
熊本地震の犠牲者は災害関連死の疑いがある人を含めて、これまでに38人に上り、県内各地で通夜や告別式が営まれました。そのうちの1人、イオンモール熊本の爆発で亡くなった大竹玖瑠美さん(22)は、1度避難したにもかかわらず、勤めていた雑貨店側の指示で、もう1度、建物に戻っていたということです。
【画像】“描いていた未来”“奪われた夢”各地で通夜や告別式 熊本地震 死者38人
息子と祈った妻の“無事”

地震直後の「大丈夫」というメッセージが最後になりました。
あの日、イオンモール熊本で働いていた女性。
夫は、いてもたってもいられず、捜索が続くモールの前で立ち尽くしていました。
中学1年の息子とともに祈っていました。しかし。

イオンモール熊本で亡くなった女性の夫
「見つかった時に天井か壁か分からないですが、そういったものが体にかぶさっていて、見つかるまでに2日ほどかかってしまい。医師の診断では『苦しんだ時間は短かった』それだけが救いかな」
妻と叶えたい夢があったといいます。

イオンモール熊本で亡くなった女性の夫
「付き合い自体は長かったんですが、(ウエディングドレスを)着せる機会がなくて、今まで。最後、自分にとっても悔いがないように用意させていただいた。『写真は撮りたいね』と話はしていた。それが叶う前に逝っちゃったので。こんな形でしか用意できなかったですが、あっちに行っても着てくれれば、1回は」

イオンモール熊本では7人の死亡が確認されています。女性を含む3人が同じアパレルショップの従業員でした。女性が避難したかなど、詳しい状況は分かっていません。
女性が店内に戻った“理由”
中学時代のバレー部後輩
「今も何も考えられないです。まさか先輩が。頭が真っ白で」

大竹玖瑠美さん(22)。あの日、大竹さんもイオンモール熊本で働いていました。地震の後、客を避難させ、自身も館外へ避難。そこで偶然、親族と会います。

大竹さんの親族
「『店内に戻らないといけない』と言うから『なんで?』と。『売り上げを金庫に入れに行かないといけない』と。会社からそう言われれば、戻るしかなかったと思う。それで店内に入っていった」

その約5分後のことでした。大竹さんが働いていたのは、モール2階の雑貨店『ハビタ』。
爆発後、店舗があったとみられる一角は大きく破壊されていました。

「売上金を金庫に入れに行く」そう言って館内に戻った大竹さん。その指示をめぐり、会社側の説明は変わりました。当初、親族には。
大竹さんの親族
「玖瑠美ともう1人の方が携帯しか持ってきていないから『荷物を取りに行きたい』と言われたので(会社側は)『よかったら可能だったら、売り上げを金庫に入れてほしい』と言ったと」
しかし、2日の通夜で会社側は。

ハビタ 湯瀬剛二営業部長
「わたしが錯綜(さくそう)していて、(別のスタッフが)『荷物を取りたい』と言ったのは、私が『金庫に入れてほしい』と言った後に聞いた話」

大竹さんの親族
「湯瀬さんが店長に『売り上げを金庫に入れにかえってくれ』と言った?」
ハビタ 湯瀬剛二営業部長
「そうですね」
大竹さんの親族
「私に説明したのは」

ハビタ 湯瀬剛二営業部長
「錯綜していました」
大竹さんの親族
「言い訳しないでください。錯綜じゃなく、きちっと言ってください。『売上金を金庫に入れてくれ』と言ったのが先ですよね?」
ハビタ 湯瀬剛二営業部長
「はい、先です」

会社側は、「売上金を金庫に入れてほしい」と伝えたのが先だったことを認め、謝罪。大竹さんと共に館内に戻ったもう1人のスタッフも、爆発に巻き込まれたとみられ、亡くなりました。

大竹さんの母親
「娘は帰ってこないんですよ。止めてほしかったです。『帰れ』と言ってほしかったです」
イオンモール側は、マニュアルで「避難後は館内に入らない」と定めているとしています。
一方、会社側は、イオンモールの許可を取った上で、館内に戻るよう伝えたと説明。実際にイオンモールが許可したのかは明らかになっていません。
高校1年 奪われた“夢”

関連を確認中の人を含め、38人が亡くなった地震。高校1年生だった平山愛琉さん(16)の日常も、地震が起きるその日まで続いていました。わずか10日前には友達と夏祭りに。
しかし、その時に撮られた1枚が遺影となりました。
平山愛琉さんの父親
「外傷がない状態だったので、今でも寝てるふうにしか見えないです。今でもまた起きてくるんじゃと思うくらい」

夢は、絵に関わる仕事に就くこと。高校に進学したばかりで、美術を専攻していました。地震の後、氷川町の自宅で倒れている平山さんを妹が見つけました。頸椎に損傷があり、地震の影響で転倒するなどして亡くなったとみられています。
平山愛琉さんの父親
「優しい子で、私が疲れて帰ってきて『マッサージしてほしいな』って言うと『いいよ』と優しい声をかけてくれたんですよね」
平山さんは2年前、病気で倒れた父親への思いをつづった詩で、県内のコンクールで最優秀賞に選ばれました。題は『頼ってよ』。

『頼ってよ』平山愛琉さん
「長い長い待ち時間の後、病院で会ったお父さんは『大丈夫。大丈夫だから』と繰り返していたけれど、本当に初めてのことで涙が止まらなかった。私たちを安心させるために、お父さんが優しい言葉をかけてくれたこと、本当にうれしかった。でも倒れる前々日からひどい高熱が続いて、病気だったのだからきつかったはず。頼ってほしかった。自分でできることはちゃんとするし、手伝うから、しんどいときはちゃんと言ってね。お父さんいつも元気でいてほしいから」
