「マサヤー・マサヤー(嬉しい・嬉しい)」
日本とフィリピンを結んだスマートフォンに映し出された満面の笑みの男性。無国籍として戦後を生き抜いてきたフィリピン残留日本人2世の香村サムエルさん(82)。
日本国籍の回復が、遂に日本の裁判所に認められた。
去年、日本人の父の出身地・沖縄から寄せられた「親族かもしれない」という情報提供をきっかけに調査は大きく動き出した。
父との繋がりを認められ、日本人となったサムエルさんが得たもう1つの絆とはー。
(テレビ朝日報道局 松本健吾)
■戦後混乱期に “無国籍”に…情報提供呼びかけに沖縄の親族が名乗り
フィリピン・ブスアンガ島に住む、フィリピン残留日本人2世の香村サムエルさんは13日、戸籍を新たに作る「就籍」が那覇家裁に許可された。日本国籍の回復が認められたのだ。
サムエルさんの父親は、戦前にフィリピンに渡った沖縄出身の赤比地勲さんで、戦時中に現地住民に殺害された。戦前の国籍法では父親が日本人の場合は子どもも日本国籍になったが、父親の戦死や強制送還で手続きができず、残留2世の多くが無国籍状態となった。
サムエルさんは去年12月、国籍回復のために必要な証拠を集めるため、父の出身地・沖縄を訪れた。情報提供を求めたところ、戦後、「赤比地」から改姓した「香村」家の複数の親族が名乗り出た。
■調査で父に関する新たな資料を発見 父子関係の証明に
実は、「赤比地」という姓は、沖縄・うるま市の平安座地区周辺の珍しい姓だという。情報提供を呼び掛けるニュースを見聞きした赤比地姓にルーツを持つ関係者が、サムエルさんの国籍回復のサポートをしていたNPO法人に連絡をとったのだという。
親族から提供された赤比地勲さんに関する資料には、国籍回復につながる以下の新たな証拠が含まれていた。
当時、沖縄では、本名とは別に親族の名前を組み合わせて“別名”を使うことがあったが、勲さんの姉の名前が「カメ」、父の名が「タロ」で、合わせるとサムエルさんが話す父の名「カメタロウ」に近い「カメタロ」になること
勲さんの姪が、「父親から『叔父(勲さん)はフィリピンに妻子がいた』という話を聞いていた」と証言したこと
赤比地家の先祖代々の名が記載された書類には、勲さんの妻の欄に「イリミンテーナ」の名が記されており、サムエルさんの母の名「クレメンティーナ」と似ているということ
今回、こうした証言や様々な証拠をもとにサムエルさんと勲さんの父子関係が証明された。
■国籍回復の高いハードル 「政府は一括救済を」
私たちは、2年にわたりサムエルさんら残留2世が国籍回復を願い続ける実態を現地取材し、ドキュメンタリー番組などで伝えてきた。この間、取材に応じてくれたサムエルさんを含め5人の残留2世が日本国籍を回復することができた。
一方で、現在も、フィリピンには日本にルーツを持つ"無国籍"者が400人近く残されている。日本国籍の回復を果たせずに亡くなった人もいる。証拠不十分として、申請を棄却された人もいた。日本国籍回復のハードルは依然として高いままだ。
支援を続けるNPO法人の代表は、「サムエルさんのケースは報道と親族の全面協力があり身元判明と国籍を勝ち取ることができた。残留2世は戦争のために家族離散、残留を余儀なくされた人たち。彼ら自身で証拠を集めるには限界がある。このままでは手遅れになる。あとは政治の力で国籍を認める一括救済など、一刻も早く救済措置を進めてほしい」と訴える。
■終わらぬ戦争の痛み 残された時間はわずか
私はこの日、サムエルさんの国籍回復を認める書類が裁判所から届いたという一報を受け、急いでNPO法人の事務所に駆け付けた。「就籍することを許可する」と書かれた書類には、「香村サムエル」の名が記されていた。フィリピンにいるサムエルさんとビデオ通話を繋いでもらった。
「今の気持ちはどうですか?」
「マサヤー!マサヤー!(嬉しい!嬉しい!)」
満面の笑みで答えるサムエルさんの姿を見て、こちらも自然と笑顔がこぼれた。画面の向こう側でサムエルさんが被っていたのは、沖縄の伝統工芸で作られた帽子。実はこのタイミングで、沖縄に住む親族がサムエルさんの住むフィリピンの島を訪れ、プレゼントしたものだった。
去年12月の出会いをきっかけに、サムエルさんは親族と連絡をとりあい、今回のフィリピン訪問が実現した。親族は、サムエルさんの案内のもと、父・勲さんが殺害された場所に向かい、沖縄から持参した線香やお菓子を供え、手を合わせたという。
サムエルさんと話したあと、沖縄から来た親族とも話をすることができた。「きょうは大宴会だ」と嬉しそうに教えてくれた。泡盛でお祝いをするのだろうか。サムエルさんもきっとフィリピン流の盛大なおもてなしを用意しているのだろう。
この“無国籍”問題の取材を続けていると、終わらぬ戦争の痛みが残されていることに気づかされる。
来年は戦後80年。残された時間はわずかだ。1人でも多くの残留2世が、サムエルさんのように日本との新しい絆を結び、満面の笑みを浮かべることができるように、取材を続けたい。