
熊本地震から4日で1週間です。支援物資が避難所に届き始める一方で、支援の手が届きにくい人たちもいます。そんな人たちを支えようと、被災地に住むミカン農家が立ち上がりました。
【画像】熊本・宇城市で栽培が盛んな「不知火」と呼ばれる柑橘類
一部で停電・断水続く宇城市
熊本地震の影響で予想外の危機に直面しているミカン農家。自分自身も大変な中、立ち上げたのは、行政の支援が届きづらい被災者への支援活動です。
我が身を顧みずに奔走する男性の「原動力」を取材しました。
最大震度7の揺れを観測した熊本県宇城市。地震発生直後には、市内で相次いで火災が発生。道路は隆起し、通行もままなりません。
建物の被害も甚大です。
宇城市では一部地域で停電や断水が続いていて、3日現在で3265人が避難を余儀なくされています。
ミカン農家「ガソリンが…」
温暖な気候と海沿いの傾斜地を生かし、宇城市で栽培が盛んなのが「不知火」と呼ばれる柑橘類です。
愛おしそうに見つめるのは、この地で農園を営む高岡さん(42)です。
幸い果樹に被害はなかったといいますが、今、思わぬ問題に直面していました。
「今年は水まきを気をつけようと家族と話していたので、やはりガソリンはちょっと欲しいなと」
雨が少ない時は川からポンプを使って水をくみ上げていましたが、地震の影響でガソリンスタンドが閉鎖。ポンプを動かすガソリンが購入できず、いつも通りに水をまけずにいたのです。
「この後、被災した人にはあれですけど、雨が降ると実の成長が大きくなるので」
物資不足直面 被災者支援
果実が気になる中、地震発生から6日目の2日、高岡さんの姿は農園の作業小屋にありました。
入り口に掲げられていたのは、手書きの「物資集積所」の文字。一体、何をしているのでしょうか?
宮崎から来た高岡さんの友人
玉木和馬さん(43)
「高齢者の集落は発信しない。でも動けないから、そこで困る。結局、物資は大きい所、避難所とかには行くけど、高齢者集落の自宅、被災者に届いていない」
高岡さんと仲間が行っていたのは作戦会議。話し合っていたのは「支援物資をどこに届けるか」です。
日頃からボランティア活動を行っている友人と協力し、全国から支援物資を集める集積所を立ち上げた高岡さん。避難所暮らしはしていませんが、物資不足に直面している被災者の支援を考えていました。
男性
「(支援物資は)避難所が余ってからしか、一般の人に配れないので、僕らは逆に下からボトムアップで」
玉木さん
「行政側が拾えないものを拾っていければいいかなと」
経験を元に ニーズ見極め
高岡さんは、打ち合わせ中もずっと携帯電話を操作し、自身のネットワークを使いながら支援先を洗い出します。
「(困っている人が)どこにいるのか、明確に把握できていないので、今、友達に聞いたりしている」
実は高岡さん、炊き出しなどでボランティア活動をしたことはありますが、物資をとりまとめて届けるといった経験はほとんどありません。
それにもかかわらず、迅速に活動を立ち上げた理由は何なのでしょうか。
「迷いとかは特になかった。『何かやりたい。何ができるかな』と思った時に物資を集めて配ろうと」
頼りにしたのは、前回の熊本地震などでの活動経験が豊富な友人・玉木さんです。
「一番最初に求められるのは、やはり水とか食料になるが、物流が回復してくると、物資が外から入り始めるので、今度は水の要望がちょっとずつ減り、食料、例えば缶詰が欲しいとか、そのフェーズに今入っている」
経験を元に、日を追うごとに変わる被災者のニーズを適切に見極めます。打ち合わせ開始から2時間。届け先が決まりました。
最大震度7の氷川町へ
最大震度7を観測し、3日午後2時時点で342人が避難所での生活を余儀なくされている隣町の氷川町。町の公民館に40人分の水や食料などを届けます。
公民館へ取りに来てもらうことで、自宅での生活を続けている近隣の被災者に、物資を行き渡らせる計画です。
支援物資を次々に公民館に運び入れると、早速、被災した住民が受け取りにやってきました。
支援物資に驚きの声を上げます。被災者が高齢で取りに来てもらうのが難しい場合は、隣人にお願いして届けてもらいます。
女性
「震災後の命を守るところから、今度は生活をつなぐところ、命をつなぐところにフェーズが移っていて。もう本当に助かります」
地震の爪痕残る八代市へ
高岡さんたちが続いて向かったのは、震度6強を観測した八代市。周辺には倒壊した建物が点在し、生々しい地震の爪痕が残っています。
訪れたのは、子育てママをケアする助産院です。
石けんやお尻ふき、離乳食など、高岡さんの友人の情報を受けて届けにきました。
女性
「こっちでなかなか手に入らない。支援物資を市が管理する場所に行ったが、少ししかなくて、もらうのが申し訳なかった」
高岡さんは受け渡しの際には、遠くから控えめに見守るだけです。
「自分にできることで、多くの人の支援があってできていると思うので、とてもうれしい」
3日、高岡さんの物資集積所をのぞいてみると、そこには多くの支援物資が集まっていました。
島根県から来た支援者
「インスタグラムで知って、行政の行き届かない所に配達しているというのを見て、ここに電話をして(物資を)持ってきました」
着実に広がりつつある支援の輪。自身の農園よりも支援を優先する思いとは?
被災しても「誰かのため」
12年前に実家の農業を受け継いだ高岡さん。
これまで農園が豪雨被害に遭うなど苦しい時もありましたが、いろいろな人に支えられてきたといいます。
「今まで自分が生きてきた中で、災害時だけでなく、いろんな人に助けてもらったという経験があるので。誰かのためになるならと思って。私が助けてもらった人にお礼をしようとした時に『知らない誰かが困っていても、その人を助けられる人になって』と言われたので。私は今回、知らない誰かかもしれないが、その人たちを助けられたらと思って活動している」
(2026年8月4日放送分より)
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