30日放送のAbemaTV『みのもんたのよるバズ!』に、稲田朋美・元防衛大臣が生出演、辞任の引き金となった防衛省日報問題について振り返った。
問題となったPKOの日報について稲田氏は「『破棄して、ありません』という報告を受けた時に、私は絶対にあると思った。毎日作っている日報をいきなり捨ててしまうことはないと思った。それで『探して、あったら出そう』と言って2月に出した。出した後に問題になった」と経緯を説明。
この問題を巡っては、複数の陸上自衛隊関係者が「データが存在すると大臣に報告し、非公開とする方針を了承していた」と証言した一方、稲田氏は「(存在の事実は)報告されなかった」と主張、食い違いが指摘されていた。
稲田氏は「その話は全て日報を出した後の話だ。日報は全面的に公開していて、公開に至るまでの事実関係を調査している時に『実は消させた』など色々な真偽不明な話が出てきたことは事実。そしてそれを特別防衛監察にして、結局4万人の人がデータを取ることができたということも分かった。7月にすごく大きな衝突があって、その直後に日報を出せと公開要求があった。そこで出さないと決めたことなどが尾をひいたということが最終的には分かった」と述べた。
日報が行政文書扱いであることやそこに書かれていた"戦闘"という言葉の解釈も議論になった。
稲田氏は「法的な戦闘行為という言葉と、一般的に自衛隊が戦闘訓練などと言うときの戦闘は全然違う意味だ。私も戦闘という言葉は国会では使わないようにしているということでずっと答弁していた。それは9条の問題になる言葉を使うべきではないという意味ではなく、法的な要件を吟味せずに安易に国会の場で使うことは慎重でないといけないという意味だ。しかし、だからといって日報の戦闘という言葉を隠す必要もなければ、むしろ戦闘と思えば戦闘と書くべきだということをずっと言っていた。そこは区別しないといけない。感じたまま日報には書いて、しかもそれを隠す必要もなくて、黒塗りする必要もない。しかしそれが法的にどういう意味を持つのかということは国会でしっかりと説明しないといけないし、紛らわしい言葉は使うべきではない」との考えを述べた。
元防衛大臣で防衛大臣政策参与・拓殖大学総長の森本敏氏はスタジオで日報問題を振り返り「情報公開法で行政文書を公開しないといけないことになっている。日報は出したが、陸(陸上自衛隊)の方、統幕の方、色々な方が自分の持っているパソコンの中に電子データとして入っていたと。それは文書ではないので、公開の対象に必ずしもならないのではないかと思ったと。そこは理解が不十分だった」と指摘。「本当はデータも行政文書。ところが文書は紙になったものだとして、データを消しなさいと言われても自分の仕事をするために残している人がいる。悪意で残しているのではなくて、自分の仕事をするためにそれを残したいという人が持っている。いちいち他の人が覗くことができないので、それが結局残ってしまった」との味方を示した。
その上で「当時も稲田大臣の防衛大臣政策参与をやりながら、充分に補佐できなかったのを今では非常に残念に思っている。ただ、大臣が特別防衛監察を命じてくださったおかげで色々なことがきちんと分かったので、正しい判断だったと思う。それから大臣がお辞めになる前に再発防止策をきちんと指示されたので、同様の事故・事件は二度と起きないと思う」と話した。
また、安倍総理が国会で稲田氏の代わりに答弁を引き受けているように見えたとの指摘については「総理は総理で任命責任を持っているので、総理としての見解を述べる。あれはあれでいいと思う」との考えを示し、「自衛隊・防衛省27万人の政策、事件、事故、在日米軍が起こす事件・事故の答弁まで全部防衛大臣がやらないといけない。その背景を説明するために色々な立場の人が大臣のところに行って説明する。そのため大臣の一日の仕事の大半がどうやって国民に説明するかに時間を取られる」と、構造的な問題も指摘した。
稲田氏は「日報問題がクローズアップされてしまった。しかし、私も行ったがPKOで日本の自衛隊は現地の人たちからも国連からも感謝されて日本らしい非常にいい活動をしている。そういうことももっとアピールしていかないといけないことだと思う」との考えを示した。
大臣在任中には様々な言動で物議を醸した稲田氏。去年9月には戦没者追悼式欠席を追及されて涙ぐんでしまった。このときのことについては「追及されて涙ぐんだのではなくて、8月15日に靖国に行きたかったという気持ちや英霊に申し訳なかったなという気持ちでつい涙ぐんでしまった」と説明した。
防衛省での離任式で「皆さんは私の誇りだ。これからも日本の安全保障のために一緒に頑張ろう」との満面の笑顔で挨拶。記者団に囲まれた際には今の心境について「空(くう)」と述べていた。
これについて稲田氏は「空というのは、35年ぐらい前、私が弁護士になる時に哲学者だった叔父が贈ってくれた言葉。固定概念にとらわれない自由な魂で物事の本質を見るということと、ゼロと無限大は等しいということ。ずっと心の中にあった。この時も笑っていることで随分批判されたが、そういう気持ちだった」と話す。
「元々、私自身は防衛政策に森本(元)大臣のように専門的であったわけではない。もちろん政調会長をしていたので一通りのことは分かっていても、(防衛大臣になることは)青天の霹靂だった。そんなことは予想していなかった」と振り返ると、森本氏は「今日この状態になってみれば、自民党の衆参両院の女性議員で稲田大臣以上に安全保障や防衛問題について知識を持っている方はいない。だから我々にとっては心強い。これからの国のためにということと同時に、自民党の中で防衛・安全保障政策を皆さんに理解してもらうために稲田(元)大臣に色々な役割を果たしてもらいたいとみんな思っている」と話す。
2012年4月、『女性総理待望論』出版祝賀会で「私は総理大臣を目指している。頑張る。(夫は)女性総理大臣の夫として本当に素晴らしい人だと思っていて、それにふさわしい人間にならないといけない、精進したいなと思っている」と述べた稲田氏。この発言については「覚えていない」と笑いながらも、「政治家は誰でも(総理大臣を)目指すんじゃないですか」と続けた。
そして「初の女性総理をもし今後も目指す、もしくは天の運によって候補に稲田先生の名前があがる時に一番大事な総理の資質は?」と問われると、「最後まで諦めない。90%までやることと後の10%、95%から後の5%、98%からあと2%は同じくらい大変。最後の最後、諦めないかどうかというところが政治家は非常に大事。今回、私は挫折も味わったが、それでも前に進むということを続けていきたい」と答えていた。(AbemaTV/『みのもんたのよるバズ!』より)