているが、電気や上下水道などのインフラも充分に整備されていない。東出は「全然違うわ」「世界が違う」とぼう然。さらに、貯水用のタンクが置かれているのを目にし、「こっちは水もろくになくてタンクがある中で、向こうは庭のプールに水をたたえて、娯楽のために泳ぐわけだから。格差ってね」と口にした。
その後も東出は、こみ上げてくる感情をうまく言葉にすることができず、何度も思い悩む様子を見せていたが、同シーンの後半では「善と悪っていう二元論だけじゃ語れない」とコメント。続けて「日本だって同じ資本主義社会で、差別なのか区別なのかわからない問題がいつか頻発するんじゃないかと思うと、全然他人事とは思えない」「わかった気でしかない。でもやっぱりこの気持ちを持って帰らないと」と真剣に語っていた。