福島第一原発の事故から6年が経過し、3月31日には福島県の浪江町、飯舘村、川俣町の一部地域に出されていた避難指示が解除、4月1日には富岡町の一部でも避難指示が解除された。村の大半が解除となった飯舘村では記念式典が行われ、村長の菅野典雄氏が「待ちに待った解除ということですが、これはゴールではありません。これから復興のスタートに立ったということであります」と挨拶。住民らも「スタートということだから一つの区切り。ゼロから、いやマイナスからのスタートだ」と話した。
政府は除染作業が進み、年間20ミリシーベルトを下回ったことから避難指示を解除した。国は避難指示を解除する基準を「被曝線量が年間20ミリシーベルト以下」としているが、これは原発事故などの緊急時の基準。しかし、原発事故から6年が経った今でもこの基準が使われている。普段の生活での被曝線量は世界平均で年間2.4ミリシーベルト(資源エネルギー庁調べ)だとされている。
東京大学先端科学技術研究センターの教授であり、福島県に通って残留放射能の調査を続けている児玉龍彦氏は、政府の測定方法に当初から異論を唱えている。児玉氏は「20ミリシーベルトを下回ったからといって避難指示を解除できるという論拠はまるでどこにもない。そもそもなぜ人がガンになるのかもわからない時点で、危険なのか危険ではないのかの判断は難しい」と指摘。
「最初は100ミリという人がいて、20ミリになって、チェルノブイリじゃ5ミリだったとかって。環境基準はそういうものじゃない。今の20ミリとかなんとかっていう議論は、ここらへんで議論を打ち切りにしたいということ。賠償打ち切りなんて言えない。地産地消の日本を取り戻すという責任感が全くない。放射線量だけで議論するからおかしくなる」とし、放射線量はあくまで避難指示を解除する際のひとつの要素であるべきとの意見を示した。
さらに、そもそも政府が基準を決めて、避難指示を出したり、解除したりということが間違っているとし「私の肝臓を3分の1ほど妻に移植した時は、4回のCTスキャンで20ミリシーベルトほど放射線障害を受けたが、見返りがあるからこそやった。住民が主導権を握って『住みたいから住む』という選択を出来るようにして欲しい。政府と東電は、きちんと1ミリシーベルト以下にする責任を負っている」と語った。
とみおか子ども未来ネットワーク理事長の市村高志氏も「正直、何ミリシーベルト被曝線量が減った、というようなことはどうでもいい。なぜなら、事故の前に戻してほしい、ということが基本的な願い。政府はそうしてくれると言っていたので、しっかりやってくれ、というしかない」と切実な気持ちを明かした。(AbemaTV/AbemaPrimeより)