1990年代に放送され、今でも語り継がれている伝説の番組、『ボキャブラ天国』シリーズ(フジテレビ系)。当時の若手芸人の登竜門的な存在で、芸人なら誰もが出たいと思っていた番組だ。そこから数多くの芸人が世に出て人気になり一世を風靡した。
ボキャブラ芸人で今もなお第一線で活躍をしているのが爆笑問題や海砂利水魚(現・くりぃむしちゅー)やネプチューンなどだ。彼らボキャブラ芸人は当時爆発的な人気があり、アイドル並みに女性からの支持があった。そして番組だけではなく、全国各地の営業やイベントに呼ばれるようになったのである。

(ピコ太郎のプロデューサー・古坂大魔王も元々はトリオ「底抜けAIR-LINE」の1人としてボキャブラ天国」に出演していた)
ボキャブラ天国に出ていた芸人の多くは当時20代であり、デビューしてから2~3年目で一気に人気者の仲間入りをした芸人も数多くいた。20代で売れる芸人は数えるほどしかいない現在と比べると、かなり異常な世界だったのである。番組に出始めは電車で通っていたのにいつの間にか車を買って通うようになり、外車を乗り回していた芸人もいた。お金を落とし、それに気付いても、例えそれが1万円札であったとしてもわざわざ拾わなかったという。
とあるボキャブラ芸人は「当時一気に大金を稼いだのでお金の価値が分からなくなっていたのだと思います。売れるのは簡単。このままずっとテレビに出続けるんだろうとも思っていました。あの時の自分はどうかしていました。今考えると怖いです」と、語っていた。
20代そこそこで相当な額のお金を手にし、周りからチヤホヤされてしまったらそれくらいの勘違いはしてしまうのであろう。ボキャブラ天国が終わり、2000年代に入るとかつて大人気だった芸人は忘れ去られ、次の新しい芸人へと時代は移っていった。その中でも前出のような芸人たちは生き残ったが、その他の芸人はその後どのようになったのだろうか。
テレビで見ない日はないくらい人気の土田晃之は、元々「U-turn」というコンビを組んでおり、相方は芸人を辞め一般人となった。ピコ太郎のプロデューサー・古坂大魔王も元々はトリオ「底抜けAIR-LINE」出身である。メンバーの小島忍と村島亮は、お笑いとは別の仕事をしている。
俳優や演出家、声優事務所に所属した芸人も

(画像・浅井企画提供)
しかし、業界に残っている芸人も多い。江頭2:50は、コンタキンテとともにコンビ「男同士」を組んで「ボキャブラ天国」にも出演していた。今、元相方・コンタキンテは、俳優や演出家として活動している。放送作家やマネージャーなどの裏方に転身した元芸人もいる。
替え歌を持ちネタにしていた金谷ヒデユキはミュージシャンとして活動していたが、やはりお笑いを忘れられないということで、現在は浅草東洋館などで舞台に立ってネタをやっている。声優事務所81プロデュースに所属し、声優としての活動も行なっているという。
「遅れてきたルーキー」として人気を博したBOOMERは、同じくボキャブラ芸人のプリンプリンとユニットを組み、現在でも新作コントを作ったり、爆笑問題が主催するタイタンライブに出演したりするなど活躍している。
彼らボキャブラ芸人は当時ライバルであり、目も合わすことなくバチバチの面もあった。彼らが所属する事務所は、学園祭や営業の取り合いでこちらもライバル関係にあった。しかし今では同級生のような仲間意識があり、当時の思い出を笑い合える年齢になっているという。
昨年末大ヒットとなった“ピコ太郎”をプロデュースする古坂大魔王のように、再ブレイクをする“ボキャブラ芸人”が今後現れるかもしれない。