
カラフルな水玉や網目をモチーフにした表現で知られ、文化勲章を受章した前衛芸術家の草間彌生さんが14日、亡くなりました。97歳でした。

草間彌生さん(当時88)
「いくらでもアイデアが出てきて、描くのが、手が疲れて。初めから、こういうものを描こうとは思わなくて、描いているうちに、いくらでもアイデアが出てきて、全部、仕上がったときに、『あれ、こんなこと描いたかな』と。いつも、そう思ってびっくりします」

草間彌生さん(当時83)
「水玉も私の哲学のひとつです。ひとつの水玉、月も水玉、太陽も水玉、宇宙もたぶん水玉。そういったなかで、自分の存在を探り当てて、子どものときから『水玉』とか『無限の網』は、私の芸術のテーマ」
1929年、長野県松本市で生まれた草間さん。
花に話しかけられるなど、幻覚のなかで育ちました。

高く評価したのは欧米でした。
1958年にニューヨークに移住。
幼いころからの病による、苦しみや恐怖を、描くことで鎮めていたそうです。

草間彌生さん(当時88)
「このころ、“網目”ばかり描いていて、こういう絵を描く人がいなくて、こういう絵を描いてデビューしたときに、世界中の美術画壇の人たちが、取り囲んで、一躍スターになった」
ベトナム戦争の時代。
互いの肌に水玉を描くことで、あらゆる境界がなくなるという表現。過激なパフォーマンスは、あまり日本では理解されませんでした。

草間彌生さん(当時88)
「いま、新聞で見ると、世の中、大変なことになっている。アメリカが凋落のもとになってきつつあって、自分たちの世界のなかで、いつテロが起きたり、原爆が落ちるかわからない時代。芸術家としての私たちの役目は大きくなっている。もっとみんなに素晴らしい作品を遺していきたい。私たちの歩んだ道を、温かい気持ちで見てくれて、いろいろ感じ取ってくれたら、うれしい。だから、私はこういった作品を、いつもつくり続けている」
90年代に入ると再評価され、ここ数年もその影響力は、ますます高まっていました。
亡くなる直前まで、絵筆を手放さなかったそうです。

草間彌生さん(当時88)
「新しい世界をつくりたい。私自身、時間が迫ってきている。死とか生きていくことについて、ものすごく敏感になってきている。もっと素晴らしい作品をつくりたい気持ちで胸がいっぱい」



草間彌生さん(当時85)
(Q.“死”に対して覚悟やイメージは)芸術の力、平和や愛に対して強い憧れを持って、自分は人生を終わりたい。私の生き様は、命の限り闘うこと。平和と愛をもって」

草間彌生さん(当時88)
「もっと宣伝してください、平和のことを。私たちの人生が輝くように。日本や世界を守って、戦争をなくす。私は、死んでもまだ闘いたい」
