一昔前までは"少し後ろめたいこと"だった美容整形。日本の美容業界に新風を吹き込み、キレイに変身する行為としてぐっとハードルを下げたのが、「好きな言葉は情熱です」でおなじみの湘南美容外科クリニックだ。
施術後の女性に話を聞くと「可愛いって言われることが多くなったし、自分でもそれを受け入れられるようになった。自信を持てるようになった」と笑顔で答えてくれた。別の女性も「コンプレックスが解消されたことで他のところにまで目が行くようになった」と話す。
変わったのは外見だけではなく、内面までも変えていると指摘するのが、創業者の相川佳之(47)だ。「胸が小さい人が猫背になったり、顔が大きい人が髪を伸ばして隠したり。一つ開放するだけで表情が明るくなったり周りから扱われ方が変わる」。
開院した2000年以降成長を続け、現在では全国72のクリニックを展開する湘南美容外科クリニック。 もともとは美容整形専門としてスタートしたが、現在では審美歯科、薄毛治療、不妊治療、眼科まで展開。年間来院者数は100万人を突破。リピーター率も90%を誇るという。
その名を一躍有名にしたのが、今では当たり前となっている料金体系の「見える化」だ。ホームページには脂肪吸引10万円~、シワ取り3640円~、二重整形2万9800円~などと記されており、低価格であることも強みの一つだ。さらにユニークな取り組みとして注目されたのが、施術前後の様子をホームページで公開したこと。今では掲載写真は16万点を超えている。
■整形の1年前から審査がスタートするオーディション「整形シンデレラ」
さらに女の子の夢を応援することを目的とした「整形シンデレラ」というイベントも開催している。だ。今年で3回目を迎えるイベントのエントリー数は500人にも上る。
「腫れぼったい目をしていたからお兄ちゃんから起きて何時間もたっているのに『今起きたの』って何気ないイジリを受けていた。それが嫌だった」と話すのが、第1回ファイナリストの鈴木渚さん。「みんなは友達じゃなく、ライバルなので楽しいだろうけど、これはオーディション。整形をきっかけに変われますってアピールができるかなんですよ」と真剣な眼差しで語る。
オーディションは整形の1年前から始まり、人気モデルが出演するガールズアワードのランウェイを目標に外見はもちろん、自分がどれだけ変われたのか、内面まで審査される。
「(整形後に)実感するのは、外面から内面を変えること。本当にその人自身が変わってくる。中には引きこもりだった子が整形をきっかけに外に出られるようになった。外面から内面が変わり、その人の人生が変わる。美容医療の偏見みたいなものを改善したいと思った」(相川院長)。
■モテなくなった少年時代に美容外科を志す
相川は1970年、神奈川県藤沢市に生まれた。実家は薬局を営んでおり、幼い頃から店の手伝いをしていた。日本大学医学部を卒業、医師として大手美容外科に勤務した後、2000年に独立した。
相川が美容外科を志したきっかけは、少年の時の体験に遡る。「小学校のころ、むちゃくちゃモテたんです。小学生って、運動できて、面白いやつがモテる。ルックスは関係ないんです。でも中学にいくと女性が思春期迎えて、やたらルックスを言い始めるようになった」。決定打となったのは地元のお祭にいった時のこと。「前から2人組の女の子が来てすれ違ったんです。その時に一人の女の子が『あの人カッコイイね』って言ってた。でも、もう一人が『でも小さいよね』って言ったんです。それがトラウマになって」。
相川少年は必死になった。「『ジャンプ』の後ろに載っている足を伸ばす薬を使ったり、ご飯が終わったら1時間逆さ吊りになったりしました」。
あまりに悩んで大学病院で相談したところ、「健康だ!」と一言。それもショックだったという。「医療って、病気じゃないと治療してくれないんだな、と。だからそういう人たちの手助けをしたい。病気じゃないけど、前向きになれない人もいる」。
医学部を卒業後、開業するために目をつけたのが藤沢市の実家の2階だった。「父親からは『敵のいないところでやれ』と言われていた。おカネもなかったんで」。新宿や横浜にはすでに多くのライバルがいたが、当時の藤沢市には美容外科がなかったのだ。
開業資金は親に1000万円を借り、相川と看護師2人、そして受付2人での船出だった。開業した相川が感じたのは、「美容外科はクローズドである」ということだった「料金が不明確だったんです。中には患者によって料金を変えるとか、行かないと料金がわからないとか。それが当たり前だった」。だからこそ料金プランの公開に踏み切った。
しかし、創業当初は順風満帆とはほど遠く、苦難の連続だった。低価格の設定を武器に、最初の3か月こそ好調だったものの、「すぐに売上がガーンって下がっちゃって。1カ月に800万円くらい赤字が出ちゃった」。
父親からは「こんなクリニック閉じろ」と言われた。原因は明確だった。「値上げしたんです。そしたら一気に客足が遠のいた」。
それでも再び活況を取り戻すことができたのは、「湘南美容外科クリニックだったら大丈夫だ」という評判だった。「僕の治療を受けてくれた人が、ホームページでビフォーアフターの動画や写真を上げてくれるようになった。それが『すごい』と評判となり、人が来てくれた」。
■「切腹してるぞ!」YouTubeに自らの脂肪吸引映像を公開
湘南美容外科クリニックが一躍有名になった理由の一つに、相川の"得意技"だという脂肪吸引がある。「脂肪吸引が楽しくて。プールとか行くと『この脂肪吸いたいなー』とか思う」ほどの脂肪吸引好き。「脂肪が好きすぎて、普通は皮下脂肪半分くらい取ったら止めるんだけど、僕は止めたくないからギリギリまで取る。ウエストの方まで回り込んで取っちゃう。それが口コミになって『湘南やばい』と広がっていった。『頼んでないところまでとってくれる!』と」。
「後ろから見た時に、どこをどう取ったら足が長く見えるか、お尻がセクシーに見えるかを研究している。僕らの仕事は芸術家に近い。理想とするものがあって、それに近づけていく。患者さんを通して美の表現をする。それをいいなと思った人が来る。絵を描いて世に出して、好きな人が集まってくるのと同じ。麻酔も大事。しっかりかけて痛がらせないようにして、スピーディーにキレイに取るのが神髄」。
美容整形にもリスクはつきものだ。脂肪吸引に伴う事故も起きることもある。相川は信頼を得るため、自らが実験台になって脂肪吸引をしたこともある。「自分が一番腕がいいんだから、自分のお腹に穴を開けて吸引してみた」。その様子をYouTubeにアップしたところ、「日本の侍がいる!」「切腹してるぞ!」と話題になった。「きちんとやれば安全っていうのが証明したかった。最新機器を使う前は自らが実験台になる」と豪語する。
情報公開を徹底する姿勢はこれだけではない。
多くの美容外科の写真はビフォー・アフターの写真を公開するようになったが、湘南美容外科クリニックでは手術の翌日、2日後、3日後、1週間後の写真をそれぞれ公開。「実際の患者はこの状態になるまでどういうふうに治っていくのか、脂肪吸引した後にどうやって腫れが引くのか、その『過程』に興味があるはず。でも、その情報が出ているホームページがなかった」。
写真を見て「怖くて辞める」という人もいたが、信頼できると来てくれる人も増えたのだという。という。
■「2030年には日本で一番になりたい」
相川は14年ほど前に読んだ、GMOインターネットの熊谷正寿社長の著書『一冊の手帳で夢は必ずかなう』をヒントに、手帳を持ち歩いている。10年以上持ち続けているその手帳に、すべてが詰まっているんだという。
夢は「創業150年以上のアメリカの伝説のメイヨークリニック、これをいつか作りたい」。医学部、看護学部など医療教育まで幅広く手がけているメイヨークリニックの写真を常にその手帳に入れて持ち歩いている。
「普通の人ができることを普通の人ができないくらい続けられる人が最後に勝つ。毎日決めたことをできたかできないか、複利の効果がずーっとついてくる。最後にはものすごく差が出る。『継続は平凡を非凡に変える』。
セスナ機の操縦桿を自ら握り、日々忙しく飛び回る相川・業界のタブーに迷わずメスを入れてきた。「2030年には日本で一番になりたい。そこから15年かけて、世界で一番患者さんが訪れる医療グループになりたい。一度立てた目標にはとことん全力疾走」と目を輝かせた。(AbemaTV/『偉大なる創業バカ一代』より)