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 通りすがりの車に乗せてもらい、目的地まで向かうヒッチハイク。このヒッチハイクを、車椅子で行う若者がいる。寺田ユースケさん(26)だ。

 寺田さんは1990年に愛知県で生まれた。生まれつきの脳性まひの影響で足が不自由だったが、小学校から高校まで、大好きな野球に明け暮れていたという。

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 「中学校、高校生くらいまでは足が悪い自分が嫌いで、車椅子に乗ったら"障害者"になってしまうという抵抗があった」。

 そんな思いから、車椅子を使わず、自分の足で歩いてきた寺田さん。しかし、人生を変えたのもまた「車椅子」だった。

 「大学生の時に車椅子に乗って人生が180度変わったんです。行動の幅が広がって友達とも会話できるようになって。歩きながら行動もできるし。まさにかぼちゃの馬車でした」。

 行動範囲を広げた寺田さんは、大学在学中に芸人を目指しタレント養成所に入学、そして上京。さらに、お金を稼ぐためにホストにもなった。

 寺田さんが車椅子ヒッチハイカーになったのは、そんな生活を変えたかったからだという。

 「昼夜逆転の生活をしていたせいもあって、身体が悪くなって。これ以上ホストとしての生活はできないと思いました。まだ日本各地に行ったことないから、身体が動く範囲で回ってみたいなという気持ちが芽生えてきて。僕が助けてといえば笑って気軽に後押ししてくれる、そういう方々が全国にいっぱいいるんじゃないかなという思いで旅を始めました」。

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■2年間で47都道府県を巡る旅

 先月22日、2年間で47都道府県を巡る旅を東京からスタートさせた寺田さん。「ちょっと助けてもらえませんか?」の声に、車椅子を押してくれ協力者は、100人を超えている。ヒッチハイクに密着取材させてもらった。

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 待ち合わせ場所は新潟駅。佐渡島に行くのがこの日の目的だ。寺田さんの旅は、目的地は自分で決めるが、車椅子を押してくれる協力者を見つけ車に乗せてもらうか、交通機関に一緒に乗ってもらい、移動することになっている。

 佐渡島行きの船が出る港に向かう人を探す寺田さんに、実家に帰る途中だという男性が声を掛けた。

 「佐渡が実家だから佐渡に帰るとこなんだよ。俺もバスを持っているから行く?」

 バスで走ること15分。佐渡島には1時間かかる高速フェリーか、2時間半かかるカーフェリーが運行している。高速フェリーを使う男性とはここでお別れだったが、子連れの女性が「子供の機嫌が悪くなったら申し訳ないですけど」と協力してくれた。

 そしてついに佐渡島の両津港についたフェリー。次に寺田さんが目指すのは佐渡金山だ。港付近には歩いている人が少なかったため、交通量の多い道路でヒッチハイクを試みる。

 ここでも佐渡金山のある相川地区へ向かう人を2秒で発見した。乗せてくれた北野さんは「ちょっと遠回りしていいですか?」と声をかけ、特別天然記念物のトキを探し始めた。

 現在日本には250羽(今月17日現在)ほどのトキがいるとされ、佐渡島では時折目撃されている。何度もサギと間違え、ようやくトキを発見した二人。「こういう時って足が動くもんなんですね」と寺田さんも笑顔を見せた。

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■バリアフリーの状況や車椅子から見た観光地の景色を撮影、発信

 2日目、ついに目的地の佐渡金山にやってきた寺田さん。

 「ここまで行きやすくしてもらっていたら絶対楽しめるでしょ、これは」と、想像以上のバリアフリーに興奮。

 実は寺田さんは、旅先でバリアフリーの状況や車椅子から見た観光地の景色を撮影、発信している。

 「みんなが感動するところでも、車椅子目線だと、あれっ?っていうことがある。だからウィルチェアー(車椅子)フォトという形で発信していきたい」

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 佐渡金山で出会った夫婦に麓まで連れてきてもらった寺田さん。次なる目的地は佐渡最南端の港・小木港だ。再び路上ヒッチハイクをする寺田さんだが、なかなか協力者が見つからず、近くのショッピングモールに移動。すると寺田さんの携帯電話に協力を申し出る一本の電話が入った。なんと、1日目に新潟駅で出会ったあの男性からだった。男性はSNSで寺田さんの生配信を見てくれていたという。寺田さんは、「信じられないです」と、"奇跡"に大喜びした。

 寺田さんはこれまでのヒッチハイクで地方のバリアフリーについて気付いたことがあるという。

 「東京と比べた時に、ホームと電車の入り口の段差がすごく違うなと。東京だと15センチくらいでも高いと感じるのですが、新潟では30センチくらい差があって」。

■『ちょっと助けて』だったら気軽に言えるんじゃないかな

 「都内の駅にいて、改札から出た時に10m先に階段があったんですよ。駅員さんに、『車椅子を運ぶのを手伝ってもらえませんか』と声をかけたところ、『管轄の範囲外なので運べません』と言われて」。

 そんな腹立たしい思いを寺田さんが友達にぶつけると、「道行く人はいっぱいいたわけでしょ。駅員さんじゃなくても、ちょっと助けてって言えれば良かったんじゃないの」言われ、考えが変わったそうだ。

 寺田さんは現在、『HELPUSH』という団体を立ち上げ、活動している。団体名の由来は、HELP(助けて)とPUSH(押して)を組み合わせたものだ。

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 「世の中を見ていると『助けて』って言いづらいなと感じていて、でも『ちょっと助けて』だったら気軽に言えるんじゃないかなという思いを込めてやらせて頂いています」。

 自身について「ずっと強がりで生きてきた」と話す寺田さん。「『ちょっと助けて』『ちょっと助けるよ』っていう気軽な助け合いの世の中になって欲しいなと思って旅をしています」と話した。(AbemaTV/AbemaPrimeより)

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