祈り続けた“平和”と“寛容” 前日に最後の言葉…フランシスコ教皇(88)死去
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世界に13億人以上の信者を抱えるローマ・カトリック教会の最高指導者フランシスコ教皇が亡くなりました。88歳でした。

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思想の自由と寛容
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フランシスコ教皇は、2月から肺炎で入院していました。2度の急性呼吸不全を乗り越え、先月退院。20日の復活祭に登場し、約3万5000人が見守るなか、「親愛なる皆さんへ、ハッピーイースター」と伝えたのち、メッセージが代読されました。呼びかけたのは「思想の自由と寛容」です。

フランシスコ教皇
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フランシスコ教皇は2013年に就任。アルゼンチン生まれで、初の中南米出身のローマ教皇です。

気さくな一面
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自宅はアパート、移動はバス、少年の自撮りに応じる気さくな一面もありました。

改革派
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長く“保守派”が率いてきた歴史にあって、フランシスコ教皇は“改革派”でした。

かつての植民地支配について、異例の謝罪を行いました。

フランシスコ教皇(2022年7月)
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フランシスコ教皇(2022年7月)
「私がここに来たのは、懺悔の巡礼の第一歩として、再び許しを請うためであり、多くのキリスト教徒が、先住民を抑圧した植民地主義を支持したことをお詫びします」

2019年、日本を訪問。青年時代、核兵器の惨状に心を痛め、広島・長崎を訪問し、強いメッセージを発することが責務だと思い続けてきたそうです。

フランシスコ教皇(2019年・広島)
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フランシスコ教皇(2019年・広島)
「戦争のために原子力を使用することは、現代において、犯罪以外の何ものでもありません。核戦争の脅威で、威嚇することに頼りながら、どうして平和を提案できるのでしょうか」

被ばく証言をした梶本淑子さん(94)。

被爆者 梶本淑子さん
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被爆者 梶本淑子さん
「神様みたいに素晴らしい方でした。あっちもこっちも争っている。こういうときに亡くなるのは、本当につらいと思います」

ウクライナ侵攻には、こう訴えました。

フランシスコ教皇(2022年4月)
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フランシスコ教皇(2022年4月)
「武器を置いてください。廃墟の山に旗を立てることが、勝利だといえるのでしょうか」

在位12年間で、60以上の国と地域を訪問。人種や性別にとらわれることなく、祈りを捧げ続けました。

フランシスコ教皇(2022年11月6日)
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フランシスコ教皇(2022年11月6日)
「私たちは真実を語らねばなりません。場所によっては、女性と男性が平等でないからこそ、女性の権利を求める闘いはいまも続いているのです」

フランシスコ教皇(2013年7月)
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フランシスコ教皇(2013年7月)
「ある同性愛者が、主を求め、善意を持っているのなら、私に裁く資格はあるのか」

コンクラーベ
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葬儀ののち、今後、20日以内に新たな教皇を選ぶ“コンクラーベ”が始まる予定です。

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