
東日本大震災の発生から11日で15年を迎えます。震災を経験した方々にうかがいました。災害の1日前に戻れるとしたら何をしますか?
1日前に戻れたら何をしますか?
15年前、東日本を襲った地震と津波は2519人の行方を、今も分からないままにしています。
福島・新地町 60代 民生委員
「災害時に脱出する時は介護用品を必ず持ち出す」
岩手・宮古市 50代 建設会社社長
「海の近くで大きな揺れを感じたら、何度でも逃げてほしかった」
これらは、「災害の1日前に戻れたら何をするか」という質問に対する、被災者の答え。内閣府の公表から抜粋したものです。
今回、私たちは震災を経験した3人に同じ質問を投げ掛けました。震災の1日前に戻れるなら何をしますか?
もしかしたら、大災害の前日かもしれないきょう、私たちにできることは?
波にさらわれた酒造
1人目は、鈴木荘司さん(49)。福島県浪江町の「鈴木酒造」で当時から日本酒造りに携わっていました。
浪江は津波に襲われた街の一つ。150人が水に溺れて亡くなり、651の家屋が全壊しました。
鈴木さん
「車はトランポリンに乗るように、ポンポンポンポン跳ねて、やばいと思ったら家が倒れた」
江戸時代から続いていた酒造も…あの日、波にさらわれてしまいました。
原発事故の影響で、一時は浪江を離れざるをえなかったものの、2021年、再びこの地で酒造りを始めた鈴木さんに質問です。
「(Q.2011年3月10日に戻れたら?)(地震は)来るという気持ちは持っていないといけない。津波に関しては、とにかく早く逃げる」
被災の経験から、鈴木さんはきょうこの日も備えています。
「常に1週間分の服を(車に)乗っけている。厚い服が多めに入っている。(震災)当日はすごく寒くて、体力が奪われていった」
15年前“教師の後悔”
2人目の三浦浩さん(67)が当時いた場所は…。
「私は石巻市の渡波中学校の教員で、学校は海から200メートルしか離れていない」
あの日、教師だった三浦さんには後悔がありました。
「津波が来るのが見えて、慌てて住民と一緒に校舎の3階へ避難した。津波は2階で止まったので3階で生き残ることができた」
三浦さんが当時勤務していた、宮城県石巻市の中学校にも津波は到達していました。
「学校の管理下ではないが、自分の学校の生徒が6人亡くなった。『責任がない』とは言えないんじゃないか。大震災の教訓を少しでも多くの人に伝えていく必要があると思った」
現在は「語り部」として活動する三浦さんが、私たちの問いかけに出した答えは…。
「とにかく大きな地震が来たら、津波が来るという認識を持って、いち早く高台などへ避難するという覚悟を持つ。覚悟をほとんどの人が持っていなかったので、逃げなかったり逃げ遅れたりしたのかなと思う。どういうルートでどこへ避難するのか、そのための訓練を1回しておくことが大事だと思う」
「いつも笑顔で」
3人目は、福島県双葉町の山本敦子さん(54)。
原発事故により避難生活を余儀なくされた経験があります。ただ、2020年に再び双葉町に戻り、カフェを開きました。
「あの日に戻っていいよと言われたら…一番『えっ』と思ったのは、ガソリンがなかったことで、満タンにしておく。日ごろ気が付かないことだが、避難する時に数十キロ先へ行かなければならなかった。渋滞で思うように進まない」
避難所で手に入れにくかった経験から生理用品の備えも重要だと感じています。そして、家族にはこんな思いも…。
「もっと子どもたちに優しくしようかなと思う。そういうところに後悔を残したくない。いつも笑顔で」
(2026年3月10日放送分より)
この記事の画像一覧
