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 起業を志す者でなくても、一度は目にしたことがある名物番組『マネーの虎』。番組では、「虎」と呼ばれるベテラン起業家を前に、出資を募る起業希望者たちがアイディアをプレゼン、激しい応酬を繰り広げるのが見ものだった。

 そんな「虎」たちの中でも、「冷徹な虎」と呼ばれた男がいる。南原竜樹だ。冷静な語り口でロジカルに起業希望者を追い詰める一方、「南原が出資したら必ず成功する」と言われるほどの眼力を持ってており、出資したクレープ屋はその後200店舗に拡大するまでに成長した。

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 だが、そんな南原の「その後」を知る者は多くないだろう。

 一時は100億円以上の財産を築きながら、すべてを失いホームレスとして暮らすまでに転落。しかしその後、V字回復を遂げた。「ストレスは自分のご飯」と言うほど、自らを危険に晒し続ける南原。「冷徹な虎」の軌跡を追った。

■120万円!全社員にブルガリの腕時計を支給

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 現在「LUFTホールディングス」を率いる南原。グループ会社を含めれば8社、社員数は約600人を抱える。東京・名古屋・沖縄を主な拠点に、出版事業やレンタカー会社、飲食店のコスト削減など、業態は幅広い。社名の由来は「LUFT=上昇気流という意味」だというが、南原自身の人生は決して順風満帆だったわけではなく、壮絶な乱気流に巻き込まれ、時には急降下を余儀なくされることもあった。

 南原の起業は学生時代に遡る。1984年、24歳のときにヨーロッパからの自動車輸入業を始めた。当時はまだ「ベンチャー」や「起業家」などという言葉はない。「要するに『プー太郎』ってことでしたね(笑)」。

 だが、その「プー太郎」が、とにかく安い値段で外車を売りまくった。「為替のギャップを利用したんです。同じポルシェを買うにしても、ドイツで買うと高いので、イタリアのリラが安くなったときに買うとか」。ヨーロッパにアメリカ、時には中東にまで展開して自動車を売りまくる。ついたあだ名は「アラブの自動車商人」だった。

 さらに、ケンカをすることも厭わないのが南原の特徴だった。「イタリアで明らかな中古車を『新車だ』って言われて買わされそうになってね。拳銃突きつけられたんですよ(笑)」。

 またある時は「適正価格」と銘打って、格安で仕入れた高級外車の広告を新聞に出稿。しかも掲載位置は、大手ディーラーの広告の隣だった。「そりゃ『うちが不適性価格ってことか』って怒鳴られますけどね。テンションマックスで突き進んだんです。楽しくて」。

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 当時まだ20代半ば、「24時間365日働いていた」と振り返る南原。稼いだカネの使い方も豪快だ。

 ある晩、ディスコに花売りの女性がきたときのことだ。「普通2,3本買うでしょ。でも全部の花売りの女性を呼んで『全部もってこい』って言って、ディスコを花だらけにしちゃった」。

 従業員への還元も豪快だ。全社員に当時120万円のブルガリの腕時計を支給した。ボーナスは年3回、それも「押しても倒れない額」を渡していたという。札束を縦にしても100万、200万だと押しても倒れてしまう。だがそれが「500万円以上になると"押しても倒れない"んです。24時間365日働いてそれくらいもらえるんだからいいじゃないですか」。ワークライフバランスやコンプライアンスが叫ばれる今では、なかなか考えられない話だ。

■「バス停を探して、ベンチで寝た」

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 そんな快進撃を続ける南原を落とし穴が待ち受けていた。

 当時扱っていたイギリスのローバーが倒産したのだ。「アメリカのGMみたいに民事再生ではなく『倒産』です。すると誰もアフターケアのない会社の車なんて買いませんよね。僕達が仕入れていたローバーの車は全部ガラクタ同然になってしまいました」。

 損失は20億円にものぼった。さらに赤字決算になったことで資産状況が悪化、銀行が貸付金の返済を求めてきたことも追い打ちをかけた。

 自動車の輸入は、借入金で車を仕入れて売上を立てていく業態。慌てて自社ビルを売るなどして金策に走るも返済は進まず、最後は机や椅子をオークションサイトで5000円で投げ売った。気づけば貯金もゼロに。カードも止められた。

 そんな中、強気な南原が「涙がちょちょ切れた」出来事があるという。

 ある晩、住む所もなく途方に暮れた南原が六本木ヒルズの公園で寝ていたところ、警備員に注意された。「なぜ公園で寝ることを注意されないといけないのか」。ムッとした様子で言い返すと、警備員はにやりと笑い「ここは森ビルの私有地なんですよ」。一言も言い返すことができなかった南原。トボトボと歩き、バス停を探して、ベンチで寝た。

 「落ちこぼれてからは誰も声かけてこないです。たこ焼きをクルクルってひっくり返すみたいに。みんなそっぽを向く」。

 しかし南原は、こうも語る。「でも、その後、またたこ焼きがクルクル回ってくるんですけどね」。

 そこから「奇跡」が連発するのだ。

■「常に全額ベット」で3200円→3億円

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 一文無しになった南原は、驚異的な復活を遂げるまでに「『6000万円、1億円、3億円』のターニングポイントがあった」と振り返る。そうして得た金をすべて「オール・イン」して次々と増やし、復活していったのだ。

 南原が最初に目をつけたのが人材派遣業だ。「一部屋あれば人材派遣はできる。それに先行投資もいらない」。

 「男芸者ですよ。なんでもしましたよ。時には土下座もしました」。そうやって作った6000万円を元に、次なる勝負に出る。M&Aの仲介をしたことで「たまたま仲介手数料で1億円いただけた」。

 さらに不動産業に参入したことで「出会い頭に3億円儲けた」。稼いだ金を「常に全額ベット」が南原の方針だ。銀行口座のコピーを見せてもらうと3200円の残高から、短期間のうちに3億円が振り込まれていることがわかる。

 危険を顧みず常に攻めの経営を続ける南原。その経営哲学はシンプルだ。「諦めないことです」。そうはっきりと語る。

 「5年後には1000億円になっていますよ。3240円になっているかもしれませんが」と不敵に笑う南原。5年後、「虎」の牙はどうなっているのか、楽しみだ。(AbemaTV/「偉大なる創業バカ一代」より)

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偉大なる創業バカ一代 | AbemaTV
偉大なる創業バカ一代 | AbemaTV
極めたければバカになれ!創業バカ一代
偉大なる創業バカ一代 | AbemaTV
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