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 東日本大震災から7年を迎えた3月11日。日本各地で追悼行事が催され、多くの人が犠牲者の冥福を祈った。政府主催の追悼式に出席した安倍総理は「7年の歳月が流れ、被災地では復興が一歩ずつ着実に進展している」と復旧や住宅再建が進んでいることを強調した。

 しかし今も復興が進展しない地域がある。双葉町、大熊町、浪江町、富岡町などがある福島の東部は、福島第1原発にほど近い地域。7年前の原発事故を受けて「避難指示区域」に指定され、住民は全国各地にやむなく避難、街は無人化し再起不能とさえ言われた。

 そんな壊滅的な状況を打破しようと設立されたのが、郡山市の仮設住宅内にある臨時災害ラジオ放送局「おだがいさまFM」。全町避難だった富岡町が、震災から1年後の2012年3月11日に開局した。目的は、全国各地に散り散りになった富岡町民1万6000人を繋ぎ直すこと。震災から7年を迎えた11日には震災特番を生放送し、リポーターが富岡町を訪れスタジオと中継を繋いで展開した。

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 「去年と変わったところ…ここはバリケード越しに右と左に住める・住めないが分かれますよね。今その境目にアパートが建っています」(おだがいさまFM・仲山弘子さん)

 町の一部がいまだに帰還困難区域となっている富岡町。おだがいさまFMでは、町の現状や避難した町民の想いなど身近な情報を提供し、富岡町民から絶大な人気を誇っている。仲山さんは「私たちのFM、今年の3月で閉局になりますけど、町の人ほとんどが避難先で暮らしています。その方たちに今の富岡がどうなっているかをお知らせしたくて、富岡からの中継を担当していました」と話す。

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 おだがいさまFMは今月末での放送終了が決定しているが、開局から携わっていた富岡町社会福祉協議会事業係の吉田晶子さんによると「閉局は終わりではなく始まり」だという。「より多くの町民に発信できる方法を町が考えているということですので、そういう段階に進んでいるのかな」。去年4月、富岡町は一部を除いて避難指示が解除され、人々が戻り始めている。

 7年が経ち少しずつ復興へ向かい始めた富岡町を、後押しするような動きも出てきた。昨年10月に運行を再開した富岡駅に合わせてオープンしたのは、駅前の「富岡ホテル」。富岡出身者8人が集まり、3億円の借金を背負って事業を立ち上げた。代表取締役の渡辺吏さんは「稼働率はまだまだ。目標は7割を目指しているけど、まだ6割に達していないくらい。(客層は)復興関連の仕事をする人たちが多いですね。いろんな人に泊まりに来てもらえれば」と今後への期待を話す。一方で、震災により様変わりした富岡町については「戻ってきてもらうことも大事だけど、同時並行で新たな人に住んでもらうというのがなければ町はこれから成り立たないと思う」と“新しい街づくり”の必要性を訴えた。

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 避難指示の解除に伴って、東京電力からの慰謝料の支払いは3月末で打ち切られる予定だ。生活する場所の判断を迫られている被災者。AbemaTV『AbemaPrime』では、実際に県外に避難した方々の今を取材した。

■自主避難者は住宅無償提供打ち切りが負担に

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 復興庁や福島県によると、福島県外に避難した人数は3万4095人で、県内の避難者は1万5420人(2018年2月13日時点)。避難者が多い自治体は東京都(4067人)に続いて茨城県(3444人)、埼玉県(3306人)。一方、避難者が少ない自治体は徳島県(26人)、和歌山県(31人)、高知県(32人)などとなっている。ただ、新たな自宅を買った人は含まれておらず、実際の避難者はさらにいるとみられている。

 出て行く人がいる一方で、どれだけの人が戻ってくるのか。住民の帰還率は富岡町が4.9%、浪江町が3.5%(2月末)と、なかなか回復していないの現状だ。

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 また、長く続く避難者の暮らしに大きく影響を与えているのが、住まいに関する支援。避難指示区域からの避難者に対する応急仮設住宅の供与は、来年3月まで延長することが決定された。一方、自主避難者に対しては去年3月の時点で住宅の無償提供は打ち切りとなり、家賃の補助額は今年3月まで家賃の2分の1(最大3万円)、今年4月から来年3月まで3分の1(最大2万円)となる。

(1)子どもを守るため新潟県に移住

 「本当に悔しかった、あの時は。めちゃめちゃ不安だったし、これからどうなるんだろうと」

 そう話すのは、新潟県新潟市に住む磯貝潤子さん(43)。東日本大震災から約1年後の2012年3月に、当時10歳と9歳の2人の娘を連れて避難した。それまで暮らしていた郡山市は、東京電力福島第1原発事故の避難区域外。なぜ磯貝さんは郡山を出て、県外に避難する道を選んだのか。

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 「(子どもが)ほぼ毎日鼻血を出すようになった。高熱が出たりとか子供の体調が悪化していくし、急に倒れて失神みたいなことになったり。そういう子どもたちではなかった」と振り返る磯貝さん。長女のすずさん(17)は「めっちゃ鼻血出たの覚えてる。鼻血が出て、なんか足のくるぶしの上がすごいかゆかった」と話す。

 活発だった娘2人の体調が震災後に急変。磯貝さんは福島県外へ避難することを決意した。その後、検査を受け医師から告げられたのは甲状腺の異常。「心の奥底にある。(子供に対して)ごめんって思う」と磯貝さんは話す。

 子どもたちを守るために新潟での避難生活を開始。しかし、磯貝さんは夫を福島に残して避難し、母1人で子供の面倒をみていた。こうした母子避難の家族は多いが、1人残された父親が精神的に限界を迎え避難した家族が再び福島に戻るケースも多い。

 夫の秀樹さん(47)も1人で孤独を抱えていた。「こんな寂しいことはない。(家族に寂しいと)話した時もないし、1人でずっといたので」。夫の秀樹さんは福島で働き、妻の潤子さんは新潟で子どもを育てるという、夫婦離れ離れの生活だった。

 離れて暮らしてから5年経った昨年3月、ある問題が磯貝さんを襲った。それは、避難区域外から避難している世帯を対象とした住宅無償提供の打ち切り。磯貝さんが暮らしていた郡山は避難区域外のため、これまで全額無償だった新潟の家賃を半額負担しなければならない状況に陥った。

 「家賃の補助であったりとか、(福島と新潟の)二重生活にかかるお金だけではないと思うが、お金の面でも大変な状況に陥る」(秀樹さん)「子供たちにお金を使う。(二重生活に)出費できるほどの余裕はまったくない」(潤子さん)

 これから先、どう暮らせばいいのか。家族での話し合いで決断したのは、福島には戻らず新潟で家族全員が暮らしていくという道だった。

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 ようやく揃った家族4人での再出発。現在、娘2人は体の異常を訴えることもなくなり、市内の高校に通っている。しかし、4人で暮らす家も秀樹さんの仕事も見つからない状況だ。さらに、福島から出てきた磯貝さんに対する非難の声も耳にするという。帰還かそれとも移住か。震災から8年目を迎える今、その選択が被災者を悩ませている。

(2)熊本県で2度目の大災害を経験

 熊本県熊本市で生活する高済コズエさん(47)。案内してくれたのは築40年の以上の平屋だ。震災当時、二本松市で暮らしていたが、2人の子供を連れ友人を頼りに熊本へ避難してきた。

 高済さんは区域外からの母子での自主避難。夫と離れて暮らし、少しでも家計の支えになるようにと飲食業の仕事をしながら必死に生活してきた。しかし、2016年4月14日、熊本地震が起こり、またしても震災に見舞われた。命は何とか助かったが、自宅は倒壊の恐れがあるため来年取り壊されることになっているという。高済さんは「どうしようかなと頭を抱えている」と悩みを話す。

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 東日本大震災、そして熊本地震とわずか5年の間に2つの未曾有の大災害を経験した高済さん。いまだ親子3人で暮らすための家は見つかっていない。それでも高済さんは「子供が大きくなって、もし子どもがこちらに居たいというのであれば置いて、私は主人と暮らす予定ではいる。そしたらまた福島の生活を楽しみたいと思う」と前を見続けている。

■日本のエネルギー事情、防災・減災のターニングポイントに

 甲状腺の異常から避難した家族がいる現状について、政治学者で東北福祉大学特任教授の福岡政行氏は「この問題はなかなか難しい。放射性疾患、甲状腺異常の問題が日本の中に色々とある。過剰に反応することはいけないが、やはり原発はまったく収束していない」と指摘する。

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 また、原子力発電所の元従業員の話として「『1号機と2号機の間はほとんど歩けない』『○号機の中は数分も入れない』という話がいっぱいある。デブリを取り出すのに恐らく数十年以上(かかる)」と紹介。「そのことをもうちょっと厳しく考えていくことが今の政府には求められると思っているが、原発再稼働の方向に動いている。今の日本は歴史の転換期、戦後の大きなターニングポイントのような気がする」と述べた。

 続けて「原発誘致で地域にお金を出してきて、それで就職ができるという人もいたし、自治体にはお金が落ちてきた。そういったエネルギー事情の中で戦後から日本はやってきたが、戦後最大のターニングポイントだと言うのは、それをどこかで見直すことができるのではないかと。原発がなくても、日本は2年間動いていて、電気の量は余っていた。太陽光など色々なものができてきて、福島でも取り組んでいるものがたくさんある」との見解を示した。

 一方、除染ボランティアなどのNPO活動に携わってきた福島大学教授の奥本英樹氏は、別のターニングポイントとして防災・減災に言及。「大昔から色々な飢饉や天災があったが、それを克服してきたから日本というものがあった」とし、「今の防災・減災のシステムは予定調和的になっていて、大事な判断をきちんとできるような防災のシステムになっていない。色々と見直すべき点があることに、大震災とその後の原発事故で我々は気付かされた」と意見を述べた。

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 では、居住地に選んだ先で、今後どのように災害に備えればいいのか? 福岡氏と奥本氏は災害には想定できるものと想定できないものがあるとし、「もう1度街づくりを真剣に考えた方がいい。“釜石の奇跡”という言葉があるが、釜石の子どもたちは地震になった瞬間にとにかく山に向かってみんな逃げることにしていた。そういう“てんでんこ”で逃げるというノウハウを学んでいた。考えられないリスクは別だが、減災はできる」(福岡氏)、「震災シミュレーションを考えた時に、避難マップを実際に歩いてみるとボトルネックがある。そういった時にどういう避難をするかのオプションが与えられていないために、判断が身についてかないのが現状。そこから直していかないと防災・減災につながっていかない」(奥本氏)と訴えた。

(AbemaTV/『AbemaPrime』より)

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