21日、政府の原子力関係閣僚会議で廃炉が正式決定した福井県敦賀市の高速増殖炉『もんじゅ』。
決定について菅官房長官は「運転の再開に相当の期間と費用を要することなどから廃炉することといたします」と説明したが、福井県の西川一誠知事は県に了解は得ぬままの唐突な廃止は地域への影響が大きいとして反発、「これまで40年にわたり国策に協力してきた地元の敦賀、福井県も国に大きな不信感がある」とコメントした。
福井県立大学の井上武史・准教授は、地元の反応について「国との信頼関係で成り立っていたものだったのにも関わらず、県の意見を聞かずに廃止になったことに対して怒りを感じているということ。また、新しい高速炉の開発に関して本当に実現するのかという疑念もある」と説明。「これから福井県の原発は減っていく流れにある。これから廃炉に合わせた地域の経済の在り方を模索する必要がある」と指摘した。
福井県敦賀市の名が、全国的に知られるようになったのは、1970年代。日本初の商業用原発だった敦賀原発が稼働を開始し、もんじゅの建設候補地にも選ばれた。いわゆる『原発銀座』の先駆けだった。
1985年にはもんじゅの建設が開始され、国からの交付金などで敦賀市は潤った。さらに1999年度から15年分の固定資産税412億円、研究開発費4億円など、もんじゅ関連の予算は敦賀市の大きな収入源となった。交付金ではいわゆる"箱物"建設も行われ、市が建てた温泉施設には24億円の建設費を充てている。
「我々にとって、この地域にとっても、『夢の原子炉』だった。それは地域の発展という意味も含めてである」
もんじゅが立地する、福井県敦賀市白木地区の区長である坂本勉氏は、もんじゅを受け入れた時の雰囲気についてそう振り返る。「今後、人が減っていくということに対して、違う手段で雇用が生まれるようなこともしていかなきゃいけないなと思っています」と話した。
商店を営む武内貴年氏も「もんじゅがナトリウム事故を起こした後に入社した人たちが信頼を取り戻そうと頑張っている姿を見ていたので、その気持ちを考えるといたたまれない」とコメント。「私のような小売りの人間にはあまり恩恵は感じられなかったが、周りには恩恵を受けた人もいる。」と、高速増殖炉の開発に一定の理解を示す。
一方、もんじゅにはトラブルも相次いだ。この22年で発電したのは、延べ日数でわずか44日。
松野文部科学大臣も「結果として多額の国費を投入したにもかかわらず、当初期待された成果のレベルに至らなかったことは事実であります」と失敗を認めた。ただ、政府はもんじゅに代わる新たな高速炉の開発を続けることを明らかにしており、国内での建設を念頭に置いている。
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