この記事の写真をみる(11枚)

 日本を代表するファッションの街、原宿。ここに店を構えるのがアパレル業界の雄「BEAMS(ビームス)」だ。バイヤーが様々なブランドの服を買い付け、販売する「セレクトショップ」の先駆けとも言える存在で、1976年の創業から41年、今や国内外に160店舗を展開。売上高は744億円、従業員1500人以上の巨大企業に成長した。

「1カ月に2、3回は来ます。流行りの先をいく。デザインにこだわったものとか、他にはないものを置いてある」

「ネクタイはビームスです。男らしい硬派な感じが好き。デートとかおしゃれな店、イベントがある時はビームスの服を着ます」

拡大する

 原宿店を訪れた人たちに話を聞くと、全幅の信頼を置いていることがうかがえる。「ハッピーで変身してほしい」をコンセプトに掲げるビームスを率いるのが、代表取締役の設楽洋だ。

「洋服っていうのは、みんな暑さ寒さをしのぐため。でも最終的になんのために持ってるかっていうと、それをプレゼントしたり、着て人に会ったり、袖を通した時にハッピーになったりする。私たちはハッピーを売っているんだ、と。そうじゃなければ機能だけのものになっちゃう」

 電通からアパレル業界へ転身した設楽の道のりは、決して平坦なものではなかった。

■わずか7畳だった「ビームス1号店」

 苗字をもじって「タラちゃん」の愛称で親しまれる設楽は1951年に東京に生まれた。高校時代はサッカー音楽に打ち込み、慶應義塾大学を卒業すると、電通に入社した。

拡大する

 ビームス設立の原体験は、その大学時代に遡るという。設楽が入学した1970年は、まだ学生運動の時代。学校は封鎖され、満足に通うこともできなかった。「活動に参加するわけでもないんですけどね。夏になれば湘南に行ってサーフィンしたり、海の家でバイトしたり」。完全に「ノンポリ」学生の暮らしを満喫していた。

 小さい頃にテレビで見たアメリカの生活に憧れていた設楽は、訪れた横須賀の米軍基地で見た、アメリカの生活に目を奪われた。

拡大する

「まさに夢の世界。異国でした。芝生の上に白い住宅があって、大きな冷蔵庫があって、外にバスケットボールのリンクがあって、見たことのない白いジーパンがあって。かっこいいバッシュ履いてて。"スニーカー"っていう言葉もありませんでしたから」。憧れの世界を目の当たりにした設楽は、「なんとかしてクリエーターのような仕事につきたい」と思うようになった。「でも、普通の大学しか出ていませんでしたら。そこで最も近いと思ったのが広告の世界でした」

 そこで一念発起して電通を目指すが、大学時代の成績もパッとせず、業界に大きなつても無かった設楽。一か八かの賭けに出る。

 「入社面接でフーテンの寅さんの口上を真似したんです。そうしたら『面白いやつだ』って言われて」。入社後はイベントのプロデューサーとして働くが、頭から離れなかったのは、学生時代に見た米軍キャンプの暮らしだった。

拡大する

 そこで父親に「"アメリカの生活を売る"店をやろうよ」と打ち明ける。こうして1976年2月、ビームス1号店が原宿にオープンする。「ライフスタイルを売る」というコンセプトの通り、当初は「アメリカンライフショップ・ビームス」と謳っていた。

 今の原宿店からは想像もできない、わずか6.5坪のスペースだった。「しかもそのうち3坪をストックにしたから、店は3.5坪。わずか7畳の店。そこをUCLAの学生の部屋みたいにして。『ありそうなもの』を置いた。ろうそく立てやネズミ取り、お香やTシャツとか。売れるのは結果的には洋服なんだけど、服だけじゃないライフショップ、ライフスタイルの提案の店を考えたかった」。1号店の名残りは現在も原宿店にある。それが床に打たれた"ビス"だ。

■「NIKE」も読めなかった黎明期

 とはいえ、当時の原宿ファッション業界はまだ勃興期。それに設楽たちが商品を仕入れようにも、ルートすらなかった。到底給料を稼げるレベルではなかったという。

拡大する

 「1976年の夏に『ポパイ』が創刊されたが、それまでは情報誌もなかった。だから訳知り顔に聞くしか無くて。『なんかさ、アメリカで"ニケ"っていう運動靴が流行ってるらしいよ』って(笑)。それでアメリカまで『ニケ探しに行こう』って、大きなバッグを担いで"ニケ探し"にいくわけです」。"ニケ"とは無論、「NIKE」のこと。今で言う"並行輸入"だ。

 当時は今よりも円高の時代。設楽たちが手に入れたスニーカーも、日本では5万円以上で販売されていた。「当時の僕の電通の給料が6万8000円の時代でしたから。5万円の靴なんてなかなか売れないよね」。今や当たり前のファッションも、当時はまだまだ一部の人のものだった。

 だが、設楽は原宿が、そして時代が確実に変わりつつあるのを感じていた。「当時はまだ原宿がファッションの街になる前だった。表参道に2軒くらい、竹下通りに1軒しかファッションの店がなかった。それまで、風俗や文化は赤坂や六本木などの"夜の街"から生まれてきていた。それが70年代に入って突然"昼の文化"になった。ディスコとかでブイブイ言わせていた人たちが原宿のセントラルアパートや『レオン』っていう喫茶店に集まるようになってきて」。

■知名度向上に貢献した「ショッピングバッグ」

拡大する

 当初は社員1人、アルバイト1人で運営されていたビームス1号店。昼飯交代も取れない状況だった。しかし、そんな状況は"ショップの袋"の人気化とともに激変していく。ビームスの名前を一躍有名にした、オレンジ色のショッピングバッグだ。

 「当初はアメリカのスーパーのレジ袋みたいな感じだった。取っ手がなくて、上をクルクルと巻いて小脇に抱えるやつ。それに似せたのを作りたかった。でも日本は紙が良すぎて、ごわごわした質感が出ない。それにまともに作るとすごく高い。わざとチープな袋を作るのに高い金かかっちゃう」。そこで設楽の父親が探してきた発注先が、手作業で作ってくれる、刑務所だった。

 「手作業が良い。そうでないと、アメリカのいい"ヨレ"がでない。向こうの人の包装って、ぐちゃぐちゃ。その感じが欲しかったんです」。

■バイヤーを根こそぎ引き抜かれる危機を乗り越える

拡大する

 こうして徐々に成長軌道に乗ったビームスだったが、13年目には最大の苦難が襲う。それが1年間で29人もの"引き抜き"だ。

 「それもバイイングのことをよくわかっている連中を根こそぎ。心臓部が持って行かれた状態。自分で若手を連れて国内や海外を飛び回りました。引き抜かれた人数分、働きました」。当時残されたのはバイイングのルールも仕入先もわからない人材ばかり。己の力量と求心力を反省した設楽は、ビームスがやろうとしていることや、自らのやり甲斐、生きがいを振り返った。

拡大する

 そして、大混乱を意外な方法で乗り切ることに成功する。それが若手の抜擢だ。"感覚"の部分は若手に任せて、自身は数字などの経営面をハンドリングすることに専念した。

 「ビームスという名前は知られていましたので、即戦力のデザイナーやバイヤーの売り込みもあった。若い連中の中には『チャンスが回ってきた』と思っているヤツもいるかもしれない。そいつらに賭けてみようと思った。一般的に、経験と年齢を増すごとに力量は上がっていきます。ですが、この業界は経験と年齢を増すごとに感覚が衰えてしまう。よく言われるのが『デザイナーが年を取るとMサイズがでかくなる』ということ。自分がMだと思っているサイズが大きくなっちゃってる。でもそれは若い人にフィットしない」。

 今も若いバイヤーに数億円の仕入れ資金を預け、自らは経営に精を出す。「『僕が手を出すものは一歩遅れちゃってる』って思うようにしている。この業界は"マス"になればなるほど売上は伸びるけど、センスいい人たちからすれば『まだあんなのやってるの』となっちゃう」。

■「天下を取りたいとは思わない」

拡大する

 41年間、時代の最先端を突き進むアパレル界の巨人にもかかわらず「天下を取りたいとは思わない」と話す設楽。「どうしても創業期や何かビジネスをやるときは『天下取るぞ』って思う。だけど自分はそういうキャラじゃない」。

 ならば何を追うのか。「売上高1位とか店舗数1位とかじゃない。それよりもどういう風に時代が変わるかということに興味がある。『ビームスがあってちょっと時代が変わったよね』と言われるようになりたい。スポーツ選手のいう『記録より記憶に残りたい』」と話す。

 すでに41年目の新しい取り組みを始めている。それが「ビームスジャパン」というメイドインジャパンのセレクトを海外に紹介する取り組みだ。「自分でも10年後のビームスは分からない。自分でも決めない。野心より理念。特に創業する人はいうのは野心がある。それがハングリーなエネルギーのもとになるし、そうしなきゃ始まらない。でも、成功したら野心じゃなくて自分がいることによって周りが、社会がどう変わるのか、どうハッピーになるのか。そういうことを考えるのが大事」と笑顔で語る。

拡大する

 アメリカの生活に憧れ、ハッピーを人々に。そう考えた電通マンは、アパレル界の巨人となった。66歳を過ぎた今もなお、遊びにも手を抜かない。自分がハッピーでないと人をハッピーにできないということを分かっているからかもしれない。

(AbemaTV/『偉大なる創業バカ一代』より)

次回『偉大なる創業バカ一代は10月28日(土)夜10時から「テレビ創世記からの放送作家」ワハハ本舗株式会社 喰始社長』を放送!

偉大なる創業バカ一代 「テレビ創世記からの放送作家」ワハハ本舗株式会社 喰始社長 | AbemaTV(アベマTV)
偉大なる創業バカ一代 「テレビ創世記からの放送作家」ワハハ本舗株式会社 喰始社長 | AbemaTV(アベマTV)
有名起業家たちの飛びぬけた体験談を掘り起こし、時代を生きぬく術を学ぶビジネスバラエティ
【無料】偉大なる創業バカ一代 - Abemaビデオ | AbemaTV(アベマTV)
【無料】偉大なる創業バカ一代 - Abemaビデオ | AbemaTV(アベマTV)
見逃した偉大なる創業バカ一代を好きな時に何度でもお楽しみいただけます。今ならプレミアムプラン1ヶ月無料体験を実施しています。
AbemaNewsチャンネル | AbemaTV(アベマTV)
AbemaNewsチャンネル | AbemaTV(アベマTV)
AbemaTVのAbemaNewsチャンネルで現在放送中の番組が視聴できます。
この記事の画像一覧
この記事の写真をみる(11枚)