現在公開中のドキュメンタリー映画『獄友』。登場するのは、いわれなき無実の罪、"冤罪"を訴えながらも、殺人犯として人生の大半を獄中で過ごしてきた人たちだ。
「冤罪を背負うって、本当に辛い。でもそこから解放された喜びを少しでも多くの仲間に伝えたい」。そう話す桜井昌司さん(71)も、茨城県利根町で大工の男性が殺害された「布川事件」(1967年)の冤罪で人生を奪われた一人だ。
事件当時、有力な手がかりを掴めず捜査が難航したことから、警察は現場付近の前科者などを対象にアリバイを追及。そして目をつけたのが、不良だった桜井さん(当時20歳)と杉山卓男さん(当時21歳)だった。警察は"アリバイがはっきりしない"として、2人を別件の窃盗容疑などで逮捕した。
「確かに当時の私は悪かった。同級生のズボンを質屋に入れて逮捕された。仕事も真面目にしていなかった。事件の3日くらい前に会社を辞めてしまっていたのに、おふくろには仕事していると嘘を言っていたから、警察の聞き込みに"親方の家に泊まった"と言っちゃった。それで一気に犯人だとされたのだと思う。取り調べでは窃盗のことはほとんど聞かれず、ずっと強盗殺人のことばかだった」。
強引な取り調べも受けた。「お兄さんのところに行っていた」という桜井さんの主張に対し、警察は「お前のお兄さんは来ていないと言っている」と嘘をついたのだという。
「"いや、お前のアリバイは違う。嘘だ"と言われて、黙っているしかない。すると"桜井、言い訳を考えてるな。黙っていてもどうしようもねえんだ。お上にも自信があるんだ。素直に認めろ、人生やり直せ"と。精神的に殴られ続ける痛みに耐えられなくなると、人は"やった"と言ってしまう。警察が嘘を言うとは思わないし、自分が間違っていたと思ってしまった」。
■"共犯者"の存在が心の支えに
強制された"嘘の自白"が証拠とされ、2人は強盗殺人の罪で再逮捕される。「杉山の自白が桜井の犯行を証明して、桜井の自白が杉山の犯行を証明するんだから、本人の自白だけで裁判をするのではないと裁判官は言っていた」。それでも裁判の中で無実が証明されると思っていたという桜井さんだったが、11年後の1978年7月、最高裁は出した結論は「無期懲役」だった。「目の前が暗くなった。暑い日だったらしいんだけど、自分にとっては寒い一日だったとしか覚えていない」。
それでも懸命に生きようと心に決めた。「刑務所にいようと社会にいようと同じだ。今日は一日しかないという人生観、思いで生きようと思った」。行動に制限がつきまとう日々の中で、心の支えになったのは、"共犯者"の杉山さんだった。
「殴り合ったこともあるが、それでも再審を戦うことを諦めなかったのは、お互いの無実を知っていたから。自分の無実を知っている人がいるという安心感があったのは他の冤罪の方と違う」。1983年、獄中から再審請求を行った。約10年間にわたる審理の末、請求は棄却。それでも諦めなかった桜井さんは、仮釈放後の2001年に2度目の再審請求を行う。すると一転、2005年に再審開始が決定したのだった。
再審のきっかけの一つが、検察側が新証拠として提出した自白の録音テープだった。当初は存在自体が否定され、事件から35年ぶりに表に出てきたテープには不自然な痕跡があり、桜井さんとのやりとりが編集されていたことが分かった。「"ちゃんと殺しをしたと言えや"と取調官に言われたことを思い出す。調書通りに喋りなさいというだけだった」。裁判では有力な証拠とされた自白の信頼性が根本から揺らぐことになり、2011年5月、事件から44年を経て2人はついに無罪を勝ち取った。
■「警察・検察は冤罪を減らす努力をしていない」
判決直後、「証拠隠しのせいで裁判官が誤った判決を出したということにも触れてもらいたかったが、全然触れなかった。謝罪は私はいらないと前から言っているが、それは不満だった」と話した杉山さんは2015年に69歳で亡くなった。
妻の恵子さんと平穏な生活を送っている桜井さんは、「やっぱり俺と杉山でないとわからない思いがある。ある意味、兄弟とか、そんなものよりもっとすごい。好きとか嫌いじゃない、俺たちは」。
そして今、同じ境遇で無実の罪を訴える人たちを支援する活動を行っている。「真面目な警察官の方もたくさんいらっしゃるが、警察組織は腐っている。逮捕状を取ったら、その容疑者が100%犯人だと確信し、否認しても信じない。証拠を捏造したり、嘘を言ったりした警察官を裁くこともしなければいけない。検察庁に至っては桜井・杉山の自白は確かに間違ったが、最初にやったと言ったのが真実だと言い始めている。腐っている。冤罪をなくしたいと願っている我々から見て、何も前進していないように見える」と憤った。
■元裁判官「司法制度の問題点を改めなければならない」
著書『絶望の裁判所』などを通じて司法の内幕を告発し続けてきた元裁判官の瀬木比呂志氏は「日本の裁判の特徴として、自白を非常に重視する。自白が出ると、脆弱な証拠でも認めてしまうという傾向はあると思う」と話す。
再審請求が認められ、そして冤罪と認められるまでには長い時間と高いハードルが待ち受けている。
瀬木氏は「日本は組織の縛りが強いので、それなりに良心を持っていても組織に押されてしまう。裁判官でも自分の良心に従っている人がどれだけいるのか。とくに刑事の裁判官は、とにかく自分の裁判所や検察の非を認めるということをなかなかしたがらないし、検察が言うことが正しいという考え方が強い。再審についても、明白な新証拠が出てきたとか、真犯人が出てきたとか、そういう場合には認めるが、そうでなければ審理自体を開かない。ちゃんとした裁判官は"証拠を出しなさい"と強く言うが、それがなければ検察が出さないということがある。個人の善意や良心に頼るのではなく、証拠は全部出すという制度を作らないと、どうしても小出しになってしまう。世間一般とは隔絶した世界で、制度自体も非常に密室的でピラミッド型。もっと裁判官の任用・昇進や異動を中立的な委員会にさせればぐっと変わってくる」と説明。
「冤罪は日本だけの問題ではなく、どの国でもある。冤罪というのは、刑事司法の病。絶対にあるので、どれくらい少なくできるかということと、起こらないようなシステムをいかに作るかということしかない。取り調べを全部カメラで可視化するだけでも本当に変わる。また、起訴されても第一回公判期日が来るまでは自白をしていないと出してもらえない日本の特殊な"人質司法"の問題もある」と指摘した。
(AbemaTV/『AbemaPrime』より)