
1600年近い歴史を持つ湯島天神。学問の神様・菅原道真公がまつられる前から、別の神様がこの地を守っていました。
道真公をまつる湯島天神
武隈光希アナウンサーが訪れたのは、東京・文京区に鎮座する湯島天満宮、通称「湯島天神」です。
武隈アナ
「さあ、湯島天神にやってきました。あちらに天満宮とある通り、正式には湯島天満宮というそうです。それでは行ってきます」
学問の神として人々を引きつける理由は、幼いころから学問や芸事に秀でた菅原道真公をまつっているからです。年間を通じて、多くの受験生や参拝客が訪れています。
武隈アナ
「実はですね、大学生になる前、この辺りの予備校で浪人生をしていまして、その時に(湯島天満宮に)参拝に来たことがあるんですよね。非常に感慨深いです」
のちに湯島天神のお膝元にある東京大学へ入学した武隈アナウンサーを案内するのは、河村さんです。まずは、道真公の秀才ぶりが分かるエピソードから。
湯島天満宮 権禰宜(ごんねぎ) 河村美雨さん
「道真公が5歳のころに詠まれた詩として残っておりますのが『うつくしや 紅の色なる 梅の花 あこが顔にも つけたくぞある』。かわいらしい梅の花を見てうたった詩になりますね」
武隈アナ
「5歳で詠める詩かなと今思っちゃいましたけどね」
しかし、その生涯は波乱に満ちたものだったといいます。
怨霊から学問の神へ
河村さん
「朝廷に支えられておりましたが、その後政争に敗れ、(福岡県)太宰府へと左遷されることになりまして、その地でその生涯を閉じることとなりました」
政治上のライバル、藤原時平らによる中傷や陰謀で無実の罪を着せられ、失意のうちに亡くなった道真公。そして、道真公はその恨みから怨霊になったといわれています。時平は、耳から道真公の怨霊である蛇がはい出てくることに悩まされ、39歳の若さで亡くなりました。他にも、陰謀に関わったとされる人物らの不慮の事故死や病死が相次ぎます。
醍醐天皇も、藤原清貫の死を目撃し、ショックを受けて3カ月後に崩御。その後も、皇太子が次々と若くして亡くなる悲劇に見舞われました。
河村さん
「都の方では天変地異が多く起こりまして、これを恐れた人々が道真公の御霊によるものだというふうに考えまして、その御霊を鎮めるために天神様としておまつりされるようになりました」
こうして天神信仰は全国に広がりますが、ここで疑問が生まれます。
武隈アナ
「最初はお怒りを鎮めるためにまつられた訳ですよね。そこからどのように学問の神様としてまつられるようになったんですか?」
河村さん
「後世になりますと、御霊の仕業などというよりかは、その優れた学識や人格が評価されるようになりまして、学問の神様として広く信仰を集めるようになりました」
武隈アナ
「やっぱり道真公はすごいよね、という再評価が始まったってことなんですね」
河村さん
「さようでございます」
創建は約1600年前
やがて道真公は湯島の地で祀られることになりました。その経緯について、河村さんは次のように説明します。
河村さん
「1355年に京都の北野天満宮よりお御霊を分ちいただきまして合祀(ごうし)されました」
武隈アナ
「700年くらい前ということですかね」
河村さん
「そうですね」
しかし、湯島天神の歴史は道真公をまつる以前から始まっていました。驚くほど古い歴史があるといいます。
河村さん
「雄略天皇2年、西暦458年にこの地に天皇の勅命により奉斎されたのが始まりでございます」
武隈アナ
「古墳時代ぐらい?」
河村さん
「そうですね。およそ1600年前になります」
創建は、なんと約1600年前。つまり、道真公をまつる神社として創建されたわけではありません。湯島天神の創建は458年で、道真公をまつったのが1355年です。その間の約900年、この地域に平穏をもたらし、道真公の合祀後も、ともに湯島の人々を守ってきた神がいました。
武隈アナ
「他の神様もまつられているということですか?」
河村さん
「さようでございます。では、その神様をまつられているお社を見に行きたいと思います」
武隈アナ
「ぜひお願いします」
もう一柱の神
湯島天神がまつるのは道真公だけではなく、本殿とは別のお社もあるといいます。
武隈アナ
「奥の方ですか?」
河村さん
「そうですね」
武隈アナ
「こちら初めて来ました」
本殿を回り込むように進んだ先に見えてきたのが、戸隠神社です。
河村さん
「こちら、天之手力雄命がおまつりされております、戸隠神社になります」
もう一柱の神、天之手力雄命は、約1600年前からまつられています。
河村さん
「天之手力雄命はとても力持ちの神様でして、天照大御神が天岩戸におこもりになった際に、岩戸を開いた神様が天之手力雄命といわれております」
太陽神・天照大神が隠れた天岩戸。世界は闇に包まれますが、神々が歌や踊りで岩戸の外へ誘い出し、再び光を取り戻したという神話の中で、岩戸を開いたのが天之手力雄命です。
河村さん
「現在ですと開運、それから勝負運などのご利益があるとして皆様にとても崇敬されております」
武隈アナ
「例えばスポーツとか運動とか?」
河村さん
「そうですね」
武隈アナ
「勉強ももちろんそうなんですけど、部活の分野でもご利益がある?」
河村さん
「文武どちらでも当宮はおまいりいただけるお宮となっております」
武隈アナ
「それは存じ上げなかった」
江戸の学者らも参拝
天之手力雄命と菅原道真公、二柱の御祭神をまつる社殿に戻り、武隈アナウンサーもお参りしました。この日も多くの人が参拝に訪れていました。話を聞いてみると、学業成就を願う人や、日本語能力試験を受ける人の姿がありました。
参拝客
「WEBサイトで学業強いと出てきた」
別の参拝客は中国出身で、日本語能力試験のために訪れたといいます。また、家族で訪れた男性は、湯島天神を選んだ理由についてこう話しました。
参拝客
「やっぱり学問の神様というところで、最後は神頼みかなと」
学問の神、道真公を崇拝した著名人も多いといいます。
河村さん
「学者の新井白石であったり、林羅山などが訪れたといわれておりまして、さらには横山大観だったり川鍋暁斎といった画家の方々とかも絵をご奉納されていた」
菅原道真と牛の逸話
さらに、境内の中で人気なのが「なで牛」という像です。頭をなでれば学業成就、体の悪いところをなでれば病気などが治るよう願いを込める牛もあります。実は、牛も道真公と深い関係があるのです。
河村さん
「菅原道真公と牛にまつわる逸話は多く残されておりまして。天神様がまつられている神社では、牛が神の遣い。道真公がお生まれになった年は丑(うし)年というふうにいわれておりまして、お亡くなりになった日も丑の日というふうにいわれております」
武隈アナ
「関係があるんですね」
河村さん
「遺言として道真公の遺骸を牛車に引かせて、牛がとどまった場所に葬ってほしいと残されております。その地が、現在の太宰府天満宮のある土地になります」
武隈アナ
「そういうことなんですね」
ちなみに、湯島天神の絵馬には牛に乗った道真公が描かれています。
梅に残る伝説
さらに、道真公ゆかりの梅もあります。
河村さん
「こちらは梅の木になります」
武隈アナ
「梅ですか」
境内には約300本の梅が植えられていて、その8割が白梅。白い花を咲かせる梅だということです。道真公と梅には、飛梅伝説と呼ばれる伝説が残っています。
河村さん
「飛梅伝説というふうにいわれておりまして。道真公を想った梅の花が、都(京都)から大宰府(福岡)まで飛んだというふうにいわれている伝説が残っております」
武隈アナ
「そういう伝説まで残っているんですね」
そんな伝説もあって、境内の至る所には梅をあしらったものがたくさんあります。道真公を慕い、あがめた太田道灌や徳川家康なども尽力し、江戸時代の湯島は活気にあふれていたそうです。
(2026年8月26日放送分より)
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