
(画像は「LIFE IS GROOVE」公式サイトより・スクリーンショット)
「ザ・スパイダース」のメンバーとして人気を集め、音楽界のレジェンドとして活躍したミュージシャンのムッシュかまやつさんが3月1日、膵(すい)臓がんのため東京都内の病院で死去した。78歳だった。
日本ジャズ界の草分け的存在であるティーブ釜萢さんの長男として生まれたかまやつさんは、幼いころから米国音楽に親しんだ。青山学院高在学中にカントリー&ウエスタンの学生バンドを結成し、米軍キャンプなどを中心に活動。1957年、18歳のときに国際劇場でプロデビューを果たす。
ミッキー・カーチスらと共にロカビリーや歌謡曲などもこなしたかまやつさんは、「ワゴンマスター」「サンダーバード」「キャノンボール」などのグループの一員として日劇ウェスタンカーニバルに出演し、テイチクレコードにてレコードも多数吹き込む。1959年には釜萢ヒロシ名義で、東宝映画『檻の中の野郎たち』に出演。
ザ・スパイダースにゲストボーカルで参加した後、1964年に正式メンバーとして加入しヴォーカル及びリズムギターを担当。1965年に発表したデビューシングル「フルフリ」では作詞・作曲を手掛け、同曲は日本で最初のオリジナルのロックナンバーとなった。1966年には日本のバンドとしては初の全曲オリジナル・ソングによるアルバム「ザ・スパイダース・アルバムNo.1」を発表。このような活動から、かまやつさんは後年「日本初のロック・ミュージシャン」、「ジャパニーズロック界のレジェンド」と呼ばれるようになる。
1970年のザ・スパイダースの解散後もソロシンガーとして活躍。1970年2月に発売された初のソロ・アルバム「ムッシュー/かまやつひろしの世界」は、当時世界的にも珍しかった「一人多重録音」という画期的な方法で制作され、音楽的にも様々なジャンルを融合した実験的な作品だった。なおこのアルバムには、俳優の石坂浩二、作詞家の安井かずみとなかにし礼、テンプターズの萩原健一が作詞で参加している。
その後は、フォークの若い世代と積極的に交流を持ち、ジャンルを軽々と飛び越えた音楽活動を続けて、1975年に吉田拓郎が作詞・作曲の「我が良き友よ」をリリース。古き良き「バンカラ」な男性の姿を歌ったこの曲は70万枚のセールスを記録する大ヒットとなり、B面の「ゴロワーズを吸ったことがあるかい」とともに、かまやつさんの代表曲となった。
1972年には「荒井由実」時代の松任谷由実のデビュー曲「返事はいらない」のプロデュースを担当。後進の育成にも熱心で、後のJポップ文化にも多大な影響を与えた。テレビアニメ「はじめ人間ギャートルズ」のエンディングテーマとなった「やつらの足音のバラード」は、1994年に小泉今日子、2004年にはスガシカオによってカバーされている。
1986年に日本を代表するスタジオ・ミュージシャン達を集めたバンド「One Night Stand Brothers」を結成したり、アラン・メリル、大口ひろし、ルイズルイス加部と結成した「ウォッカ・コリンズ」の活動。1999年には、堺正章と井上堯之とともに「ソン・フィルトル」を結成し、シングル「Yei Yei」をリリースした。
2002年には小西康陽プロデュースのアルバム「我が名はムッシュ」を発売。松任谷由実、小山田圭吾、ミッキー・カーチスなどがコメントを寄せたり、堺正章との共演曲などが話題を呼んだ。
常に音楽界の時代の波に乗りながら、あらゆるジャンルのミュージシャンとも積極的に共演し続けたかまやつさんは、伊藤銀次、THE ALFEE、Char、カヒミ・カリィ、曽我部恵一など、世代もジャンルも超えた多くの日本人ミュージシャン達から尊敬されるミュージシャンだった。日本の音楽界を切り開き続けたその軌跡は、死しても永遠に輝き続けることだろう。
芸能ニュースをお届け!『芸能(秘)チャンネル』は毎週月~金曜日 17:00~18:00「AbemaSPECIAL」チャンネルにて放送中


