昨年11月、東京・中野区のアパートで発生した中国人留学生殺害事件。当時、都内私立大学の大学院生だった江歌さんを殺害したとして逮捕された陳世峰被告は、江さんと同居していた女性の元交際相手だった。判決によると、陳被告は女性に復縁を迫った上、脅迫メッセージやアルバイト先まで後をつけるなどの行為をしており、事件発生時も女性が帰宅するのを待ち伏せし、犯行に及んだ。女性は先に部屋に入ったため無事だったが、一緒にいた江さんが狙われ、ナイフで少なくとも10回以上刺したのだ。
陳被告のストーカー的な行動を心配し、女性に寄り添っていた江さん。事件当日も、正義感が強い江さんが女性を庇う格好になり、もみ合いになった末、刺されてしまったのだという。
12月20に開かれた判決公判で、東京地裁は「犯行は危険極まりないもので、殺意が非常に強固だった」「真摯な反省の情は全く認められない」と異例の主文後回しで陳被告を指弾。検察側の求刑20年に対し、求刑通りの判決を言い渡した。
この事件について、日本では発生当時こそ報じられたものの、その後はあまり多く報じられることはなく、判決についても、例えば朝日新聞は翌日の朝刊に280字あまりの記事を載せただけだった。その一方、中国では連日のようにトップニュースで扱われてきた。この日も東京地裁前には関心の高さを物語るように、多くの中国メディアが集まっていた。
この"温度差"の背景には、日本と中国の「死刑」に対する価値観の違いがあった。25日放送のAbemaTV『AbemaPrime』では、江さんの母親・江秋蓮さんをスタジオに招き、この問題を議論した。
■中国SNSには「刑が軽すぎる」との書き込みも
「日本で成功して、母親の生活を助けたい」と話していたという江さん。陳被告の逮捕直後、秋蓮さんは一人娘を突然襲った悲劇に「彼に死刑を与えられるのなら、自分の命をかけてもいいと思う。娘のために償ってくれるのなら私は何でもやりたい」「こんなにいい子が、まだ幸せな生活が始まっていないまま去った。私の生きていく希望まで奪っていった」と語っていた。
そんな秋蓮さんは11月に来日、池袋で陳被告への死刑を求める署名活動を行った。多くの中国メディアがその様子を報じ、香港フェニックステレビは、死刑を求めるオンライン署名が約450万人分も集まったと伝えている。
しかし、日本の司法が下した判断は、求刑通りとはいえ、懲役刑だった。裁判を傍聴したジャーナリストの野嶋剛氏は、「検察の求刑そのままの判決が出ないケースもかなり多い。私の印象では、裁判所としても厳しい態度で陳被告の行為を非難する、そういう意味合いがこの判決には込められていると感じた」と振り返る。しかし秋蓮さんは、この判決に「納得できない」と話す。
今回の判決について、中国中央テレビのウェブ版は特集を組み、裁判所が権力から独立していことなど、日本の司法制度について解説。「人を殺したら命で償うのが当たり前」という中国のことわざを紹介しつつ、「日本には被害者の人数や残虐性、動機など厳しい基準があり、たとえ死刑判決が出てもすぐには執行されず、何度も上訴できる」と伝えた。また、環球時報ウェブ版は、SNSに「刑が軽すぎる」などの書き込みが殺到、中には「世界中の人が日本に行って殺人をするよう勧めている判決」という意見もあったと報じた。
■日中の"死刑観"に大きな差
世界で執行される死刑のうち80%が中国だといい、人権保護団体「AMNESTY INTERNATIONAL」の発表によると、年間の死刑執行数は実に数千人に上ると言われている。世界各国で死刑が廃止されつつある中、中国とともに、日本も死刑制度を維持している国だ。しかし、今回の事件で浮かび上がってきたのは両国の"死刑観"の違いだ。
16日には、違法薬物の販売や製造などの罪に問われた12人に判決を言い渡す「公開裁判」が実施され、大勢の市民が見守る中で死刑を言い渡された10人がそのまま連行され、執行された。とりわけ薬物犯罪に厳しい中国では、外国人もその例外ではない。今年1月には覚せい剤の売買に関与した罪に問われた40歳代の日本人男性の死刑が執行された。
日本では死刑を選択する際、年齢や前科、社会的影響、犯罪の性質などに加え、被害者数(概ね2人以上を殺害した場合)を考慮に入れる、いわゆる「永山基準」がある。しかしこれについて秋蓮さんは「法律はよくわからないが、とにかく理解できない」と指摘。野嶋氏も「お母さんが死刑を求めるとおっしゃっていることは、中国の刑法のスタンダードに照らし合わせれば、心情的にも理解できないことはない。裁判所の判断以前に検察の求刑が無期懲役でも死刑でもなく、懲役20年。そもそもここがお母さんも含め、中国の方々が違和感を覚えたところだと思う。当然判例を積み重ねた判断だが、中国では"そんなに軽いのか"と驚きが広がった」と話す。
実際、今回の判決について中国の大手サイト百度で記事検索をかけると、2000以上の記事がヒット。「外国で発生した中国人同士の殺人事件を中国国内で裁けないのか」「(死刑を求める)大衆の怒りや叫びが海の向こうの東京に渡っても審理に影響を及ぼすこともできない」と判決に対して憤りを露わにする論調の記事もあった。
■「日本の法廷の方々に聞いて欲しかった」
秋蓮さんは「私は日本の司法に対して、署名でそれを変えさえようとか、影響を及ぼそうと思ったわけではなく、遺族がどれほど悲しんでいるのか、どれほどこの事件によって辛い思いをしたのかを日本の法廷の方々に聞いて欲しかった。それが目的だった。悲しいが、助けてくれた人たち、関心を寄せていただいた人たちに対しては感謝を申し上げたいと思う」と涙ながらに語る。
野嶋氏は「国によって懲罰の基準は違う。逆に日本人から見れば、薬物犯罪で日本人が死刑というのは違和感がある。でも日本が抗議しても中国はそれを受けとらない。このことを我々はどう捉えるのか。日本にはたくさん中国の方が来ているし、個人的な交流がますます深まる中で、日中間の刑法の違いの大きさが、これからも様々な形で影響を及ぼしていく可能性はある」との見方を示す。
元経産官僚の宇佐美典也氏は「もし僕の娘が殺されたとしたら、死刑になってほしいと思うだろう。しかし大原則として司法は独立しているので、世論や外国の圧力に惑わされてはいけないの。この事件をきっかけに、日本人が死刑そのものについて考えるとか、日中で意見交換するとか、考えるきっかけにするしか、前に進めないと思う」と指摘していた。(AbemaTV/『AbemaPrime』より)