
東京・秋葉原の電気街で、74年にわたり親しまれてきた書店が惜しまれつつ、閉店を迎えた。90歳の店主が語った閉店の理由とは?
【画像】「牛が荷車を引いていた時代」昭和26年開業した秋葉原ラジオセンター
一坪書店で切り盛り
東京・秋葉原のガード下にある「秋葉原ラジオセンター」。その一画にあるのが、1951年に創業した万世書房だ。
長年、店を切り盛りしてきたのは、店主の霜鳥和子さん(90)だ。
「1坪なんて本屋さんないでしょ、他に。うちは世界で一番小さいんじゃないかな」
限られたスペースに並ぶのは、電子工作やオーディオ機器、アマチュア無線などの厳選された専門書だ。
カウンターの中から手を伸ばせば、ほとんどの本に手が届く。ちなみに、カウンターの中へは下の扉から出入りする。
「外国人があきれているって、こんな入り口」
74年にわたって愛されてきた小さな書店が21日、その長い歴史に幕を下ろした。
霜鳥さんが店を受け継いだのは40年以上前、きっかけは父親が病に倒れたことだった。
手伝いで店に立つことはあったが、電子機器や無線などに関する知識はなかったという。
「私が全然知らないことをみんな知っていらっしゃる。お客様に教わったの」
どんな本を仕入れたらいいかも分からなかった霜鳥さんを常連客が支えてくれたという。
「(昭和)26年開業した時のラジオセンター」
「(Q.牛が引いているんですか?)牛が荷車引いて、そういう時代だったのよ」
近年は本が売れず…
戦後、焼け野原から始まった秋葉原は復興に向かうなか、電子部品などを扱う店が増え、その後、日本有数の電気街に発展した。
当時、万世書房にも多くの人が足を運び、雑誌や専門書が飛ぶように売れたという。
岩手出身の客(60代)
「もう夢のような所じゃないですか。地方に行くと、そういうパーツだとか専門書はまず入手困難なんです」
客(60代)
「こんな本があったという発見がいつもあるから、ここに来て買うのがいい。その時に(作曲家の)冨田勲さんがシンセサイザーを始めて、自分でシンセサイザー作りたいってなって」
男性は子どものころから買い物に来ていたという。
「去年、定年したんですよ。定年してから改めて今、シンセサイザー作っています。アナログの、楽しいですよね」
多くの人の“モノづくり”を支えてきたが、近年は本が売れなくなっていたという。霜鳥さんはこう話す。
「悪くなったのは平成に入って2年ぐらい。それまで昭和のころは良かったのよ。後はずるずると。作るっていうことがだんだん減ってきたんじゃないかな」
最後の日となった21日。店を閉めた霜鳥さんを常連客たちが待っていた。
「ありがとうございました」
「ホッとしました」
(「大下容子ワイド!スクランブル」2025年12月25日放送分より)
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