源頼朝と北条政子の初デートも?三嶋大社に残る歴史と恋の足跡

源頼朝と北条政子の初デートも?三嶋大社に残る歴史と恋の足跡
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 伊豆を代表する神社、三嶋大社。1300年以上の歴史を誇り、源頼朝が源氏再興を祈願した場所としても知られています。境内には、頼朝や妻の北条政子ゆかりの場所や品々が残されています。

【画像】源頼朝直筆とされる古文書

火山が生んだ大地

三嶋大社
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 番組では、紀真耶アナウンサーが三嶋大社を訪ねました。現在改修中の本殿は、1866年から姿を残す国の重要文化財です。

 三嶋大社が祭る神様は、伊豆の成り立ちとも深く関わるといいます。三嶋大社の権禰宜(ごんねぎ)、土佐谷允さんは、伊豆が地震の多い地域であることについて説明しました。

土佐谷さん 
「ご存じかもしれませんが、伊豆は大変地震が多い地域でございます。太平洋プレート、フィリピン海プレート、ユーラシアプレートがぶつかる所が伊豆でございます」

伊豆半島
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 複数のプレートがせめぎ合い、活発な火山活動を経て、およそ60万年前に誕生した伊豆半島。同じころ、日本一深い海とされる駿河湾も誕生しました。幾度もの噴火によって形作られた富士山も、この地の歴史を物語っています。

伊豆を見守る神様

 三嶋大社で祭られている「三嶋大明神」は、大山祇命(おおやまづみのみこと)と積羽八重事代主神(つみはやえことしろぬしのかみ)の2柱を総じた呼び名です。

三嶋大明神は2柱を総じた呼び名
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 土佐谷さんによると、大山祇命は山の神で、富士山の神とされる木花佐久夜毘売(このはなさくやひめのみこと)の父にあたります。積羽八重事代主神は恵比須様として知られる海の神です。山と海、双方に関わる神様が祭られているといいます。

 三嶋大社のご利益は、家内安全や商売繁盛のほか、交通安全などです。

 江戸時代に東海道が整備されると、旅人たちは道中の安全を願い、三嶋大社に参拝したと伝えられています。

三嶋大社の鳥居が描かれている
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 歌川広重の浮世絵「東海道五拾三次之内 三島 朝霧」には、三嶋大社の鳥居が描かれています。東には「天下の険」とも称される箱根峠があり、厳しい道のりを控えた旅人たちが、お守りを受けるなどして安全を祈ったといいます。

頼朝の祈願と縁をつないだ「相生の松」

 三嶋大社には、源頼朝ゆかりの場所がいくつも残っています。

 平治の乱で平氏に敗れ、伊豆へ流された頼朝は、源氏再興を願って三嶋大社で戦勝祈願をしたと伝えられています。

源頼朝が100日間祈願したと伝わる
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 三嶋大社の土佐谷さんによると、頼朝はここで100日間祈願し、その後、山木判官を打ち取って鎌倉幕府を開いたといいます。こうした由緒から、勝負運のご利益があるとされています。

 頼朝は平氏に勝利して鎌倉幕府を開いた後、豊臣秀吉や徳川家康など、名だたる武将たちからも崇敬されてきました。

安達盛長が待っていたとされる場所
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 境内には、頼朝の足跡とされる場所が今も残っています。その一つが、頼朝の警護にあたっていた安達藤九郎盛長が待っていたとされる場所です。

 頼朝が参拝している間、盛長はここで待機していたと伝わります。頼朝は罪人の身分で伊豆に流されていたため、平氏から命を狙われる恐れがあり、警護が必要だったといいます。一方、神社の中では剣を帯びることが許されなかったため、警護はここまでだったと土佐谷さんは説明します。

相生の松
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 その場所に立つのが「相生の松」です。異なる2種類の松が一体となって大きく成長した珍しい木で、縁結びや夫婦円満の象徴とされています。

 盛長は、頼朝と政子の縁をつないだ人物とも伝えられています。頼朝と政子の間で手紙を届け、恋を取り持ったと言われています。

 平氏側で頼朝を監視する立場にあったとされる北条時政。その娘の政子と頼朝を結び付けた盛長が待っていた場所に、夫婦円満の象徴とされる松があることに、紀アナも思いを巡らせます。

池に込めた弔い

神池
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 総門へ向かう途中にある池も、頼朝ゆかりの場所です。「神の池」と書いて「神池(しんち)」と呼ばれ、コイやカメ、スッポン、ウナギなどがいるといいます。

厳島神社
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 池の奥には、赤い社殿の厳島神社があります。広島の厳島神社にゆかりがあり、北条政子が安芸の宮島から勧請したと伝えられています。厳島神社は平氏の氏神様です。

放生会
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 源氏と平氏が戦い、多くの命が失われた後、この池では「放生会(ほうじょうえ)」が行われたといいます。捕らえた魚や鳥などの生き物を自然に帰す儀式で、殺生を戒め、失われた命を弔う意味がありました。

紀アナ
「ただただ滅ぼしてやろうって気持ちだけじゃなかったかもしれないですね。人間らしい心も、こういうところに頼朝の心が表れている感じがしますね」

土佐谷さん
「神仏を重んじた頼朝だからこそ放生会を行ったのではないでしょうか」

政子が奉納した国宝

腰掛け石
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 総門をくぐった先には、頼朝が100日参拝をした際、政子と過ごしたと伝わる「腰掛け石」があります。参拝の折に2人が休んだ場所とされ、向かって左側に頼朝、その隣に政子が座ったと言われています。

 境内では警護が付かず、命を狙われる心配もなかったと伝えられる2人。頼朝と政子が初めてデートをした場所とも言われていて、紀アナは、初デートの日にもここで休んだのかもしれないと想像を膨らませました。

 宝物殿には、頼朝直筆とされる貴重な古文書も所蔵されています。

頼朝直筆とされる古文書
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 頼朝が流人だった時、山木兼隆を討って旗揚げした直後に出したものだといいます。古文書には、三嶋大社にこの地域の支配権を与える内容が記されています。

頼朝の直筆のサイン
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 右下には頼朝の直筆のサインがあり、「頼」と「朝」の字のつくりをくっつけたような独特の文字だと説明されました。

北条政子が奉納した手箱
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 さらに、宝物殿には北条政子が三嶋大社に奉納した手箱もあります。現在は国宝となっている品で、紀アナは現代に見てもきれいだと感想を述べました。

(「グッド!モーニング」2026年10月20日放送分より)

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