9年前、熊谷6人殺害事件で家族3人の命を奪われた加藤裕希さんは、当時の警察の対応を問題視してきた。『逃走犯による無差別連続殺人』を防ぐ手立ては本当になかったのか、司法に訴え続けた。しかし、最高裁は加藤さんの上告を棄却した。上告“不受理”としており、加藤さんの上告を受け付けていない。一体どういうことなのか。
司法は国民にとって“最後の拠り所”ではないのか。実は、加藤さんが司法に失望するのは、この裁判が初めてではない。加藤さんの訴えを阻む“司法の壁”に向き合う。
1) 遺族が問題視した“最初の殺人事件”後の県警
事件が起きたのは2015年9月。ペルー人の男が埼玉県警の熊谷警察署から逃走し、その翌日、熊谷市内で50代の夫婦を殺害した。さらにその後の2日間で、80代の女性を殺害した後、加藤さん宅に侵入し、妻と2人の娘を殺害した。娘たちは小学校から帰宅して、命を奪われた。加藤さんは、いつも通り朝、出勤し、仕事を終え帰宅すると、一緒に暮らしていた家族3人全員が事件の犠牲になっていた。
加藤さんは自ら裁判を起こし、最初の殺人事件が起きたときの埼玉県警の対応を問題にした。県警は、最初の殺人事件が起きた翌日の未明、熊谷署から逃走中だったペルー人の男を「参考人」として全国に手配していた。しかし、男の逃走すら公にせず、防災無線などを用いての注意喚起もないまま、連続殺人に至った。
加藤さんは裁判で「最初の殺人事件が起きたとき、埼玉県警が『逃走犯による無差別殺人』の可能性があると注意喚起していれば、私も妻も警戒を強めて犯行を防ぐことができた」と訴えた。しかし、1審、控訴審ともに、加藤さんの訴えを退けた。
そして今回、最高裁も加藤さんの上告を棄却、加藤さんの敗訴が確定した。この最高裁の決定には、熊谷6人殺害事件についての言及は一切ない。どういうことなのか。
2) 上告“不受理”で遺族の失望さらに「闘う土俵にも上れず悔しい」
熊谷6人殺害事件の遺族、加藤裕希さんが起こした裁判で、最高裁は加藤さんの上告を棄却したが、この最高裁の決定は、事件について一切、言及していない。どういうことなのか。
最高裁への上告は法律上、憲法違反や判例違反などに限定されており、今回の最高裁決定は「上告理由に当たらない」としていた。つまり、最高裁が加藤さんの上告を受け付けていないまま、事件当時の埼玉県警の対応は違法ではないとする、司法判断が確定したことになる。加藤さんは、日曜スクープの取材に対して「闘う土俵にも上れず、悔しい」と話した。
番組アンカーの末延吉正(ジャーナリスト/元テレビ朝日政治部長)は、今回の最高裁の決定について、以下のように指摘した。
番組がこの裁判にこだわってきたのは、普通に暮らしていた人がなぜ家族の命を奪われなくてはならなかったのか、警察は防ぐことができたのでは、という遺族の悲痛な訴えがあったからだ。最高裁は遺族の訴えを受け止めて、弁論する機会を与えてほしかった。そして、上告を棄却するのであれば、なぜ棄却なのか、真摯に説明してほしかった。血の通った裁判所であってほしい。どの国も色んな問題を抱えているが、裁判所は国民にとって、最後の拠り所の部分がある。それにもかかわらず、形式的に門前払いにするとは、関係者はもっと深く考えてもらいたい。今回の決定が日本の市民社会をどれだけ痛めつけているか、わかってもらいたい。
加藤さんが司法に失望するのは、今回が初めてではない。家族3人の命を奪ったペルー人の男は、一審の裁判員裁判で死刑を言い渡されたものの、控訴審では、心神耗弱を理由に減刑され、無期懲役となった。この控訴審判決は、加藤さんの長女への性的暴行や殺害の手口など、責任能力を強く伺わせる証拠には、なぜか言及していない。加藤さんは検察による上告を望んだが、検察は上告を見送り、死刑の回避が確定した。
加藤さんは、今回の上告棄却後、SNSに投稿した。
「刑事、民事裁判ともに結果が残せず、亡くなった3人に報告ができません。(事件後の)この9年間は何のために歩んできたのか、自分が情けないです」
末延吉正(元テレビ朝日政治部長/ジャーナリスト 永田町や霞が関に独自の情報網を持つ。湾岸戦争などで各国を取材し、国際問題にも精通)
(「BS朝日 日曜スクープ」2024年11月17日放送分より)