
今年のノーベル平和賞にICJ・国際司法裁判所の特任判事を務めるナビ・ピレイ氏(85)が選ばれました。南アフリカのアパルトヘイト、ルワンダの大虐殺、パレスチナのガザ地区に対するイスラエルの攻撃、ミャンマーによる虐殺疑惑… 歴史に残る数々の『大事件』に法を武器に立ち向かってきた人物でした。
(ハーグ 辻村周次郎/ロンドン 山野孝之)
【画像】「真実を語るのに勇気なんて必要でしょうか?」ノーベル平和賞にナビ・ピレイ氏 米国は発表直後にICC本体を制裁
「法の支配なしに動く世界が不公正で愚かで非人道的」
「本年の受賞者は、戦争犯罪、人道に対する罪、そしてジェノサイド(集団殺害)の訴追を確実にする上で、極めて重要な役割を果たしてきました」
9日の発表会見で、ノルウェーのノーベル委員会はナビ・ピレイさんをまずこう表現しました。
ピレイ氏は南アフリカのダーバン出身の85歳。その経歴は歴史そのものです。
アパルトヘイトに立ち向かったネルソン・マンデラ氏の弁護を行ったり、ルワンダの大虐殺を裁いたルワンダ国際刑事裁判所で裁判官を務めました。
さらに、国連人権高等弁務官も務めたほか、最近までパレスチナ被占領地域に関する国連独立国際調査委員会の委員長を務めていました。現在、ナビ・ピレイ氏は、ICJ・国際司法裁判所で、ミャンマーがジェノサイドの罪に問われている裁判の特任裁判官を務めています。
なぜナビ・ピレイ氏を選んだのか。ノーベル委員会の説明には「法の支配」が揺らいでいる今の世界に対する強い懸念がにじんでいました。
ノーベル委員会
「国際法の及ぶ範囲は第二次世界大戦後に拡大し、とりわけ国連機関の創設によりその傾向が強まりました。恒久的な平和は、強者の意志や脆弱な勢力均衡の上にではなく、法の原則の上に築かれなければならない。
国際法はもはや平和と安全を補完するだけのものではありません。それは絶対に必要なものなのです。国際法のシステムは大きな圧力にさらされており、攻撃を受けています。法的枠組みや法と正義に対する世界的な尊重がないがしろにされ、パワー・ポリティクスへの移行が見られます。力が正しさを凌駕するたびに、安定、信頼、そして平和的共存が損なわれるのです。
歴史は、法の支配なしに動く世界が、不公正で、愚かで、非人道的であることを示してきました。秩序と混沌の境界線を守る裁判官たちは、それゆえに称賛に大いに値します。しかし今日、これら同じ裁判官たちが制裁を受け、その機関が攻撃される中で、私たちには勇気、先見の明、そして決意を持った人々が必要です。それらは、ナビ・ピレイ氏が裁判の場で示している資質なのです。
ナビ・ピレイ氏は、私たちの時代における国際法原則の偉大な擁護者のひとりです。彼女の卓越したキャリアは、世界的な法の支配を支持し、強化し、拡大することの必要性を私たちに思い起こさせます」
「これ以上拍手するなら、この賞をトランプとシェアしますよ(笑)」
ナビ・ピレイ氏はドイツで受賞決定の知らせを聞きました。ナチスの戦犯を裁いたニュルンベルクの法廷です。廷内に入ってきたピレイ氏は参加者からの鳴りやまない拍手をこんなジョークで制してから語り始めました。
「本当にありがとうございます。でもこれ以上拍手を続けるなら、この賞をトランプとシェアしますよ。
(ノーベル委員会からの連絡に)私は『まさか冗談でしょう』と答えてしまいました。まず何より、この会場で皆さんからいただいた拍手は、私にとって本当に大きな意味を持っています。本当に胸に響きました。
ただ、弁護士であり裁判官でもある私としては、まずはこの情報について裏付けを取りたいところですが(笑)。
人権を支持する友人や同僚の皆様と共に今ここにいられることを、大変ふさわしいことだと感じております。私が最近手掛けた仕事はガザに関する報告書の提出であり、そこで起きていることを『ジェノサイド』と名付けることでした。
そうした姿勢に対して寄せられた主な反応の一つが、私の『勇気』をたたえる声でした。ですが、私がどれほど驚いたかご想像いただけますか?真実を語るのに、勇気など必要なのでしょうか? 法を解釈し、あらゆる事実を精査する。それはただ偏りなく公平に判断を下すということに過ぎません。ですから現在も、ガンビアがミャンマーを提訴した事件において、特任裁判官として関わり続けています」
続いて開かれた記者会見では、平和賞を受け取る意味をこう説明しました。
「この賞を、あらゆる国際犯罪のサバイバーの皆様、そして、その思いやりと勇気によって不処罰が横行することを許さない国際正義の実務家や擁護者の皆様に捧げたいと思います。
私たちは今、国際法や人権が重大な政治的攻撃にさらされている時代を生きています。この悪化する現実は、とりわけ国際刑事裁判所(ICC)に対する攻撃において顕著に表れています。ノーベル委員会が適切に述べたように――引用させていただきますが――『戦争犯罪人の責任が追及され、人権侵害の被害者に正義がもたらされる国際法体系こそが、平和な世界の前提条件である』のです。
受賞の発表がなされ、私に報せが届いた時、ニュルンベルク裁判が行われた歴史的な「600号法廷」に私が居合わせたのは、おそらく何かの巡り合わせだったのでしょう。
現在私たちが目にしている国際刑事司法を弱体化させようとする試みは、ニュルンベルク以降、丹念に築き上げられてきた進歩を危険にさらし、法ではなく『力』によって誰の苦しみが尊重されるかが決まる世界へと、私たちを逆戻りさせるリスクを孕んでいます。
この受賞は、法の支配をまもり、独立した裁判所をまもり、選択的適用ではなく原則に基づく国際法秩序を護るために、私たちが一丸となって立ち上がらねばならないという私の信念をいっそう強めるものです。
南アフリカ高等裁判所、ルワンダ国際刑事裁判所、ハーグの国際刑事裁判所(ICC)、国連人権高等弁務官事務所、占領下パレスチナ地域に関する国連調査委員会、そして現在は国際司法裁判所(ICJ)の特任裁判官、ニュルンベルク国際法原則アカデミーのメンバーとして、私が務める機会を得たこれらすべての機関において、私はあらゆる人間の等しい尊厳、とりわけ女性や子供の権利を促進し保護するという約束を果たしてきました。
私たちはこの使命を継続し、国連憲章に刻まれた「将来の世代を戦禍から救う」という約束を守り続けなければなりません。それこそが、国際犯罪のすべての被害者やサバイバーの皆様、私たちの子供たち、そして明日この世界を受け継ぐ人々に対して私たちが果たすべき約束なのです」
ICC赤根所長「法の支配が危機に直面するなか特に意義が深い」
ピレイ氏がかつて判事を務めていたオランダ・ハーグのICC本部前。ノーベル平和賞の受賞が発表されたその時、現地は激しい大雨に見舞われ、建物の周辺の人通りはまばらで、静まり返ったいつもの日常の中にありました。
しかし、その穏やかな日常の背景で、ICCは東西の大国による、かつてない「包囲網」にさらされています。前日の8日、ロシア最高検察庁はある発表を行いました。2023年3月にウクライナからの子ども連れ去り問題でプーチン大統領に逮捕状を出したことを不服とし、「ロシアが締約国でないにもかかわらず違法に追訴し、証拠なしに逮捕状を発行させた」として、当時判事を務めていた赤根智子所長らの身柄引き渡しを複数の国に求めたのです。
また、イスラエルのネタニヤフ首相に対する逮捕状発行や、米兵による戦争犯罪疑いの捜査をめぐり、アメリカのトランプ政権も激しく反発しています。
渦中の赤根所長は、受賞の発表から1時間半後に声明文を発表しました。
ICC赤根智子所長の声明
「ナバネセム・“ナビ”・ピレイ氏が2026年のノーベル平和賞を受賞されたことを心よりお祝い申し上げます。ピレイ氏は2003年から2008年8月まで国際刑事裁判所の判事を務め、その後、ルワンダ国際刑事裁判所の所長兼判事も務めました。これは、国際司法が永続的な平和の礎として果たす重要な役割が認められたことを示すものです。国際法秩序と法の支配が深刻な危機に直面している今、この受賞は特に意義深いものとなります」
平和賞発表の数時間後「ICC本体への制裁を発動」と発表

トランプ政権は8月に赤根所長ら「個人」に制裁を発動しましたが、今回の受賞発表後、さらに踏み込み、「ICC本体」を制裁対象に指定する意向を表明しました。赤根所長はこれに対し、「法治主義に対する直接的な攻撃だ」と強く反発。「いかなる威嚇にも屈せず、被害者のために独立性と中立性を保ち、職務を全うする」と、司法機関としての毅然とした態度を強調しています。
一方で、大国からの相次ぐ圧力により、ICC単独での組織維持には限界があると明かしました。加盟国に対して、活動資金や運営を継続するための具体的な支援と、力強い結束を呼びかけています。
「法の支配」の「最後の砦」としての役割を果たしてきたICC。
赤根所長は声明の締めくくりとして、国際社会に向けてこう訴えています。
「(ICCへの支援は)単に一つの機関を守ることではありません。法治主義に基づく国際秩序そのものを守るための戦いです」

イスラエルのネタニヤフ首相も反応しました。Xへの投稿で、ノーベル委員会を激しく批判しています。
「ノーベル委員会は道徳のコンパスを失ってしまった。唯一のユダヤ人国家に対する血の中傷をでっち上げ、広めることで自らのキャリアを築いてきた差別主義者に最高の栄誉を与えた」
この記事の画像一覧
