3月30日、全国上映中の映画『ひるね姫~知らないワタシの物語』のトークショーが都内で開催された。登壇したのは主人公・ココネ(高畑充希)の幼馴染の理系大学生・モリオの声優を務めた俳優の満島真之介。沖縄出身の明るいキャラクターでバラエティ番組でも人気の満島だが、今回は、この春進路を新たにする学生に向けて「満島流の処世術」を伝授。高校卒業から上京、そして俳優になるまでの道を語った。

満島真之介本人の希望で開かれたイベント
実は同イベントは満島本人の希望で開かれたイベント。「みんなに会いたくてしょうがない。本当は毎日舞台挨拶したいくらい。でも、事務所が許してくれないので(笑)、たまにはこういう風におしゃべりしたい」と語る満島は、観客とハイタッチをしながら入場。ハイタッチを含め、ハグや握手、スキンシップが好きだといい「1回触れる触れると(心の距離が)近くなる気がする」と、初っ端から人懐っこさ全開だった。

大学進学を断念 体育教師の夢を諦め、上京するまで
3月1日に地元、沖縄の高校の卒表式を迎えたという満島。その日程については、「僕ら沖縄なので、勉強しないので。3月に勉強してもしょうがないじゃん。みんな島を出て行くので、それだったら同じ時間を過ごそうと。学校側も3年生に来てもらっても困る。だらだらしてるし、ずっとサーターアンダギー食べてるし(笑)」と冗談まじり。卒業式の翌日には上京したというが、それには様々なエピソードがあるという。

満島の両親は、2人とも体育教師。両親はことあるごとに、2人が出会った東京の大学時代の話をし、「4年間死ぬほどきつかったけど、学ぶことも思い出も多い」と爆笑しながら話していたのだそうだ。その影響で満島自身も、体育大学に進学し、体育教師になるものだと思っていた。
しかし、高校3年生で東京の体育大学のオープンキャンパスに行った際に、その夢は変わる。実際に訪れたその大学は、満島の両親が通っていた頃の空気とは変わっていたというのだ。
「僕がポロシャツをインして丸坊主で行ったら、大学生に笑われて。こんなやつ今時いないと。その瞬間、僕の今まで思い描いていた道がスッとなくなってしまった。ここに僕が4年間入る必要はないかもしれない」
ファッションを笑われたことで、大学への興味を失ってしまった満島は、18年間描いていた夢を丸ごと失ってしまう。それと同時に、自分は世の中のことをまだ何も知らないと気づき「次はアメリカに行こう!」と、渡米を考え出したのだそうだ。
しかし、この道もひょんなことで変わってしまう。
3年生の秋に、満島はハーフの親友の友人であるアメリカ人3人と出会う。彼らは満島に言わせると「すごいヒップホップな感じの『ヘーイ!ワッツアップ』みたいな感じの明るいやつら」とのことだが、ある時、ランチでタコライス食べている時に、いきなり「シンは天皇のことどう思う?」と聞いてきたというのだ。満島は「ちょうど考えてたんだよね。今」とごまかしたものの、実際には考えたことなどあるわけもなく、何も答えられなかったといい、「俺はまだアメリカに行けない。日本のことを何も知らないのに、“日本代表”になれない!」と感じたのだという。そこから、満島は「日本の中心に行くしかない!」と、目的も決めないまま東京に出ることを決意する。
上京2日目で保育園のスタッフに 「ここ子供と遊べるんですか?」

卒業式翌日に上京した満島は「学校もないし、友達もいないし」とのことで、近所をフラフラ。そうしているうちに『子供と遊んでくれる人募集』と言う張り紙を見つけ、それに誘われるまま保育園に。「昨日東京に来たんですけど、ここ子供と遊べるんですか?」と、いきなり保育園に入ってきた姿は完全に不審者だったというが、子供たちへの純粋な思いを語ると「明日から来てくれ」と、採用。保育園のスタッフとして働くことが決まった。
フラッと職を見つけた満島だが、ついた仕事は保育園以外にも。三軒茶屋のレンタルビデオ店・TSUTAYAでも働いていたといい、「いらっしゃいませ」風に「エアロスミッス~」と挨拶していたと語り、笑を誘った。
園子温作品に感動 映画の助監督時代

さらに、映画の助監督をしていた時代も。スポーツにしか興味がなく映画をあまり見たことがなかったという満島だが、高校時代1本だけ影響を受けた映画があるのだという。それは園子温監督の『HAZARD ハザード』。満島は上京前に、ホームページから「東京行くので、何か雑用でもいいので、使ってくれないか」とメールをしたといい、「本気か?」と監督からまさかの返信。そこから、上京1週間後には園監督と会い、助監督をやることになったというのだ。
「映画を作りたいわけではなかった。人に興味があって」「夢っていうものはなくて。あったのはその時の好奇心だけ。決まっていないから、全部見える」と満島は語る。
「夢=仕事」という考え方にも満島は違和感を感じるといい、「幸せになりたいとか、あの靴を買いたいとか、1日8時間寝るとかでもいいじゃない。でも、『夢』って言われるとちょっと拒否反応が出ちゃう。『ない』っていうと『夢もないのか』って言われるし。だから、僕は変換した。毎日瞬間瞬間起きてることに触れてみる。そういうことを自分の夢というか、楽しみにしてみた」と様々な職を経験した理由を語った。
その後、2010年に俳優デビューを果たした満島だが、「役者になるとは1ミリも思っていなかった」「表に出るのだけは勘弁と思っていた」とのこと。「ただその時、興味のあることを積み重ねていったら今の自分がある」といい、俳優業をしている時も迷いがあったそうで、マネージャーにも「やりたいのかどうかもわからない。頑張るけど、無理だったら、別のことする」と宣言していたのだそうだ。
しかし、作品に出るごとに様々な出会いがあり、役者の仕事も楽しく感じられるように。やりたいことを周りに公言することで、「ラジオをしたい」「声優がしたい」という『夢』も実現していったと語った。
自分の意見を言えなかった子供時代 変わったきっかけは25歳

「いつもそんなに元気なんですか?オン・オフはないんですか?」と観客から聞かれた満島は、「ずっと元気。でも、元気になるまでは、大変なことたくさんあった」と意外な回答。満島によると、4人兄弟のちょうど真ん中だった満島は「小さい頃は引っ込み思案。家族の中で全く意見もださなくて、バランサーだった」とのこと。
しかし、「25歳で男は何か決めなければいけない」と考えていた満島は、25歳になる時に、今まで付いてきた嘘、合わせていた話、無理して付き合っていた友達・知り合いなど、余分なものから脱皮しようとしたのだという。
満島はカメラマンとともに沖縄に帰り、通っていた保育園や友人との溜まり場などルーツの地を巡り、「当時できなかったことを全部した」。泣きたかったら泣けばいいし、不良になりたかったらなればいい。自分を解放したことで、「自分がどんどん戻ってきた。自分って生まれた時からずっと全部自分だったんだ」と、気づけたのだという。努力して自分であろうとするのやめた満島は「そこからは常に元気。自分らしくなれた。オンもオフもない。オフは死ぬとき」とのことだった。
“やりたい”は生理現象 学生たちに「トイレの法則」を伝授
最後に満島は、学生たちに「トイレの法則」を伝授。これは満島が生き方の指針にしている法則だといい、「どうしようもなくトイレに行きたいとき。どんなに偉い人がいても我慢できなかったら『すみません』って行くでしょ?それで行って、戻ってきても周りは何も変わってない。けど、自分だけがスッキリしている。逆に我慢すると膀胱炎になる。なんでもそう。」と説明。「『やりたい』は生理現象。それくらいの気持ちでやりたいことをやってください」と、エールを送った。

テキスト:堤茜子
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