昨年起こったフリースタイルブームからの流れで、例年にも増して全国各地で様々なパーティーが開催された2017年の夏に、そのあまりに高いスキルと洗練された容姿を目撃し虜になった人もきっと多いはずだろう。
現在最も乗りに乗っているプロデューサーであり、ヒップホップ集団・YENTOWNを率いるChaki Zuluと共に作り上げた『8』を携え、彗星の如く現れたAwichの衝撃度は、日本のヒップホップにおけるわかりやすい言葉で表現するなら、久々にシーンに訪れた黒船と言っても過言ではない。
この名盤がいかにして作られたのかじっくりと話を聞かせてくれたので、こちらをサブテキストに改めて聴いてみてほしい。
まだまだこの作品は世に広がるべきだ。
ーートータルプロデュースをしたChaki Zuluさんとの出会いからまず聞かせてもらえますか?
Awich 去年の8月にkZmと東京で会った時に『CRIME』って曲を途中まで作ってて、それをkZmに聴かせたら「やっべー」ってなって。その日にChakiさんを連れてきてくれて。Chakiさんも「やっべー」ってなって。客演を探してたから、kZmがそのままChakiさんのスタジオで録ることになって、そこからMONYPETZJNKMNのものとかめっちゃお願いしたいことあるかもってChakiさんに言われて、結構行き来するようになって、Chakiさんが「あなたみたいな人は日本で見たことない。あなたが世に出ないのはおかしい」って言ってくれて。で、めっちゃ自然な流れでアルバムやろうって。
ーー「CRIME」は最初は自分で作っていたんですね。
Awich そうです。
ーー元々アルバムを作ろうとはされていたんですか?
Awich そうですね。「CRIME」のビートは今回のアルバムで結構使ってるKe Yano$君ってフロリダのビートメイカーなんですけど、その子からもらってなんとなく作ってて。で、それでkZmがめっちゃ気に入ってくれて。
ーーそこからChaki Zuluさんとアルバムを作ろうって動き出したのはいつ頃からなんですか?
Awich 12月くらいからです。それまではChakiさんと「例えばこういうのとか聴いてみてほしい」とか、「この曲を聴いてあなたならどうやる?」って話をしたりしてて。それも楽しかった。
ーー制作する前にお互いの音楽的な趣味趣向を確認し合う期間があったんですね。
Awich そうです。何回も会って曲を聴かせあったり話したりして、この人凄いなって思ったし。もしかしたらChakiさんが求めている部分を私が提供できるかもしれないって思ったり。もちろん私がプロデューサーに求めているものをChakiさんは持ってたりもしたし。
ーーそれが作品にしっかりと出ていますよね。歌い手とプロデューサーが対等な関係で作られている感じがしました。
Awich リスペクトしていただいた感じはします。
ーーアルバムを作るにあたって、初めにこういうアルバムにしたいっていうビジョンはありましたか?
Awich このアルバムに関しては、きっかけが「CRIME」だったんで、湿っぽいというかモイストな音質が軸にはなっていて。あとはそれにも加減とかもあると思うし、ちょっと違った感じのもいっぱいあるし、がっつり湿っぽいのもあるし。そこからは本当にケースバイケースで。作る過程でいろんな人が来たり、いろんな偶然があったり、いろんな体験をしたんで。こういう風に作るって決めたわけじゃなくできていった感じですね。
ーー今は東京に住んでいるんですか?
Awich 沖縄です。行ったり来たりしながら作りました。月に一回は来て、結構長い間滞在して作って帰るみたいな。
ーー1stアルバムを2007年に出して、その後2014年にManamiさんってシンガーの方と2人名義での作品を出していますよね。
Awich Manamiとは本当に友達で。ファレルがプロデュースしてデビューした娘なんですけど。
ーーそうなんですね!
Awich 知らないですか!「STAR BAPE® SEARCH」って言うNIGO®さんとファレルが東京でやったオーディションのグランプリなんですよ。元々、沖縄の娘なんですけど、あたしのなんかのライブ映像を見て「ヤバい」ってなって、「とりあえず友達になってなんか作ろうよ」みたいになって作ったやつですね。
ーーイベントもされてたんですよね?
Awich パーティーをやってて。
ーーそれにMVもコンスタントにYoutubeにアップされて来たと思うんですけど、個人名義のフルアルバムとしては10年振りなんですね。
Awich そうですね。
ーー音楽が中心にはあったと思うんですけど、映画を撮ったり番組を作ったりレストランをやったりと、いろんな表現方法をされている中で、アルバムを作ろうと自分を突き動かしたのはなんだったんですか?
Awich ちょいちょい作ってたりはしたんですけど「途方もないプロセスだったな」って、今でも思い出しますね。でも「できるんじゃん」って。「なんか起こるっしょ」って思いながら、いろんなところにいったり、いろんな表現をしたり、やりたいことをやってきたんですけど、音楽が自分のやらなきゃいけないことなら何かが起こるはずだと思ってて。
でも、本当に一番大きなきっかけって言ったらやっぱりChakiさんとの出会いですね。「あなたみたいな人はいない」って言ってくれて自信にもなったし、やらなきゃいけないって思ったし。いろんな経験とか精神的な体験をしてきて、伝えないといけないことを持ってるってことはずっと思ってて。それを「やらなきゃいけないよ」って言ってくれたのがChakiさんで、「本当にそうだよな」って。そして現実的なステップを見せてくれて。めちゃくちゃ感謝してます。
ーートラックに関して言うとかなり幅広いですよね。それって裏を返すと散漫にもなってしまいがちだと思うんですが。
Awich そうなんですよ。all over the placeみたいな感じになっちゃう。
ーーでもそうなっていないのは、元の音楽のルーツをしっかりわかった上で歌われているからだと思うんですよ。それこそ1stの時には絶対できなかったことじゃないかなって。
Awich 確かに。音に関してChakiさんはエキスパートでもあるから、繋ぎとかもめちゃくちゃ凝って作ったんですよ。
ーーそういう部分すごい出てますよね。例えば「PIN」から「DETOX」に入るところは、アウトロとフックを繋げたりして。
Awich そう! 特に「PIN」とか「DETOX」とか今年の頭に作っていた曲は、本当に何か降りてきてるんじゃないかって思うぐらいアイディアがボロボロ出てきたんですよ。曲と曲のトランジションも、ただ一曲終わって次の曲が始まるっていうのが嫌で。「めんどい」とか言われながら、Chakiさんもそういうの好きだから、やっていくうちにめっちゃハマるんすよ(笑)。「俺こういうの昔めっちゃやってたわ」って。
ーー最近は単曲を1枚にパッケージした作品も多いですけど、やっぱり流れがあるアルバムはいいですよね。
Awich やっぱボディとしてアルバムを聴いてほしかったので、アルバムとしてひとつの作品にしたかったんですよね。音が結構幅が広い分、繋ぎがあたしの中で大事な役割を果たすものだと思っていたんで、そこをがっつり作業を一緒にできてよかったなって思いますね。
ーー表現することを始めたきっかけは詩を書くことからだったそうですが、今も日頃からリリックを書き溜めたりはしているんですか?
Awich もちろんです。毎日してます、それは。
ーー12月ぐらいから作り出して、イントロとアウトロ抜いた15曲フルのバースを書くって、かなり早いペースですよね。
Awich でも削ったんすよ。
ーーそうなんですね。ということはリリックが書けなくてストップすることはなかったんですね。
Awich 人と比較したことはないから長さがどうこうっていうのはわかんないですけど、私の中ではあったっすけどね。特に日本語で頑張ろうとしている時は、「もっといいのあるだろ」ってChakiさんが言って来てくれたりして。
ーー英語と日本語、そして沖縄の言葉が混ざってますよね。沖縄の言葉は沖縄について歌う時に使っていると思うんですけど、日本語と英語の切り替えは自分の中でどういう風に意識して使っているんですか?
Awich すんなり出てくるのが英語なんすよ。英語っていう言語の性格が私の性格に合ってて。主語を明確にするとか。誰が何をやるっていうのを明確にするとかそれを言いやすい言語なので。なんですけどこのメッセージは日本の女の子たちに聞いてほしいとか、男の子たちに聞いてほしい、世界中に聞いてほしいとか、誰に聴いてほしいかなって考えた時に切り替えが起こりますね。
ーーなるほど。
Awich 海外の人にも聴いてほしいですね。共感できるのは国境を越えると思うし。辛い思いしてる人も、楽しみたい人も、そういうのって全世界共通だと思うから、国境を越えていきたいですね。
ーー高校時代もアメリカに一度留学されていたそうですけど、高校卒業後ジョージア州立大学に入られて。
Awich ジョージア州立には入れなかったですね(笑)。
ーーあれ? そうなんですね。どこかのプロフィールにはそう書いてあったので。
Awich 間違って書いてあるところもありますね。アトランタではまず短大に行って、その後ジョージア州立大学に入る予定だったんですけど、そこで結婚しちゃって子供産んじゃって。で、短大を卒業した後にインディアナポリスっていうところに移り住んだんですよ。旦那がめっちゃやらかす奴で、アトランタではあいつの名前出すと終わっちゃうぐらい。(笑)子供もできたし、アトランタではもう生活できないってなって。
ーー(笑)。その時ってまだアトランタに行って1、2年ですよね。
Awich あたしは21かな。妊娠が20で産んだのが21だったんで。彼は仕事をしたくてもできないって感じだったんで、インディアナポリスっていうシカゴの下の方にある、田舎でも都会でもない都市なんですけど、そこにその時、彼のお母さんが住んでたんですよ。そこで彼も清掃員の仕事を見つけてやってたんすけど、まぁ続かないっすよね(笑)。
ーーやっぱダメだったんですね。旦那さんは何歳だったんですか?
Awich 彼は14歳年上でした。
ーー結構大人ですね(笑)。
Awich まずいっしょ。そろそろちゃんとやれや!って(笑)。感じで。
ーーてっきり20くらいかと思ってました。
Awich ですよね。本当この人の人生は壮絶で、一番セキュリティーレベルが高い刑務所に8年入ってたんですよ。ライカーズアイランドっていう島全体が刑務所になっているところで。
ーー映画みたいな話ですね。
Awich そこに8年いた奴で。その人が、5パーセンターズ(5パーセンターズについては、探究HIP HOPのこちらの記事にとても詳しく書いてあるので一読を)だったんですよ。
ーーおお、そうだったんですね、最近では5パーセンターズの教えを知ってる人ってかなり少ないですよね。
Awich そうですね、そんなにいないですね。でもヒップホップを始めたアーティストたちの中ではめっちゃ強いというか、カルチャーが蔓延ってた時代なんですけど、今となっちゃ浸透してないですねそのカルチャーは。私も全肯定するわけじゃないし、white man is the devilみたいな感じだし。「豚は食べない」とか言いながら、めっちゃアンヘルシーなものばっかりしか食わないし意味ないだろって。自分としては納得いかない部分もそのカルチャーの中にはあったんすけど、でも「なんでも自分の捉え方次第」っていう姿勢だったり、勉強熱心なとこだったり、コミュニケーション能力が強いとこだったりはすごい好きだったし、 めっちゃレッスンとか学んだし、習ったし。いまでも、基本は抑えてる。アジアの女で1人しかいないんじゃないですかね。そのナレッジを持ってるのは。
ーーすごいっすね。そのレッスンを消化した上で、5パーセンターズのこの考え方は素晴らしいなって思うことはなんですか?
Awich 男が太陽で女が地球なんすよ。男はコンスタントにエネルギーを発していて、女にはフェーズっていうか女には季節があるから。ずっとコンスタントな強さはなくていい、いろんな弱さもあるしアップダウンもあるし、それが女だっていう教えとかは好きですね。
ーー今回のアルバムにもその考え方は反映されてますよね。
Awich もちろん。まだ全然、5パーセンターズの教えの中から引用することもたくさんあるし、「DETOX」の中に「What makes rain hail snow and earthquakes?」っていうところがあるんですけど、それはレッスンの中の一部なんですよ。だから5パーセンターズとか、そのナレッジを持ってる人とかが聞いたら、「ん? なんてこいつレッスン知ってるんだ!」ってなると思いますよ。いつも、サイファーになって「そのサイエンスどうみてんの?」って決まり文句みたいな質問をされるんですけど、そう言われてもちゃんと答えられるぐらい結構ちゃんと勉強したんで。
ーーそうなんですね。自分の発言というか、思ってることをちゃんと口にして考えを共有する力は、そこで培われたんですね。
Awich そこでもあります。ただ、こいつらは暗号でしゃべるんで、人の共感とかあんまり求めないんですよ。で、暗号同士のわかるやつだけカッコいいみたいな。
ーー実にヒップホップ的ですね。
Awich そうそうそう、めっちゃヒップホップ的。私もそれがめっちゃかっこいいと思って、めっちゃ好きだったんですけど、ただ日本でそれをやっても誰も聞いてくれないと思って。今のアメリカの若い子たちもそういうことやっても誰も聞いてくれないし。だから、そのレッスンも消化しつつわかりやすく砕いてあげないといけないなって。そこは表現に対するあと一歩先というか、レベルの高いところからやらないといけないなって思いました。
ーーそれにしてもすさまじい経験ですね。リリックから感じ取れるスピリチュアルな要素は単純に沖縄から来ているのかなって思ってたんですけど、そこからも来ているんですね。
Awich そうそうそう。もちろん沖縄からのスピリチュアル的な考え方からもとってるし、5パーセンターズからもとってるし、宇宙科学って言うか。(5パーセンターズって)宇宙科学をベースにした教えなんで。宇宙科学自体も好きだし。って考えると、宇宙人のなんとかもめっちゃ好きだし。バジャールとかもめっちゃ好きだし(笑)。そういうのも全部自分の中で消化して混ぜて。やっぱ混ぜるっていうコンセプトは沖縄のテーマなんですよ。チャンプルーは混ぜるっていう意味だし。カチャーシーって沖縄の祝いの席とかやるダンスがあるんですけど、それも喜びとか全部のエネルギーをかき回すっていう意味で。元々沖縄ってアジア各国の文化だったりアメリカだったり日本の文化が混ざってできてるんで昔からもそうだったんですよ。
ーー元々は独立した国でしたもんね。
Awich そうそうそう。ミクスチャーのコンセプトは沖縄がルーツになっるのかなと思います。
ーーアメリカから沖縄には戻られてどれぐらいですか?
Awich 6年です。
ーー今回のアルバムの中でも、亡くなった夫に対して歌った「ASHES」は特別な一曲だと思います。ただ、この曲を作るには凄まじいパワーがいたと思うんですが、そこに向き合う決意ができたのは時間の経過と他にも何かありましたか?
Awich ずっとやりたいと思ってたけどできなかったんですよ。伝えたいのはわかるけどできない。なんでできないかって言ったらホント最初の3年くらいはマジきつすぎてできなかったのもあるし。それ越したら良い思い出とか経験が自分の中で大事すぎて。大事にしすぎている部分もあって。「ちゃんとした言葉で伝えなきゃ」とか、「じゃあビートはどうすんの?」とか。「こんなどこの馬の骨かわからないビートでできない!」みたいな(笑)。でもなんか起きるはずって、なんかがちゃんとラインナップするはずって思っていた時に、会ったことはないんですけど何回もやり取りをしているKe Yano$っていつももらってるビートメイカーと話をする時があって。
ーー今回、海外のトラックメイカーの方もクレジットされてますけど、SOUNDCLOUDで見つけたんですか? 出身の地域も違うし、結構無名な人も多いし。
Awich そうです。最初はSOUNDCLOUDですね。Ke Yano$とは話をした時に「この道でやっていく自信がない」みたいな感じでめっちゃ落ち込んでたんですよ。「は?バカか」って。Chakiさんっていう日本のすごいプロデューサーが、あなたのビートを聴いて「この人センス良すぎて俺が落ち込む」みたいなことを言ってるんだよ。ホント毎回毎回おしゃれなんですよ。細かいところもめっちゃかっこいい。ちゃんとpay attentionして作ってんのか、自然に出てくるのか謎なぐらい。だから「絶対やめないで」って。「あんたがやめたら私が困る」って。で、何回も電話するようになって、励まし合うみたいな関係になって、もっと曲が欲しいからいろいろ送ってって感じの時に、この「ASHES」のビートがきて、これなんとなくいいかもって思ってたらめっちゃすんなり書けたんですよ。
ーーいい話ですね。ただビートのストックをもらうだけじゃなく、一歩踏み込んだ関係になったからこそ出てくるビートは確かにありますよね。
Awich 私の中でプロダクションを作る重要ポストはちゃんと繋がっておきたいと思ったんですよ。最初はKe Yano$ともあんまり話せないなって思ってたんすけど、めっちゃ話そう話そうって言ってたら相手もオープンしてくれて、気持ちを伝えてくれて。「ASHES」もその矢先にできたんで、そういうのってめっちゃ大事なんだなって思いました。ただの仕事じゃないですからね。クリエイションしていくっていう仕事はそういう信頼関係ってめっちゃ大事だと思うし。
ーーそうじゃなきゃ任せられないですよね。あともう一曲プライベートなところまで踏み込んだトピックの曲を言うと、「JAH LOVE」って曲で娘さんがラップしてますね。
Awich 元々私の曲の歌詞を完全コピーしてしょっちゅう歌ってたんです。でも悪い言葉だけ言わないみたいなとこが可愛かったりして(笑)。最初はサビぐらいやらせようかなと思ってたんです。
ーーってことは、人生初のバースですか。
Awich そうです。
ーーMIGOSの「T-SHIRT」のフックを引用したりと仕掛けもおもしろいですね。
Awich あれは元々PIMP Cを引用していて、もっと古いフレーズなんですよ。same color T-shirtって言うのは、アトランタのドラッグディーラーって全員白いTシャツを着てて、Seventeen fiveって言うのはコカインの一番良い値段なんですよ。お父さんはドラッグディーラーだったから言っちゃえ言っちゃえって(笑)。
ーー(笑)。この曲を聴くと親子でもあるんですけど、同志みたいな存在だなって。
Awich そうですね。ホント彼女とは同志みたいな感じですね。
ーー今はライブをどんどんされている時期かと思いますが、「Remember」では大合唱が起こっていたりとめちゃめちゃ盛り上がってますね。自分的な手応えも感じてるんじゃないですか?
Awich めっちゃ感じてます。うれしい限りっていうか、YENTOWNのメンバーにも受け入れてもらって感謝してるし。Chakiさんにもあんなヒット曲を作ってくれてめっちゃ感謝してるし。それを受け入れてくれてるオーディエンスのみんなにもめっちゃ感謝してるし。めっちゃ感謝しかないですね。
ーー高校生でデビューした時は、自分のやりたい方向じゃない曲をやらないといけないこともあったみたいですね。
Awich 詞とかを変えられたりして。それがかっこいいと全然思わなくて。Chakiさんはかっこいいと思える信頼があるからやりあえるんですけど、私がクソガキだったっていうのもあるし、周りの人がヒップホップをあまり知らなかったっていうのももちろんあると思うんですけど、全然制作が楽しくなくて。私のアルバムって別に言わなくていいしぐらいの勢いで。全然日本の業界ダメだなみたいな感じになってましたね。
ーーアメリカにいたら余計そう感じるでしょうね。
Awich ホント超生意気な19、20の女だったから、私も悪いと思うしもっといいやり方もあったとは思う。ただあの頃は無理でしたね。
ーー今は本当に好きなことだけをやってることは今回の話でもよくわかったし、それをお客も受け入れてくれる土壌ができてきていますよね。
Awich 本当にすごいめっちゃ変わったと思う。あの頃と日本のヒップホップも全然違って受け入れる体制もできてきていると思うし。そこにまた参戦できてうれしいです。
TEXT:YAMINONI
PHOTO:HIROKI OBARA
Awich 『8』
01. Intro (Bad Reception) (Prod. Chaki Zulu)
02. Crime ft. kZm (Prod. Ke Yano$, Chaki Zulu)
03. Pin (Prod. Chaki Zulu)
04. Detox ft. Tabu Zombie (Prod. Chaki Zulu)
05. Move Way (Prod. Chaki Zulu)
06. Come Again (Prod. Daisuke Nakamura, Chaki Zulu)
07. Remember ft. YOUNG JUJU (Prod. Chaki Zulu)
08. Gentle Paranoia (Prod.Deejay Abstract)
09. Jah Love ft. Yomi Jah (Prod.STiKz)
10. WHORU? ft. ANARCHY (Prod. Chaki Zulu)
11. Chong ft. Ritto (Prod. letgo.)
12. Interlude (Good Reception) (Prod. Awich, Chaki Zulu)
13. Ashes (Prod. Ke Yano$, Chaki Zulu)
14. Rainbow (Prod. Ke Yano$, Chaki Zulu)
15. UMUI ft. KOJA MISAKO (Prod. Ke Yano$, Chaki Zulu)
16. Sega (Prod. June Jissle)
17. Views (Prod. Ke Yano$, Chaki Zulu)