
試合後、矢吹丈は死んでしまったのか。ラストシーンをめぐり、いまだファンの間で語られる『あしたのジョー』。その作画を手掛けた、ちばてつやさんが亡くなりました。数々の名作を残してきた漫画界のレジェンド。87歳でした。
「あしたのジョー」の舞台は…
28歳で描き始めた『あしたのジョー』。

ちばてつやさん(当時76)
「誰をモデルということではなく、本当にそういう人たちはたくさんいた。あしたのジョーのように親がいない、自分の出生が分からない、戦災孤児みたいな人はたくさんいた」
東京・台東区にある泪橋、丹下拳闘クラブの所在地です。

ちばてつやさん(当時69)
「全室カラーテレビ付き、昔は本当に1泊200円とか。ただただベッドが置いてあるだけでした」
日本の高度成長を支えた、労働者たちの街。山谷は、原作になかった設定で、ちばさんのこだわりでした。

ちばてつやさん(当時69)
「戦争が終わった後の、傷だらけの人間がいっぱいたむろしている街で、色んな人間の触れ合いがあって、ドラマが始まる、導入部みたいなものがどうしても必要だった」
届ける思い「漫画で元気を」
読者は…。
20代
「どれだけ負けても立ち上がる姿がすごく格好良さを感じる。男として人間として」

泪橋には今日も矢吹丈の姿があります。
最大のライバル・力石徹が試合後に倒れた時は、読者からの反響がすさまじく、葬儀も開かれました。ちばさんたちは「なんで力石を殺したんだ」と責められたといいます。あの時代、漫画に自分を重ね、突き動かされた人々がたくさんいました。

ちばてつやさん(当時76)
「読んだら元気になって楽しくて『明日も俺も頑張るぞ』みたいな気持ちになれるようなものが漫画」
デビューは1956年。貸本屋向けの単行本からスタートしました。ゴルフ漫画『あした天気になあれ』の主人公・向太陽の「チャーシューメン」は、大人も子どもも合言葉に。

仲間と共に明るく時代を彩ってきた、ちばてつやさん。漫画家として初めて文化勲章を授与されました。
若い人たちへのメッセージ
晩年になって描き始めた経験があります。

ちばてつやさん(当時76)
「日本は第二次大戦が終わったとたん平和になったわけじゃない。そこから地獄だった」
6歳の時、旧満州で終戦を迎えた、ちばてつやさん。暴行から逃げ、食べるものもない中、日本を目指しました。引き揚げは約1年に及び、若い女性やお年寄り、子どもたちが次々と息を引き取るのを目の当たりにしました。何人か死ぬと、船の速度を落として船尾から遺体を海におろしました。汽笛がお別れの儀式です。

ちばてつやさん(当時76)
「どんどん戦争がゲーム感覚で報道されたりするのを見ると、このまま我々は黙っていてはいけないんじゃないかなと。戦争ってこういうもんだよと、今の若い人たちに伝える。亡くなった人たちの代わりに、二度と戦争が起きないように、そのために頑張ってくれたんだから。ちゃんと、そういうメッセージは残します」
ちばてつやさんは22日、都内の病院で亡くなりました。講談社や小学館が、お別れの会の開催を検討しているということです。
