
アルゼンチンから出航したクルーズ船内で、ハンタウイルスの集団感染が確認された。これまでに3人が死亡している。ヒトからヒトへ感染した可能性が指摘される中、「これは新型コロナのようになってしまうのか」と心配する人もいるかもしれない。耳慣れない病を過度に恐れず、正しく知るために、ハンタウイルス感染症の治療現場、研究の最前線を取材した。
(ロサンゼルス支局 力石大輔)
米先住民・ナバホ族 相次いだ“謎の死”
ハンタウイルス感染症は古くから知られ、主な症状としては2種類に分類される。戦前の満州でも流行した腎症候性出血熱(HFRS)と、致死率が格段に高い肺症候群(HPS)だ。
今回のクルーズ船内で集団感染が確認されたのは、HPSとなる。原因が特定されたのは、アメリカ・ニューメキシコ州だった。
1993年5月、ネイティブアメリカン・ナバホ族の若い男性が突然倒れ、急性呼吸不全で死亡した。時を同じくして、男性の婚約者も死亡した。いずれも既往症はなく「謎の死」とされ、のどかな州は大混乱となった。
ニューメキシコ大学病院と米CDC=疾病予防管理センターは、すぐさま調査を開始した。その際、ナバホ族の長老が調査員へこんな話をした。
「1918年の豪雨の後も、同じように謎の死が相次いだ」
「雨が多い時は、松の実が豊作。ネズミを遠ざけろという言い伝えが残っている」
調査チームはネズミに注目。わずか3週間で、謎の死の原因はハンタウイルスだったことが判明した。それまでハンタウイルスは、致死率がそれほど高くない腎症候性出血熱を引き起こすものだと考えられていた。
長老の証言と合致するように、1992年にはエル・ニーニョ現象で、ニューメキシコ州は大雨に見舞われ、ネズミが増加していた。
ハンタウイルス感染症 治療・研究の最前線
以降、ニューメキシコ大学はハンタウイルス感染症の治療と研究をリードし、ミシェル・ハーキンス博士は30年、その最前線に立っている。
「最初に断っておきますが、ハンタウイルスは今も謎だらけです」
案内されたのは、実際にハンタウイルス感染症患者が運び込まれるICU=集中治療室。初期症状はインフルエンザと似ていて、咳や息切れが3~6日続く。レントゲン写真を見ても、判別が難しいという。
ハンタウイルス感染症の場合、いきなり肺に体液が溜まり、呼吸困難に陥る。そのため、ハーキンス博士は患者や家族から聞き取りを行い、ネズミと接触した可能性がある場合、PCR検査の途中であってもハンタウイルス感染症を疑い、ECMO=体外式膜型人工肺に繋ぐという。
ECMOは新型コロナ治療でも有効だった医療機器だ。この拠点病院でもECMOは8台しかない。
「非常に高価なので、簡単に台数を増やすことは出来ません。長年の経験から、ハンタウイルスの可能性があるかどうかを見極めることが、より多くの患者を救うために重要です」
米CDCなどの統計によると、アメリカで最も感染例が多いのはニューメキシコ州。2025年までの半世紀で142症例が確認され(1993年以前は、遡ってハンタウイルス感染症と断定)、このうち55人が死亡し、致死率は約39%となっている。
2025年の報告例は7件で、著名俳優ジーン・ハックマンさんの妻が亡くなったことでも注目された。ただ症例数として、蔓延している訳ではなく、毎年のように確認されているレベルといえる。
感染者のうち62%が男性、38%が女性だが、致死率では逆転し、男性36.5%、女性51.8%だ。ただ年齢、人種による明確な差異は確認されておらず、実際に6~83歳まで、様々な人種の間で、感染が確認されている。
世界各地に分布 謎多きハンタウイルス
ハンタウイルスは約40種類ある。このうち人間に疾病をもたらすのは20種類ほど。
大きく、ユーラシア大陸に多い旧世界型(腎症候性出血熱)と、アメリカ大陸に多い新世界型(肺症候群)に分かれる。今回のクルーズ船での集団感染は、新世界型のアンデス・ウイルスと断定された。ニューメキシコ州に多い、シンノンブレ・ウイルスと非常に似ているものだ。
アメリカでは、ミシシッピ川より西側での感染例が全体の95%を占め、特に多いニューメキシコ、ユタ、アリゾナ、コロラドでは4州が隣接していて「フォーコーナーズ」と呼ばれている。
「なぜこの地域で多いのか、理由は判然としていません。ニューメキシコ州の人口はわずか200万人です、それでなぜ全米最多になるのか、分かりません。田舎なので、人とネズミとの接触が多いからなのか。他の地域ではマイナーな感染症なので、罹患したとしても、報告が少ないのか。そもそもウイルスの株が、地域によって細かく異なるのか。生態系や標高など、地理的条件によってエアロゾルが発生しやすいのか。すべて可能性としては正しいですが、まだ断定は出来ていないのです」
謎は多いものの、興味深いデータもある。
同大学では常時160ヵ所でネズミを捕獲して、ハンタウイルスを持っているか調査している。その結果、約1/4で陽性反応が出た。実際に研究員の自宅からも、ウイルスを持つネズミが捕獲されている。これに比べて、人間の発症割合は各段に少なく、最多ニューメキシコ州でも年10件前後だ。
同大学は、「実は多くの人が既に感染していて、無症状・軽症だったのではないか」という仮説を立て、無作為に2千件以上の抗体検査を行っている。この検証が終われば、ハンタウイルス感染症は致死率が高い恐れるべきものなのか、そうでないのか、より輪郭がはっきりしそうだ。ただ、ハーキンス博士は今回のクルーズ船の事例について、楽観視している訳ではない。
クルーズ船の集団感染 鍵は濃厚接触レベル

現段階では、死亡した夫婦はバードウォッチングの最中に、ネズミと接触した可能性が高いとされている。ハーキンス博士によると、ネズミに噛まれて感染することは非常に稀で、普段は人が足を踏み入れない場所で、糞や尿によって溜まっていたウイルスが舞い上がり、飛沫感染する例がほとんどだという。ヒトからヒトへの感染があったか断定はされていないが、同じ船内にいた家族ではない人も、亡くなっている。
「この3人目の死亡者に関する情報が、非常に重要です。夫婦は同室で濃厚接触していたでしょう。稀にヒトヒト感染があることは分かっていたので、そこは理解出来ます。ただ第三の死者と夫婦の間で、どの程度の接触があったのか、他の感染者の情報も含めて、詳細な聞き取りが重要です。ヒトヒト感染の力がどれほどのものなのか、これまでケースが稀なので、正直な所よく分かっていないからです。濃厚接触だけであれば、感染拡大を防ぐ道筋が立ちますが、ほとんど接触がないにも関わらず感染が広がっていた場合、思っている以上に伝播力が強いのかもしれません」
これまでのWHOの調査では、従来のウイルスが検出され、変異は確認されていない。ただハーキンス博士は、新型コロナがそうであったように、ウイルスの変異や宿主の変化は、常に可能性として残るという。実際、最近ブラジルでは、ネズミなどげっ歯類だけでなく、コウモリや爬虫類、魚からもハンタウイルスが新たに見つかった事例が報告されている。気候変動も相まって、こうした動きは予測しづらいという。変異の形によっては、ハンタウイルスがパンデミックを引き起こす可能性もあれば、逆に恐れるに足らないものになる可能性もある。
「私たちは、新型コロナから多くの事を学びました。今回、WHOはハンタウイルスがパンデミックを引き起こす可能性は低いとしていますし、私もそう思います。ただ、いつかまたパンデミックは起こります。そこに向けて備える必要があります。隔離やマスクの着用、手洗いの徹底。ハンタウイルスに関しては、小まめな清掃、ネズミとの接触を避けることが非常に有効です。感染症は、結果から原因を知ることがほとんどです。つまり、正確に予見することは難しいのです。だからこそ科学的な知見に耳を傾け、過度に恐れず、過度に楽観視せず、自身で身を守ることが、重要です」

ニューメキシコ大学は、ハンタウイルス感染症の特効薬としてモノクローナル抗体をつくろうとしているが、まだ実現には至っていないー
ナバホ族の日常と知恵
1993年の集団感染があった、ナバホ族の居留地へ向かった。原野が広がり、タイムスリップしたような光景が広がる。レストランで隣になった女性はこう語った。
「クルーズ船の集団感染がなくても、私たちにとってハンタウイルス感染症は身近な恐怖です。常に気を付けています。私たちは松の実を収穫することを、伝統的な行事として、大切にしてきました。ただ一部では、感染症対策で取りやめました。どうしても、木の周りにはネズミも集まって、知らず知らずウイルスに触れる可能性があるからです。1993年に原因が特定されるまでは、風土病として、ナバホ族が差別的に見られることもありました」
ネイティブアメリカンの居留地では、病院と学校を訪ねたが、差別や偏見を恐れてか、カメラの前で話してくれる人はいなかった。ただ、幼い頃からハンタウイルスについて教え、家庭内での衛生環境を守る方法を地域全体に伝えているという。場所によっては、松の木を伐採してネズミを遠ざける対策もとっている。
最後に、年老いた教師に話を聞いた。
「1993年のことはよく覚えている。何が起きたのか分からず、地域全体がパニックだった。ただ同時に、死は終わりではないことも改めて知った。生も死も、自然の一部だ。感染症は避けたいが、そもそも自然は神、ウイルスもまた自然だ。科学も取り入れた上で、自然の中でどう生きて死ぬのか。これまで私たち人間が、何万年も経て身に付けた死生観が、一番大切ではないのか」
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