石破総理が政権を継続できたとしても、多数派工作がうまくいかなかった場合、自公両党は、少数与党となります。
【画像】政権維持へ多数派工作が必要に “短命”“不安定”の過去 課題は
■羽田内閣はわずか64日で退陣
政治は数の論理。過半数割れした自公政権に、力で押し切る選択肢はありません。
衆議院で過半数に満たない少数与党の内閣は、野党の協力なしに法案を通せません。政権基盤が弱く、高まるのは短命内閣で終わる可能性です。
過去、少数与党の内閣が発足した例と言いますと、30年前に発足した羽田孜内閣に遡ります。
羽田孜総理(当時・1994年) 「図らずもこの難しい時代に重責を担うことになり、しかも、少数与党による政権ということでありまして、大変、厳しいものがあろうと思っております」
党首だった新生党だけでは衆院で過半数に満たなかったため、公明党、民社党などによる7党1会派の連立政権でした。しかし、総理に指名された直後、小沢一郎氏らの策略に猛反発した社会党が離脱してしまいます。
社会党・村山富市委員長(当時) 「経過を無視して、特定の政党や個人が恣意的に枠組みを壊したことは許しがたいことである。社会党は、連立政権の一員にとどまることはできず、国民とともに政治の改革を決意し、連立政権の組閣に応じることはできない」
その後、野党だった自民党から不信任案が出され、社会党も賛成に回ったことから、羽田内閣は総辞職に追い込まれます。
戦後2番目に短い、64日の短命内閣でした。その後、“自社さ”政権が誕生し、いまの自公政権へとつながっていきます。
これから新たな再編が始まるのでしょうか。
自民党中堅議員 「少数与党が内閣だと、先の見通しが全く立たない。不信任出されたらすぐに倒れる」
公明党関係者 「総理指名までに超えないといけない山が一山もふた山もある。相手も簡単にはいかないだろう」
■“短命”“不安定”の過去 課題は
いわゆる“少数与党”での政権運営がどうなっていくのか。
過去を見ても、少数与党での政権は短命に終わっています。
1993年の細川護熙内閣で、“8党派”での非自民・非共産連立政権が発足。自民党が発足以来、初めて野党に転落しました。
細川内閣は、8カ月後に総辞職。その後継として、羽田孜氏が総理に指名されますが、直後に社会党が連立から離脱。“少数与党”として羽田内閣が発足します。在任64日、戦後2番目の短さで総辞職となりました。
そして、自民党は、社会党の村山富市氏を総理に担いで、自民・社会・さきがけの三党連立で、政権復帰を果たしました。
◆ここからは、テレビ朝日政治部の藤川みな代部長に聞きます。
(Q.今回も少数与党での政権運営になる、そういう公算が大きいということが言えると思うんですけれども、今の羽田内閣の例を見ても、少数与党での政権運営がいかに難しいかというのがわかりますよね。)
政治部・藤川みな代部長 「予算案ですとか、法律案を通しにくいというのはもちろんなんですけれども、何よりも自公の議席を野党が常に上回っているという状況が続くわけですから、いつ内閣不信任案を可決されるのかという状況が続くということで、極端に言いますと、何一つ思い通りにならないと。常に野党の顔色をうかがって進めなければならないということで、おそらく国会対策に途方もないエネルギーを割くことになると思いますね」
(Q.大越さんも当時、政治記者として取材していた思いますが、当時の印象はどうでしたか)
大越キャスター 「藤川さんがおっしゃったとおりで、羽田内閣発足当初から短命が予測されていたんですけれども、予算の成立が遅れに遅れていて、その年の予算を成立させることに、国会対策にもエネルギーをほぼ使い果たした形になりました。私は当時、野党だった自民党の担当記者だったんですけれども、政権の奪還のために、自民党執行部、長年、対決してきた関係にある社会党の村山富市さん。その社会党の村山さんを担ぐという、当時、禁じ手とも言われましたけれども、その離れ業を演じて、連立の一角として、政権復帰を果たしたわけで、記者としても、忘れられない激動の政局でしたね。羽田さんの内閣の時、あるいは細川内閣の時、さらにはその前の自民党。石破さん、因縁深いですよね」
政治部・藤川みな代部長 「そうですね。そのころ、若手議員の一人として、政治改革を訴えていたのが石破氏ということで、その石破氏が、今回、立場が変わって政権を維持する側に回らなければいけないというところが、皮肉なめぐり合わせという感じですね」