
74歳の夫婦が経営するラーメン店が東京・多摩市にあります。
【画像】一番人気「豚肉細切りあんかけ御飯(700円)」しょうゆベースで甘辛くとろみをつけたあんをかけた一品
多摩ニュータウンの誕生とともに歩み、バブル崩壊も経験して酸いも甘いも知り尽くした主人が作る懐かしい味に、多くの人がとりこになっています。
自宅庭のプレハブで営業
たっぷりの野菜と鶏がらや豚がらをじっくりと煮込んだスープが自慢のタンメン。そのお味はあっさりですが、しっかりうまみを感じます。
タンメンを作っているのは、74歳の店主の柚木敬知さん。夫を支えるのは、妻の育子さん(74)です。
妻・育子さん
「(店主の次の作業を)頭に入れて動かないと、この時間やっていけない」
地域と共に歩んで53年。人情ラーメン店が愛される理由とは。
「中華百草」があるのは多摩ニュータウンのど真ん中、昭和40年代に建てられた団地が立ち並ぶ一角にあります。
店があるのは戸建て住宅の庭。プレハブの店内はおよそ6畳で、カウンターとテーブルを合わせて8席です。
敬知さん
「家賃が払えないとなって。自宅の庭が広いから、自宅にプレハブを建ててやるしかないっていうので、ここに来たんですよ」
「中華百草」の始まりは、53年前の昭和47年。人口が急増するニュータウンに目をつけ、開店を決意しました。
「うちの父親が案外個性的な人だったので、男は使われていちゃダメだと」
それから13年後、敬知さんが34歳の時に2号店をオープン。多摩ニュータウンの発展とともに店は大繁盛し、6人の従業員を雇うまでになりました。ピーク時の売り上げは、1日15万円にも上ったといいます。
その後、バブルが崩壊。敬知さんは再起をかけ、1993年(平成5年)に3号店をオープンしましたが…。
「(売り上げが)10万円切っちゃったじゃんと思っていたら、もう翌月には8万円だとか。今まで見たことのない景色に出くわしちゃって」
3号店を閉めることにしましたが、出店費2000万円と退去費1000万円合わせて3000万円の借金を抱えることに。家賃と人件費が払えなくなったことで2004年に残りの店舗も引き払い、敬知さんが52歳の時に、自宅の庭で再建を図ることにしました。
育子さん
「ちょうどその時に、おばあちゃんも具合が悪い。それで孫も保育園に入れないで困ったという時も、ちょうど全部が重なったから、ここに帰ってこようと」
敬知さん
「ここしかないんです」
人気の秘密は?
「中華百草」の朝は、日の出前から始まります。
敬知さん
「極端な話、注文が入ったらできるような状態にしておくわけ」
野菜の仕込みやスープの準備を手際よく行います。一通りの仕込みが終わったのは午前8時ごろです。
敬知さん
「食事してきます」
出前の注文を受ける担当の敬知さんの母・和子さん(93)にバトンタッチ。
和子さん
「はい、百草です。おはようございます。ホイコーロー丼が2個、あんかけ、あんかけも1つですか。あとチャーハン。“経済”さんね、ありがとうございます」
市役所の経済課から4人前の注文が入りました。この日の出前は、なんと47食です。妻・育子さんも加わります。
敬知さん
「ナスいっちゃおう」
午前11時ごろ、おかもち7個を車に積み込み市役所へ。この日は19の課から47人前の注文が入り、車と庁舎を5回往復しながら届けていきます。
敬知さん
「(Q.重そうですけど、体力的にどうですか?)いつものことだから、どうってことじゃない」
出前から戻ると正午になっていました。そのままランチ営業を開始します。
人気の秘密は…。
常連客 80代
「ここは大盛りすぎるんですよ。実際(ライス)3分の1くらいにしてもらっているんですよ」
常連客 30代
「(値段は)安すぎて心配になる」
コメが高騰したためチャーハンを650円から700円に値上げしましたが、すべてのメニューが1000円以下です。
一番人気は、「豚肉細切りあんかけ御飯(700円)」。ほかほかの白ごはんに、しょうゆベースで甘辛くとろみをつけたあんをかけた一品です。
ランチ営業中にも出前の注文が。市役所以外の出前は、妻・育子さんが担当します。
常連客 60代
「便利ですよね。非常に助かっています。階段があって、家のものが下りられないもので。車いす使わないと」
予期せぬ窮地を救った家族の存在
この日は、頼もしい助っ人が。この春、高校を卒業する18歳の孫・宮園大瑶さんです。月に3回ほどは、店を手伝っています。
「愛ですよね。愛を注がれたから、それを返す。ちっちゃい恩返しですけど、ばあば、じいじ、おばあちゃんには0歳からずっと面倒を見てもらっているから」
孫が店に立ってくれることについては…。
育子さん
「ちょっと人手が(足りない)って時は来てくれるの。やっぱりうれしいじゃん。良い意味で身内で働けるっていうのは」
74歳、同い年の夫婦が切り盛りする「中華百草」。予期せぬ窮地を救ったのは、家族の存在でした。
育子さん
「去年の4月に2週間ほど(店主・敬知さんが)入院したんですよ。その時もお店を閉めるわけにはいかないから私が全部やっていたんですけど、みんなが手伝いに来てくれた」
大瑶さん
「何か衝突するくらい言い合って、けどそれでも来たいと思える優しさだったり思いやりがあったから来ています」
今後も体が動く限り店を続けたいといいます。
育子さん
「やっぱり大事な人だから。長生きしてもらわないと」
敬知さん
「今、言っていただいた通り。ありがたく、愛されていますから」
「(Q.今後いつまで続けたい?)100までです」
酸いも甘いもかみ分ける74歳は、こう語ります。
敬知さん
「仕事を続けてこられた。逆に言うと今は幸せですよ。今があるのは諦めずに当たり前に働いてきた結果」
(2026年3月20日放送分より)
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