
イスラエル軍の攻撃により犠牲となった1人のジャーナリスト。その人生が1冊の絵本になりました。
今回、少年時代からその男性を支援し続けてきた日本人医師に会い、2人の絆を取材しました。
28歳で亡くなったジャーナリスト
朝日新聞 通信員
ムハンマド・マンスールさん
「残念ながら、事前の警告なしの市民の住居を狙った空爆により700人以上のパレスチナ人が犠牲になっています」(2023年)
2023年10月に激化した、イスラエル軍とイスラム組織「ハマス」による戦闘。危険と隣り合わせの中、現地の姿をカメラに収めてきたジャーナリストが、ムハンマド・マンスールさんです。
「後ろにあるのはセナル病院です。イスラエル軍に攻撃されましたが、最近になって再開しました」
海外メディアが入ることのできない危険なガザ地区で、現地の本当の状況を写真に残すことができるのは、そこで暮らすジャーナリストだけでした。
しかし、マンスールさんは去年3月、ガザの自宅にいたところ、イスラエル軍によるドローンのミサイル攻撃で亡くなりました。28歳でした。
日本人医師が絵本に込めた思い
マンスールさんの死から1年。その人生を描いた絵本「ガザを知っていますか?」が24日に出版されました。
著者は、マンスールさんを少年時代から支えてきたNPO法人・地球のステージの代表理事で精神科医の桑山紀彦さん。神奈川県を拠点に各国の紛争地や被災地で支援活動をしています。
「(Q.どういう思いで、この絵本を出されたのですか)このままだと、どんどん過去の話になってしまうと思ったのです。それを止めるためにはやはり、彼の足跡をしっかり形にすることが大切かなと思って」
マンスールさんは幼いころ、イスラエルへの怒りに満ちていたそうです。
そんな彼がジャーナリストを目指すきっかけになったのが、実は桑山さんとの出会いだったのです。
“忘れられない「あの日」”の絵
2009年、桑山さんがガザで支援活動をしていた際、当時13歳だったマンスールさんと出会いました。
その日にマンスールさんは“忘れられない「あの日」”の絵を描きました。
他の子どもが色えんぴつで絵を描く中、マンスールさんの絵はえんぴつだけで描かれ、色がありませんでした。
「ガザを知っていますか?」から
「空爆の絵に色を塗りたくない。ガザの外に自由に出られないぼくの街に、きれいな色なんてない」
ガザ地区の外からきた桑山さんとの出会いは、幼かったマンスールさんに少しずつ変化をもたらします。
翌年、桑山さんに見せた絵には「桑山さんと日本を旅する」という夢が、色えんぴつを使い、カラフルに表現されていました。
桑山さんとの出会いが、ガザの外へ興味をもつきっかけになったのです。
それでも、マンスールさんはイスラエルに対する怒りや憎しみを抱えたまま育ったそうです。
高校生の時、そんな彼の考え方が変わる出来事がありました。
「ガザを知っていますか?」から
「桑山さんと言い合いになりました。こんなにも苦しく、希望の持てない暮らしを押し付けてくるイスラエルへの怒りをぶつけてしまったのです。桑山さんは『怒りにとらわれないように』と言うので僕は腹が立ちました。しかし、しばらくして気づきました。憎むべきは『戦争』であって『だれか』ではないということです」
「銃ではなく、カメラを手に」
高校が終わろうとするころ、マンスールさんは新しい夢を桑山さんに伝えます。
ジャーナリストとして、ガザと世界をつなげる夢です。
その後、本気で勉強しメディアを学ぶ大学に合格。すると桑山さんからカメラをプレゼントされたのです。
桑山医師
「(Q.先生がカメラをプレゼントしたということですが、どういう気持ちからだったのでしょうか)彼が高校3年生の終わりに僕に語ってくれた夢でしたけれど。写真を撮りたいということだったので、僕が使っている中古のカメラでしたけれど」
マンスールさんは、そのカメラを記者になってからも使い続けていました。
「ガザを知っていますか?」から
「僕は銃ではなく、カメラを手にすることができたのです」
ガザの今を伝え続け…
ガザでの戦闘が始まり、朝日新聞社の通信員として働きはじめたマンスールさん。
死と隣り合わせの中、ガザの今を日本に、世界に伝え続けました。
そして、2025年3月24日…。
「ガザを知っていますか?」から
「妻とお茶を飲みながら、これからのことを考えました。ぼくをねらうドローンが近づいていることも知らずに…」
マンスールさんの“もう一つの夢”
マンスールさんと15年間を共にした桑山さん。
「彼は僕を父と呼んだし、僕は彼を息子と呼んできたので。生まれてから一回も平和だった日はないんです」
「(Q.この戦禍の写真だと見るとつらくなる)でもムハンマド言っていましたよ。日本だって大変だよねって。朝、ギュウギュウの電車に詰まって、必死に会社に行っているよねとか言うんですよ。もう泣けてきますよ。彼は僕ら日本人の生活の大変さもちゃんと分かっているんですよね。だからお互い大変なことは分かっている。諦めないでやっていこうぜというのが伝わってくるんですよね」
マンスールさんのもう一つの夢は、日本で桑山さんと旅をすることでした。
「日本の自然を見せてあげたくて。パレスチナには山ってものがないんですよ。小高い丘しかないです。かないませんでしたけれど。この本によって、ムハンマドは日本に来たのだなと思う。こうやって日本に来られたのです。だから本当に形にしてもらえてよかったなと思います」
子どもの笑顔を撮影した理由
スタジオには、マンスールさんが撮影した写真を用意しました。
1枚目は、2023年11月に撮影されたものです。
イスラエルとハマスの戦闘が一時休止した時期に、空爆で崩れた建物の中で遊ぶ子どもたちを収めた一枚。子どもたちは最初は緊張した面持ちだったそうだが、久しぶりに顔を合わせた友達とすぐに遊び始めたそうです。
2枚目も同じ日に撮影された写真で、タイトルは「オレンジを差し出す少年」。
空爆が再び始まるのに備えて、各地で残った野菜や果物を集めて分け合う様子が収められています。マンスールさんに対し、少年は笑顔で「持っていっていいよ」と言ってくれたのだそうです。
3枚目は、2024年1月に撮影された笑顔で映る少女たちの写真。
「イスラエル軍の攻撃の犠牲者には、多くの子どもが含まれている。ただ、子どもたちの表情はいつも暗いわけではない」と添えられていました。
こうして改めてマンスールさんの写真を見てみると、戦時下の厳しい生活を余儀なくされている子どもたちにも、笑顔があるということに気づかされます。
15年にわたりマンスールさんを支援し続けた桑山さんは、こう話します。
「マンスールの写真は“戦争の報告”ではなく、人の生きる力に焦点が当たっている。どんなに厳しい戦争の中でも人は必死に生きている。そして小さな喜びを見いだしたら笑う。『この子たちを苦しめる戦争をやめようよ』という気持ちが、彼の写真には込められている」
(2026年3月26日放送分より)
この記事の画像一覧
