東京上野動物園のジャイアントパンダ・シンシンの赤ちゃん出産から一夜が明けた13日、上野動物園を訪れた観光客からは祝福の声が上がっている。
上野動物園によると、シンシンと赤ちゃん、現在24時間体制で飼育員らが観察しているが、母子ともに健康状態に問題はないということだ。赤ちゃんは体重150g程度で、性別などはまだわかっていない。今後は赤ちゃんパンダの成長を見ながら、一般公開の時期を決めるという。また、名前は公募する予定だ。
さらに、中国からも祝福の声が届いた。中国外務省の陸慷報道局長は「良いニュースだ。長年、パンダは中国と他国との友好の使者だ。パンダが日中の国民感情の深まりに、より大きな役割を果たすことを願う」と述べている。母親のシンシンは2011年に、父親のリーリーとともに中国から10年の期限で貸し出され、赤ちゃんも生後2年をめどに中国に返すことになっている。
パンダ誕生を受けて、上野は盛り上がりを見せている。松坂屋上野店では、パンダの形をしたバルーンを飛ばして誕生を祝福。さらに、「ハッピーパンダウィーク」と題したセールを開催中だ。同じく、上野のアメヤ横丁でセールを行っているお店も。パンダ誕生による経済効果は約267億円と推定されている。
初めてパンダが来日したのは、今から45年前の1972年10月28日。日本航空の特別機で羽田空港に到着したのが、ジャイアントパンダのカンカンとランランだ。2頭はパトカーに先導されて上野動物園に運ばれた。多くの報道陣や一般の観客が詰め掛け、11月4日の一般公開初日、徹夜組も含めて約3000人の見物客が訪れ、園内は長蛇の列が出来るほど人気だった。
中国にとって、パンダは外交の大きな切り札になっている。中国が初めてパンダ外交をしたのが、1941年の日中戦争のときだ。アメリカを味方につけようと、パンダを贈呈。また、1957年の冷戦時に旧ソ連に贈呈。社会主義国家の“先輩”だった旧ソ連と親密になろうとした。また、1972年には、日中共同声明・米中共同声明を受けて、日本とアメリカに贈呈された。
1972年に中国から贈呈されたカンカンとランランと違い、シンシンとリーリーは中国からの“レンタル”となっている。1984年に締結されたワシントン条約の影響で、パンダが「今すでに絶滅する危険性がある生き物」に認定されたために、学術取引を除くすべての国際取引が禁止された。
また、パンダのレンタル条件も厳しく、レンタル料がペアで年間95万ドル(約1億600万円)、子供が誕生すると年間60万ドル(約6700万円)、死んだ場合は、賠償金として50万ドル(約5600万円)を支払う必要がある。今回生まれた赤ちゃんの命名権は日本にあるが、中国の同意が必要だ。
しかし、パンダが日本に送られてきたのは、中国のパンダ外交に際してだけではない。阪神淡路大震災から5年がたった2000年7月、復興に取り組んでいる神戸市民のために中国から2頭のパンダがレンタルされた。そして、東日本大震災が起こった2011年4月、3年ぶりに上野動物園で公開されたのが、シンシンとリーリーだ。通常、中国に頼んでもなかなか実現しないが、このときは中国からの申し入れでレンタルされた。
日本を癒してくれたパンダ。今回生まれた赤ちゃんパンダの一般公開が待たれる。
(AbemaTV/『原宿アベニュー』より)
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