8月18日深夜に『AbemaTV』SPECIALチャンネルPLUSで放送された『稲川淳二の怪奇夜話』で、俳優・稲川淳二が、自らの人生において体験したという「運命のいたずら」と、それがもたらした後日談について語り、視聴者を戦慄させている。

番組では『廃校の怪』『クラス会』『天城越えトンネル』『幼なじみの声』『大震災の体験』『三次のもののけ』『日航123便』『芸人たちの宴』『別荘の隣人』『隣の部屋の客』『台湾の心霊』『あるテレビ局の霊』の全12話が稲川によって語られることとなったが、その中で登場した稲川の実体験『日航123便』というエピソードでは、稲川自身が体験したという数奇な運命について明かされることとなった。
今から31年前の1985年8月12日、稲川は当時レギュラーをつとめていた『稲川淳二のためになる話』という健康番組の収録があり、現場に赴くこととなったが、いざ当日になってみると、朝から酷く体調が悪い。かろうじて収録を終えることはできたものの、立っていられないほどの状態になっていたという。
そこで、そんな彼の体調を見かねた番組の制作協力者で、友人でもあった和田美容研究所の和田浩太郎さん(当時36)が、「稲川さん、これ飲んでくださいよ。うちの研究所で開発したもんなんですけどね」と、彼に自社の新製品を渡したという。その後、意外にも早く撮影が終わったことで、和田さんは予定を前倒しにして飛行機で大阪へ向かい、同じく大阪へと向かう予定だった稲川は 、体調の悪さを鑑みてなのか、翌日の朝イチで新幹線に乗って大阪へ。しかしこれが運命の分かれ道だったという。
実はこの時に和田さんが乗ったのが、あの悲惨な墜落事故で多くの死傷者を出すこととなった日航123便だったのだ。つまり、彼は移動を早めたことで事故に巻き込まれ、逆に稲川は体調を崩したことで予定変更を余儀なくされて難を逃れたというわけだ。しかも、“奇妙”なことに稲川と和田さんは、くしくも同じように口髭をたくわえた“似た容姿”の持ち主同士で、和田さんの父である静男さんは「稲川さんと似ているんだよねぇ…うちのセガレ」と、しばしば口にしていたほどだという。
これだけでも背筋が凍るようなエピソードと言えるが、この話には後日談が。なんと、事故発生直後に取材のために現場へと向かうこととなったのは、稲川と和田さんが携わっていた前出番組のディレクターであったのだ。彼は暗闇の中で、遺体が散乱する壮絶な事故現場を必死になって進み、取材活動を行うこととなったが、それを終えて帰宅すると、彼が現場で身につけ、その後、彼の母親によって洗濯されて部屋の片隅に干されていた衣服が、真夜中、風もないというのに、大きく揺れ動くという怪現象が発生したのだという。そのため、彼はさきほどまで取材で訪れていた現場から「御巣鷹山から何か持って来ちゃった」と感じたのだという。
無論、ディレクターによる後日談は、科学的な根拠があるわけではないため、彼の言う「何か持って来ちゃった」が「まともな現象」と呼べるかどうかは不確かではあるものの、少なくとも、稲川自身が身をもって体験することとなった「運命のいたずら」は紛れもない事実。やはり人というのは、絶えず想定外の事象によって翻弄され、数奇な運命を辿ることを余儀なくされる生き物なのかもしれない。