
福岡県の博多に行列の絶えない一軒の屋台があります。店主は流ちょうな日本語で多くのお客さんを笑顔にするフランス人の男性です。日本の屋台文化を愛してやまない男性の思いを取材しました。
【画像】行列絶えない福岡・天神のフランス料理専門屋台 多くの客が注文していたのが
屋台に“ある秘密”も
グルナー・レミさん(49)
「(Q.きょうはよろしくお願いします)よろしくお願いします」
49歳のフランス人、グルナー・レミさん。フランス料理専門の屋台「レミさんち」の店長です。
レミさん
「(Q.屋台の重さってどれくらい?)1000キロくらいあるよ」
福岡では、市の許可を得た場所でのみ営業することができる屋台。営業時間外に置いてある駐車場から“いつもの場所”へ屋台を引いて移動させます。
「きょうは80人くらい来たらうれしい」
一日の平均客数が45人ほどと言われている福岡の屋台。あいにくの空模様にもかかわらず、レミさんは強気です。
駐車場から歩くことおよそ5分。到着したのは中洲、長浜と並ぶ福岡三大屋台街の一つ、天神地区の屋台通りです。
慣れた手つきで屋台を組むレミさん。大切な自身の城にも“ある秘密”があるといいます。
「これ(屋台)は自分で作ったよ。頼もうと思ったら何百万円もする。300万円、400万円」
なんと、屋台はレミさんの手作りです。
「屋根が壊れたりカウンター壊れたり、ずっと直してる。だから心配いっぱいあるけど、味があるから大丈夫」
設営開始からおよそ30分で屋台が完成。今か今かと並ぶ人に話を聞きました。
北海道から来た観光客
「北海道から来ました。インスタですね。面白いおじちゃんがいるみたいな」
愛知県から来た観光客
「(屋台は)初めてです。フレンチの屋台って、ここしかないじゃないですか」
料理だけではない魅力も
レミさんも、最後の準備に取りかかります。
レミさん
「僕のビールも、ちゃんと冷えてます!」
「(Q.じゃあ屋台が終わったら一杯飲んで…)途中でもう飲んでるよ。もう運転しないから心配しないで。人と乾杯するの大好き」
「ビールと白ワインで間違いないですか~?間違えてたら私飲むよ。あ~残念」
「これはなんですか?」
北海道から来た観光客
「キッシュ」
レミさん
「これはキッス」
店主のダジャレも、店の魅力の一つです。
レミさん
「大人気のエスカルゴですよ~!」
多くの客が注文していたのが特製ガーリックバターと一緒にグリルした「エスカルゴ」です。
レミさん
「きのういっぱい雨降ってたから、ここ(屋根の上)から(とった)」
気になる値段は、なんと900円。他にも「かぼちゃのニョッキ」は800円など、レミさんの屋台ではフランス料理を格安で楽しむことができるのです。
レミさん
「すぐ出すことができるもの。あとは別の屋台にないもの。早くお客さんとしゃべりたいから」
すべて手作りじゃないと、料理人として気が済まないというレミさん。
レミさん
「乾杯!乾杯!!乾―杯!!!5杯目!」
「写真1枚500円」
一番大切にしているのは「一期一会」。忙しい中でも、客を楽しませます。
屋台を後にした客からは、次のような言葉が聞こえてきました。
和歌山から来た観光客
「芸人さんみたいで、ずっと笑いながら食べられるし、料理もおいしいから大満足」
がん治療乗り越え 夢実現
いまや2時間待ちの人気となったレミさんの屋台。なぜ、福岡で屋台を営むことになったのでしょうか?
レミさん
「初めて福岡に来た時は旅行でした、3日間。せっかく福岡だったら屋台でラーメン食べないとと思って、屋台でラーメン食べてたら急に皆さん『わーっ!』ってなった。何でかなと。それで分かったらホークス(リーグ)優勝しました」
当時のプロ野球・福岡ダイエーホークスがリーグ優勝した1999年、福岡に移転後、初の優勝ということもあって、街全体がお祭り騒ぎになりました。
レミさん
「ちょうど1年前にフランスはサッカーのワールドカップやっていた。すごい気持ち分かった。もう言葉がなくても一緒に楽しかった。『ホークス』『おめでとう』『乾杯』。この3つの言葉だけで、朝まで知らない人たちと飲んでた」
福岡の街の熱気と屋台に魅了されたレミさんは、3日の滞在予定を急きょ3カ月に延長。2001年には夢の屋台を開くために、福岡に引っ越しますが、30歳の時に精巣がんが発覚しました。
レミさん
「自分のお店する前にがんになって。ステージ4だったから。生きていけるか分からなかった」
ステージ4で肺にも転移していましたが、それでも諦めませんでした。
レミさん
「入院した時も、めっちゃポジティブにしてた。だから先生たちもびっくりしてた。半年で全部きれいになった」
自分らしく持ち前の明るさで闘い、病を克服したのです。しかし自分の屋台を持つためにはもう一つの試練がありました。
一度はあきらめた屋台
レミさん
「昔の文化的に家族じゃないと屋台はやりにくいみたいで」
戦後、人々の生計維持のために始まった福岡の屋台文化。最盛期の1965年には、400軒以上の屋台がありました。
その後、通行の妨害になることや騒音が問題に。1995年には福岡県警が「原則1代限り」の方針を発表し、新規参入が難しくなりました。
レミさん
「簡単と思っていたけど、そんなに簡単じゃなかった。だからあきらめて自分の居酒屋をオープンしました」
いったん屋台はあきらめ、フレンチ居酒屋をオープンすることにしますが、その後、レミさんに転機が訪れます。
「原則1代限り」の方針により、400軒以上あった屋台は2010年にはおよそ150軒に減少。福岡市は文化を存続するため、新たに屋台の担い手を募集することにしました。
レミさんはこのチャンスを逃さず応募し、無事屋台を持つ夢をつかみ取ったのです。
レミさんの屋台について福岡市は、次のように話します。
福岡市屋台課 縣陽子屋台振興係長
「(公募によって)新たなジャンルの屋台も増えたことで、福岡の屋台全体の魅力が高まったと感じている。レミさんちについてもフレンチの屋台ですので、そうした福岡の屋台の魅力を高めてくださっている。それによって経済波及効果を大きくしてくださっている。そういう一助になっている存在と受け止めております」
公募制になってから、年間50億円だった屋台の経済波及効果は100億円に急成長しました。
レミさん
「あきらめていたのに、本当に屋台やっているな。面白いな。神様がやってくださいって感じだったかもしれないね。福岡の神様ね」
レミさん
「おいしいですか!?無理においしい頂きました!ありがとうでーす!セボーン!セボーン!!」
ところが、客からはこんな声が聞こえてきます。
福岡市内から来た客
「(お店が)なくなるって聞いたので、なくなる前に行っておきたいなと思って」
“なくなる”とは、一体どういうことでしょうか?
閉店に?営業期間は10年
福岡で大人気のフランス料理屋台「レミさんち」。“なくなる”とはどういうことなのか、レミさんに聞いてみました。
レミさん
「10年間の契約だからですね。もちろん、またやってくださいと言われたら、やるつもりだけども。今のところは分からない」
公募制度による営業許可期間は最長で10年。レミさんの屋台は、今年10年目を迎えています。
レミさん
「フランス人チーズ大好きです!いってらっしゃい!バイバーイ!セボーン!」
異国生まれの自分を受け入れてくれた福岡の街に恩返しするために、きょうもレミさんはおいしい料理とダジャレで屋台客をもてなし続けます。
レミさん
「体はフランス生まれだけど、心とおなかは博多生まれ。ありがとう!博多」
(2026年5月6日放送分より)
この記事の画像一覧
