女優の石田えり(56)が、パーソナルトレーニングジム「RIZAP(ライザップ)」の新CMキャラクターに起用され、話題になっている。

 かつては映画や写真集などでヌードを披露し、抜群なプロポーションで男性ファンを釘付けにしていた石田だが、50代になりジム通いやジョギングなど自己流のダイエットでは結果がなかなか出ず、体型が戻らなくても「おばさんだから仕方ない」と自分を甘やかすこともあったという。

 そして「もう一度若いころからやってみたかったことに挑戦したい。50代60代になっても不可能はないということを自分自身に証明してあげたいです。やるからには当時の体型を超えたい」とコメントし、「脱ぎます。全部脱ぎます!」と24年ぶりにグラビアに再挑戦することを宣言した。

 熊本県八代市出身の石田は、両親の離婚により、3歳から9歳まで妹と2人、児童養護施設で育った。1976年、中学3年生の時に芸能事務所に入ると、クイズ番組『スター・チャレンジ』のアシスタントで芸能界デビュー。1978年『翼は心につけて』で骨肉腫に冒されたヒロインを演じ、スクリーンデビュー。1981年の映画『遠雷』では、ヌードになって豊満な乳房を披露。体を張った大胆な演技が注目を集め、日本アカデミー賞優秀主演女優賞と新人俳優賞を受賞した。

 1985年にミュージシャンの芳野藤丸と結婚したが、1990年に離婚。以前、トーク番組に出演した際、結婚生活について聞かれると「良いことは全然無かった。お互いにだと思いますけど……。包丁を持って喧嘩したこともありますし」と答えている。

 『釣りバカ日誌』シリーズは、1988年の第1作から出演していたが、1994年の『釣りバカ日誌スペシャル』を最後に降板。降板の理由として、石田は「撮影の疲れかたが半端じゃなかった。騙し騙し7年間続けていた」と告白している。

 1993年には、ドイツの写真家、ヘルムート・ニュートン撮影のヘアヌード写真集『罪』が発売され、SM嬢を意識したコスチュームを披露。「衣装合わせに行ったら、SMの、それもすごい服だらけで、『逃げるなら今しかない』と思ったくらいです」と話し、「でも半端な写真集にしたくなかった。人の目が気になっていたから堂々と生きたいと思ったんです。そうするには、裸で生きてやるぐらいの気持ちがなければ」とコメントしている。

 2005年の映画『ジーナ・K』では、日本のマリリン・モンローとも称されたジプシーローズをモデルにした伝説のストリッパーを演じ、貫録と哀愁漂う往年のストリッパーぶりが高く評価される。2007年に出演した映画『サッド ヴァケイション』は、第64回ヴェネツィア国際映画祭ではオリゾンティ部門のオープニング作品として上映され、石田は高崎映画祭最優秀主演女優賞を受賞した。

 石田は過去に三國連太郎や萩原健一との噂もあったが、現在は特定の彼氏の噂は無く、「本当は再婚して、子どもが欲しかったんですが、誰にも出会わないまま、時が淡々と過ぎていって。気がついたらもう、出産は難しい年齢になっていた。私は子どもを生まないことを受け入れました。もうじたばたはしない。だから仕事をがんばりますよ」とコメントしている。

 波瀾万丈な半生を歩み、仕事に生きる石田えりがカラダづくりに成功して、円熟のボディーを披露してくれることを期待したい。

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