
古くからこの地を見守ってきた歴史ある神社。徳川家康ゆかりの社殿を彩る彫刻と信仰の歴史をひも解いてきました。
【画像】よく見てよく聞きよく話す…日光の三猿とは正反対の「お元気三猿」
関東でも指折りの古社 創建は約2100年前
埼玉県秩父市の中心部に鎮座する秩父神社。深い緑に包まれ、名水が湧き出る風光明媚な古社として知られています。境内を案内する枝窪さんによりますと、その創建は約2100年前にさかのぼります。
秩父神社 権禰宜 枝窪邦誉(えだくぼ くによし)さん
「創建の由緒としては平安時代の書籍で先代旧事本紀の国造本紀という書籍がありまして、第十代 崇神(すじん)天皇の御代の11年に創建したと伝えられております」
参道の先に立つ荘厳な神門をくぐると、聖域とされる境内の中心部に色鮮やかな社殿が姿を現します。この社殿は1592年、徳川家康の寄進によって建てられました。芸術的な彫刻が数多く施されており、中でも有名なのが…。
家康ゆかりの彫刻
枝窪さん
「ヒョウ柄の虎と子供の虎3匹を描いたこちらが、左甚五郎の作と伝えられている『子宝・子育ての虎』にございます」
江戸時代を代表する名工・左甚五郎は、栃木・日光東照宮の「眠り猫」や「三猿」を手掛けた人物として知られています。なぜ、虎のうち1匹がヒョウ柄なのでしょうか。
枝窪さん
「一説によると、まず、狩野派の描写の技法によるものという説があります。虎を複数描く時に、必ず一匹ヒョウ柄のものを混ぜると解説されることもありますが、もう一つ、当時の伝聞が間違って伝わった結果という説も考えられます」
彫刻の下には『親の心得』と書かれた看板があります。
枝窪さん
「この下の看板『親の心得』という『赤子には肌を離すな、幼児には手を離すな、子供には目を離すな、若者には心を離すな』と子育ての大切さを説く彫刻として親しまれております」
虎が題材となった背景には、徳川家康の存在があるといいます。
枝窪さん
「寅年、寅の日、寅の刻生まれの徳川家康公の寄進のもと、建ったこの社殿において、やはり徳川家康公の存在を無視するわけにはいかなかったのかと思います」
北東の鬼門を守る彫刻
本殿の北東側には、同じく左甚五郎の作品と伝えられる「つなぎの龍」があります。
枝窪さん
「かつて天ケ池という池があり、その池に夜な夜な龍が来て水を飲んで暴れていて、住人が困っていたという話がありまして、黒い鎖で繋いだところ、パタリと現れなくなったという伝説でございます」
龍が向く北東は鬼門に当たり、強い力で神社を守っているといいます。
一方、本殿の西側にあるのが「お元気三猿」です。「見ざる、聞かざる、言わざる」で知られる三猿とは正反対の姿をしています。
枝窪さん
「当社の三猿につきましては、よく見てよく聞きよく話す、その名もお元気三猿でございます。逆に良いことを広めるという意味で よく見てよく聞きよく話すといった解釈もできるかと思います」
秩父神社に祀られているのは、天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)、八意思兼命(やごころおもいかねのみこと)、知知夫彦命(ちちぶひこのみこと)、秩父宮雍仁親王(ちちぶのみや やすひとしんのう)の四柱です。天之御中主神は、日本神話で最初に姿を現した神とされ、天の中心や天空を治める存在とされています。八意思兼命は知恵の神です。太陽神・天照大神が天岩戸に隠れ、闇に包まれた世界に再び光を取り戻すため、神々による歌や踊りを主導したとされます。
八意思兼命から10代後の子孫とされる知知夫彦命が、2100年以上前に祖先を祀ったことが秩父神社の始まりです。秩父宮雍仁親王は昭和天皇の弟で、登山にゆかりのある秩父の名を冠した宮号を用いました。1953年、秩父地域の人々の願いによって、秩父神社に祀られることになったといいます。
年々大きくなる?神秘の石
境内には、赤みを帯びた大きな石があります。神が降りる石とされる「神降石」です。
枝窪さん
「こちらが神様の降りる石とされておりまして、『神降石』と呼ばれております。巷で聞いた話ですと、年々少しずつ大きくなっているという話もありまして、その様から生き石とも呼ばれているみたいですが、いずれにしろ、なかなか神秘的な石です」
北極星を見つめる梟
本殿の北側には「北辰の梟(ほくしんのふくろう)」と呼ばれる彫刻があります。体は祀られている神に背を向けないよう南を向き、頭だけを180度回して真北を見つめています。
枝窪さん
「当社の御祭神の一柱、天之御中主神さまは元々妙見菩薩としてお祀りされておりました。この妙見菩薩さまは北極星・北斗七星の神格化として信仰されてきたというところでございます」
北の空で動かない北極星を妙見菩薩と重ねて崇めるのが、妙見信仰や北辰信仰です。葛飾北斎や坂本龍馬、近松門左衛門らも信仰したと伝えられています。
平将門の叔父・平良文も信仰者の一人で、923年に醍醐(だいご)天皇から「相模国の賊を討伐せよ」との命を受け、成し遂げたといいます。その後、秩父神社はより厚い崇敬を集めるようになりました。
秩父の武士たちは後に源頼朝を救い、鎌倉幕府の成立にもつながったことから、徳川家康ら武家が秩父神社を崇敬したともいわれています。
北辰の梟の向かい側には、全国の神々を祀る「天神地祇社」があります。境内には長い歴史を伝える神々や彫刻、伝説が今も息づいています。
(2026年7月16日放送分より)
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